ナディア・エレーナ・コマネチ(1961年~)さんは、ルーマニア出身の体操選手です。1976年に行われたモントリオールオリンピックでオリンピック史上初の10点万点を獲得し、3個の金メダルを獲得しました。また、1980年に行われたモスクワオリンピックでも2個の金メダルを獲得しました。
コマネチさんは、6歳の時に名コーチ、ベラ・カロリーに見出され、体操の英才教育を受けます。9歳でルーマニアジュニア選手権で優勝し、10歳で国際大会で団体と個人の両方で優勝します。
コマネチさんが10点満点を獲ったときとの体操演技はこちらです。
当時のルーマニアでは、チャウシェスク大統領の独裁政権化で、経済政策に失敗し国内経済が疲弊している中、豪華な宮殿を建設したり、一族を要職に就けるなど国民生活を無視するような政治を続けていました。
1977年のヨーロッパ体操競技選手権でコマネチさんは金メダルを2個獲得しましたが、ソビエト連邦に有利な採点がされたとチャウシェスク大統領は怒り、ルーマニアチームを強制帰国させます。この出来事の後、カロリーコーチは代表チームのコーチを辞任させられます。
コマネチさんの両親も離婚し、また練習環境の変化によるストレスで体重が増えすぎてしまい体形が崩れてしまいました。
再度、カロリーコーチの指導許可を得ることができましたが、アメリカに遠征した際に、同行したカロリーコーチ夫婦と振付師が亡命してしまいました。帰国後、コマネチさんの行動は厳しく監視されるようになりました。
コマネチさんも、1989年11月のルーマニア革命の直前に、アメリカに亡命します。
コマネチさんは、「自分が何をしたいかは、自分で決める。自分の思っていることを、はっきりと言う。それが自由だと思った。それが欲しかった。」と言っています。
日本では、憲法第21条で、集団・結社・表現の自由、検問の禁止、通信の秘密について規定しています。
イギリスのエコノミスト誌傘下の研究所、エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが世界167ヶ国(うち主権国家166ヶ国、国際連合加盟国165ヶ国)を対象に発表している民主主義指数では、民主主義国家は、わずか25ヵ国しかありません。
日本は、167ヵ国中23位、中国は142位、最下位は北朝鮮となっています。
日本は他国と比べ、法的、政治的に自分のしたいことや思っていることを自由に発言でき、決めることができる環境だといえるでしょう。
しかし、日本には「出る杭はうたれる」ということわざがあります。村社会、鎖国時代、年功序列、終身雇用時代があった日本では、自由に発言、意思決定することができない環境だったかもしれません。
インターネットの普及により、容易に一位が検索できる今の世の中では、個人の才能を引き上げるような環境ではないと競うことができなくなるでしょう。
コマネチさんは、1994年に亡命以来初めてルーマニアに戻り母国で結婚式を行いました。「犯罪者」と呼ばれることを覚悟しながらも帰国することを決断しました。
2001年には、アメリカの国籍を取得しましたが、ルーマニア国籍も放棄しなかったため、二重国籍となっています。
その後、コマネチさんは、ルーマニアの子供たちが低コストで医療支援や社会支援を受けられるようにナディア・コマネチ・チルドレンズ・クリニックという基金を作りました。現在では、ルーマニア体操協会の名誉会長、ルーマニアオリンピック委員会の名誉委員長になって活躍されています。
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福井祐平