>iampeaceさん。♡スピリット♡
デイヴィッドの教えでは、
何をトリガー(引き金)にして、
自分が『いま、何を感じてるか?』をスピーク・アップ(声に出して表現)します。
(エクスプレッション・セッション。)
次に、
その奥で何を感じているか?を探っていきます。
スピーク・アップします。
自分が付けている、仮面・マスクを外していく作業です。
===
(状況説明)
『えッ!』という感じは、
6月4日(1週間前。先週の木曜日)に、
パソコンのアダプターが届いたとき、
差し込み口の形状が合わなかったときの感情。
業者の説明を良く理解せずに、
注文した自分が間抜けなのですが、
なぜか、
あまり腹が立たないのです。
これを探っていくと、
以前にも百数十万円の『自己啓発テープ』等、
業者の説明通りの成果が出ない商品を購入したことがある。
同じパターンで、
何回か失敗しているのですが、
自分に対しても、
相手業者に対しても、
怒ったことがなかったです。
諦めているのかな?
===
ワタシ・タナベが怒るのは、
自分がしようとしたことが、
ウマくいかなかったとき。
最近の最大の怒りポイントは、
部屋の整理・整頓・『断・捨・離』ができないこと。
===
さて、『えッ!』です。
軽い感じですが、
それは自分ではどうしようもない状況。
すでに起こってしまっている状況。
変えようがないという諦め。
この状況に対して、
自分は無力だという諦め。
事態を回復しようという意欲がない諦め。
ココで、あがいても、仕方がない。
余計、キズが深くなるという感じかな?
===
コース的に言うと、
自己概念B(無辜の自分・被害者)のままでイイ。
その方が、
今まで通りの自分が保てる。
イイ人。
おだやかな自分。
===
それはウソ。
真相は、
自己概念A(秘密の夢・強烈な無価値感・無力感)に触れたくないから、
存在論的無力感を薄めて、薄めて。
物理世界に投影した、
『えッ!』という感じ。
そして、
自己概念B・イイ人という仮面・マスクは、
付けたママ。
ほんとうの目的は、
奥に隠ぺいしている存在論的無力感を感じたくないんだ。
(凶暴な自我に気づかせずに、薄めて温存する。)
しかし、
少しの意欲・勇気で、
これ(存在論的無力感)を表面意識に上げて、
聖霊に取消してもらう。
(心を癒してもらう。)
これが、
スピーク・アップ。
エクスプレッション・セッション。の目的。
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動物虐待の知覚【デイヴィッド・ホフマイスター】奇跡講座/奇跡のコース/ACIM
2019.05.17
(14:53)
https://www.youtube.com/watch?v=cFgttyA3OcQ
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00:04
(質問者)
無罪性や加害者について話されましたが、 ここ数ヶ月、動物虐待に関する問題を私は抱えています
00:16
それは強い怒りや悲しみを浮上させます
00:22
それで、聖霊と何度か話をしました
00:27
そうするとその時は平安に至りますが、その後、 何度もまた繰り返し怒りや悲しみがやってきています
00:37
その都度聖霊に、助けを求めていますが、 動物が苦しむ姿を見て、私も苦しみ、心が痛みます
00:52
聖霊に助けを求めて語りかけること以外に できることがありますか?
01:04
(デイヴィッド)
良い質問をありがとう
01:05
実は、私たちは、ちょうどデンマークに行ったばかりで、 提供された場所は、屠殺(とさつ)所の真隣でした
01:15
車で到着すると、動物の泣き叫ぶ声が聞こえてきました
01:21
私たちは、5日間のリトリートをそこでしました。 場所は、田舎でも都市でもなく、まさにそこだったんです
01:27
4、5日目あたりだったと思いますが、 車でそこに着いたとき、私が車から出て頭位を上げると、 家畜の囲いの中が見えました
01:42
そこには、鋼製の傾斜路があって、 並んでいた全ての牛が、私の方を見ていました
01:51
そして、お互い見つめ合いました
01:53
ナチスドイツの強制収容所で 人々が並んでいるのと何ら変わらない光景でした
02:04
牛たちは、私を見つめていました。 まるで、「どうゆうこと?何が今起きてるの?」 と言っているようでした
02:12
この話がここで上がってきてよかったです! これに、深く、深く、しっかりと入っていきたいと思います
02:22
コースを使って、イエスと共に、 できる限り深く入っていきたいと思います
02:30
私たちが殺生や殺人や死が存在する世界を知覚するとき…
02:40
死の度合いは実際は関係ないのです
02:46
『ジョー、満月の島へ行く』という映画の中で、
02:53
人々が歩いているシーンで、 小さな花が地面の割れ目から顔を出していて
03:00
人々がそれを踏んづけていくのです
03:06
そんな小さな花であれ、 何度も踏んづけられていく光景を見ると、 何かが引き金を引かれます
03:14
不当な扱いを受ける動物を知覚したり、 殺されたりする姿を知覚するとき、 何かが引き金を引かれます
03:25
私たちが気づかねばならないことは
03:29
私たちが知覚している線形のこの世界を作ったのは、 神ではなく
03:36
エゴだということです
03:38
この世界のすべては、エゴが創ったものです
03:44
よって、ワークブックのレッスンの最初のところで、 「私が自分の見ている世界を作り上げた」 と出てきているんです
03:47
聖書の創世記の最初に学ぶ 「神が天国と地球を創り上げた」 という表現から“神”を引き抜き始めるためです
03:55
