呟⑨「戦争」 | 獏井獏山のブログ

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・戦争は人握りの施政者を除く「全ての国民」を100%、寸分の違いも無く地獄のどん底に突き落とす出来事なのである。勝っても負けても、勝ち負けの行方に関係なく国民は間違いなく確実に苦しみのどん底に突き落とされるのだ。

・「勝ち負けに関係なく」というのは「戦争をしている間中・間断なく」という意味である。「国と国が戦争を始めてから終わるまでの間、ひと時も途切れることなく」という意味である。

・先の太平洋戦争がそうだった。当時、日本の主たる敵だったアメリカと戦争を始めた昭和16年から戦争が終わった20年までの約4年間に生きていた全ての日本人、もう少し詳細にいえば「東条という頭目とその取り巻き連中を除く全ての日本人」が…兵隊に徴用された男子だけではなく、家に残った幼児から老齢者まで1人残らず心身ともに苦のどん底の生活を強いられたのだ。

・そして昭和20年8月に戦争が終わった。日本は戦争に負けはしたが「戦争が終わったお蔭で」それまで背負わされ続けた「苦」という重い荷物を背中から振い落とす事ができ漸く人々は地上に立つことが出来た。「戦争が終わった」それだけで国民は自由を得た。日本中の土地は荒れ果てていたがその日から再生のスタートを切ることが出来たのだ。

・例え話として若し仮に、ここに「世界列強の中の一国」…少なくとも「日本より相当強い国」があり、且つそれが「鬼畜のような人間が治める国」だとして、その「鬼畜の国」と戦争を始めたらどうなるか、想像しただけでも恐ろしい悪夢が脳裏を過る。戦争中は先の戦争の時と同様に苦のどん底生活を強いられるし、結果的に核兵器で全滅させられる可能性もある。万一、生き残った人々が居たとしても、鬼に依って酷い蹂躙に遇うだろう。

・「日本は決して戦争はしない」「軍隊は保持しない」「交戦権は認めない」と憲法で定められている。しかし自衛隊を作り国を守るための最小限度の武器を持つようになった。万が一、鬼畜国が攻めて来た時に備えて国を守るとの見地から已む無きことかなと思うし、長年の既成事実もあれば今さら異論を唱える余地はない。「専守防衛」の姿勢が破られなければ否定すべき事ではないだろう。

・しかし、「自衛隊」の域を乗り越えて仮にも「軍隊」と呼称される組織を置き、形なりにも、その気になれば他国を攻めることの可能な軍備を整えたら鬼畜国に開戦の口実を与えることとなり戦争になる可能性が出てくる。若し戦争になれば、そして国力が非勢であればあるほど国家一団となって戦うことを上部から強いられるだろう。徴兵制が当然だった日米戦争の二の舞である。駆り出される兵士はもとより、兵士以外の全国民は戦争が続く間中、地獄の生活を強いられ、その結果、爆死するか蹂躙されるのが落ちである。

・ここまで考えると、矢張りこの70年間日本が築き守ってきた戦争放棄の姿勢を維持しなければならない。それでも武器も持たず戦いもしない日本に対し、国際的な常識・良識を破って攻めてくる鬼国があるかも知れない。攻められれば国は防衛力で食い止めるだろうが状況によっては一瞬にして壊滅するかも知れない。しかし戦争を起こしてその間中、苦しみに苦しみあぐねた上に…まだその上に…爆死や蹂躙に遇うような結果を招くよりはマシだ、と先の戦争体験者の多くが思うに違いない。

・口実を与えない方が戦争を仕掛けられる可能性が大幅に少ないことだけは確かである。意地を張ったり見栄を切ったり恰好を付けて済む話ではない。

・重ねて云う。何度でも云う。もし戦争が起これば、国民がバラバラにならないように決定権を持つ何人かの人間が指揮することになるのが必然だ。その人数を少なく見積もって仮に100人とした場合、これら上に立つ人間は少しは意気揚々と出来る余地もあるだろうが、残る1億2千600万人余り(国民総人口の約99.9999%…やや誤差有り)の国民は苦しみのどん底に突き落とされることになる。前の大戦時のように一握りの人間に生・命を弄ばれては堪ったものではない。堪ったものではなくても戦争が起これば必ずそうなるに決まっている。戦争とはそういうものなのだ。