神は天国は創ったけれど、天空の星やブラックホールや色々な領域など創ってはいません
04:06
神は、不朽のものを創り、永遠の天国を作りました
04:09
地球や宇宙は、エゴが投影したのです
04:12
エゴとは、死への願望です
04:16
エゴが投影するもの全ては、死への願望から来ています
04:22
たとえば、この世界では、リンゴはリンゴの木に生(な)り、 梨は、梨の木に…バナナは、バナナの木に生(な)ります
04:32
天国では、霊(スピリット)は霊(スピリット)から生まれます
04:35
すべての神の創造物は、霊(スピリット)です。 キリストは、実際は、男性でも女性でもなく、 純粋な霊の拡張です
04:43
創造とはそうゆうものなのです
04:44
同じものから同じものが生まれます 同じものから違うものは生まれません
04:47
にんじんが、リンゴの木にはなるなんて、 ばかげたことですね
04:52
この世界でさえ、同じものから違うものは生まれません
04:56
同じものからしか同じものは生まれません
04:58
人は、人に宿ります
05:01
人に、ゾウやオウムやでんでん虫など宿りません
05:06
人から人が生まれます
05:08
霊から霊が生まれます
05:11
この線形の世界の全てである宇宙は、 エゴから来たものです
05:17
実証性も、実在性もなく、実際存在もしていないのです
05:22
エゴを信じている幻覚が、心の中にある以外は…
05:26
あなたが目や耳で知覚しているものによって、 心を乱されるとき
05:38
実際は、あなたが知覚を取り入れているのではなく
05:42
エゴの信念体系から、 知覚するもの全てが投影されているのです
05:48
エゴは、死への願望でしたよね?
05:51
死んでいく姿を見るとき、それが、 ナチスドイツの人であれ、動物であれ、
05:57
私たちは、死をその“形”と結びつけています
06:02
しかし、死への願望は、 (外の世界ではなく)心の中にあるのです
06:06
見えている形は、ただ、 死への願望を隠すために使われているだけなのです
06:09
エゴは、私たちにうろたえて欲しいと思っているんです
06:12
そして、投影し、それを責め、 外の世界に原因を見て欲しいと思っています
06:16
心の外や見えている世界に原因があると見ることによって、死への願望は、投影されるのです
06:24
殺す…ということについては、 気づきのための転換が必要です
06:36
私たちが、断片化された世界を知覚するということが、 死を意味します
06:41
時空の中で、違いを知覚する時、それが、死を意味します
06:50
死が、牛に起きているのではありません
06:53
死が、人や動物に起きているのではないのです
06:56
死は、断片化された知覚の中に存在しています
06:59
それゆえに、コースは、とても役に立つのです
07:02
問題は一つしかなく、 一つの解決法があるだけだと言い続けてくれます。
07:06
コースのグループが世界中にありますが
07:11
12ステップのAAグループでは、 円形に座って、自己紹介をします
07:15
私の名前は◯◯です。アルコール依存症です…など
07:19
そして、みんなが挨拶します
07:21
そこで、私たちは、コースのグループでこのように 言い始めなければなりませんでした
07:24
「こんにちは!◯◯です。 私は、知覚に問題があります!」(笑)
07:27
なぜなら、解決法を受け入れるためには、 問題を認めなければならないからです
07:32
もし、こんな風に言ったとします…
07:35
「こんにちは! 私は、人間関係の問題を持ってここにいます。」
07:38
そうではありません
07:39
「私は、お金の問題を抱えています。」
07:41
いいえ、違うのです!本当は、それではないのです
07:45
動物が殺された… 母なる地球が汚染されている…
07:53
戦争問題がある… 国が他国を政治的に侵略した…
08:02
そんなふうに、あれこれ言い続けることができます
08:05
「僕はバクテリアが嫌いなんだ。 自分がバクテリアが嫌いなんだと分かったんだ。」
08:11
「概して、ウィールスについて問題を抱えているんだ…」
08:18
などと、関係なく何でも言えます
08:22
私たちが知覚の問題を抱えていて、 断片化された世界を見ているのだ ということを認めるまでは…、
08:31
聖書のコリント人への手紙の 「私たちは、鏡に映して見るように、おぼろげに見ている」 ということに気づくまでは…、
08:36
問題が、断片化した知覚にあり、 線状の時間を見ていることにあり、
08:41
すべてのものが時間軸上に一列に並んでいると 見ていることにあるのだと認めるまでは…、
08:45
具体的に見えている問題に投影し続けることになるのです
08:50
しかし、それが(本当の)問題ではないのです
08:52
そのようにして、私たちはエゴを守っているんです
08:55
常に何かの形を取りますが、どんな形かは関係ないのです
09:01
しかしまた、そこに癒しがあります
09:04
何年か前にピースハウスの私のもとに 人が訪ねて来始め、一緒に住み始めたとき
09:09
彼らは私に何が起こるかを見るために いろんなことをしたものでした
09:13
一度は、とてもとても古い腐った酸っぱい牛乳を わざと私に飲ませようと冷蔵庫に入れておきました
09:29
彼らは隠しカメラの番組のようにそこに来て見ていて 私が冷蔵庫を開けて
09:38
牛乳をコップについで、それを全部飲んだとき
09:41
彼らは、まったく信じることができませんでした
09:51
超越した心の状態に入るとき
09:55
腐った牛乳に何の意味があるのでしょう?
09:57
意味を持たないのです
10:00
食欲が消えたり
10:05
かつて楽しんでいた食べ物の味が消えたり
10:10
時には、匂いが消えたり… それは素敵なことです
10:14
実際イエスがコースでこう言っています
10:17
『あなたが上手に訓練したかどうかは 肉体が全く何も感じないということにより 認識されるであろう』
10:22
ふぅ〜〜(笑)
10:24
これが私たちが向かっていこうとしている方向です!
10:27
それは、無感覚になるとか 抑圧されたり 否認されたものなどとは違っています
10:34
『見えているものに何の意味もない』
10:37
匂っているものには何の意味もない…
10:40
聞こえるものには何の意味もない…
10:42
超越していき始めると 私たちは超越した状態に入っていきます
10:46
あなた自身に、このことを思い出させる もう一つの機会にすぎません
10:54
動物が殺されたということが ここで本当に起きているのではなく
10:59
すべての断片化された知覚が問題であり
11:02
物事を見る際に あなたが使っているフィルターが洗浄され 癒されなくてはならないのです
11:09
実際にあったことですが この同じ場所で、他の集まりもあって そこに出入りしていた人たちが
11:15
「え〜〜、こんなところで スピリチャルな集会なんかしないでくださ~い」 と言いました
11:22
その人達は、同じ場所で この癒しのために 何年も集まり続けているのだと教えてくれました
11:29
一回では終えられなかったのです
11:33
彼らは、それを超越しなくてはならなかったのです
11:43
(フランセス)
このツアーで訪れた島で、私は 『N.Y.式 ハッピーセラピー』 という映画を観ていただきました
11:50
それは、多くの人たちが鑑賞しながら 何かの引き金を引かれるようなタイプの 映画でした
11:55
映画の中で、ある男性が被害者として描写され
11:59
映画の初めから4分の3まで その人がどれだけ不当に扱われるかを 見せるものでした
12:09
初めてその映画を見た多くの人たちは そこで見続けることができませんでした
12:15
なぜなら、スクリーンの中の人物が 不当に扱われることで あまりにも大きな怒りや ストレスを感じたからです
12:23
しかし実は、そこで出てきたものは 巨大な自己嫌悪や罪悪感だったのです
12:32
デイヴィッドが、以前 こんなエゴの比喩を使っていました
12:36
『毒を海に捨てて、それを少しずつすすり飲む…』
12:44
毒は薄められるけど
12:47
それでも毒性はあります
12:49
いつも心の中に巨大な自己嫌悪と罪悪感があって
12:55
私たちが外の世界の具体的な事に それを少しずつ投影する度に
13:00
言わば、罪悪感を最小化するような感じになるのです そうすることで、ひどい恐れを感じないからです
13:07
しかし、だからこそエゴを持ち続けるのです
13:12
そして、投影する物語は 何年も、何十年も同じだったりします
13:17
そのようにエゴは、物語や具体的なことを使って 自己嫌悪や罪悪感をあなたに持ち続けさせます
13:22
そうすることで 酷すぎるとか 手に負えないと思うに至らず 手に負えるので持ち続けるからです
13:29
イエスが言っています
13:31
「私の手を握りなさい そして 共に心の内に入っていきましょう」
13:36
「あなたがとても恐ろしいと感じているものは 無垢であることを見せてあげましょう」
13:43
「しかしあなたは、私の手を取り 共に歩くことを望まなければなりません」
13:47
基本的に、ジーザスが言っていることは
13:50
「外へ投影をし続けることをやめなさい」
13:52
「外の物語に囚われてしまうことをやめなさい」
13:56
レッスン79で
13:58
あなたが問題を定義しない度合いに応じて 解決法を見ることができるでしょうと言っています
14:04
それはとても実用的です
14:07
あなたの人生の中で、物語が繰り返され それがいつも引き金になるとき イエスがあなたにこのように言おうと待っています
14:16
「あなたの心の中のこの物語を手放しなさい そうすれば、何が本当の問題の根源になっているのかを私があなたに見せてあげられる余地が生まれます」
14:27
「あなたは心の内に入っていくことを とても恐れていますが...
14:29
...内には、無罪性と光があるのみだと 私が見せてあげましょう だから、物語を手放してください」
14:36
本当にこういうことなのです
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