『細入地域の史跡・見学ポイント』ガイドブック 企画・編集 佐田 保『片掛けの史跡・見学ポイント』 9 西念寺(P14) 浄土真宗本願寺派である。源義仲の家臣で片津権左衛門友明が逃れて下山に城を構えていた説がある。親鸞聖人に都の様子を聞きたい一念で富山に忍び上人の化導に合い髪をそり法衣「西念」を受け、庵谷に草庵を設け念仏三昧に入った。その後片掛に移り鉱山奉行所の跡を賜り現在地に堂宇を構えた。明治三十四年(一九〇一)の大火にあい、その後本堂、庫裏、経蔵、楼門、梵鐘などを再建した。 「細入村史」
『細入地域の史跡・見学ポイント』ガイドブック 企画・編集 佐田 保『片掛けの史跡・見学ポイント』 8 円龍寺(P13) 元は真言宗の寺であったが、承元元年(一二〇七)親鸞聖人の化導を受けて浄土真宗に改宗した。その後文明年間に本願寺の蓮如上人の教化を受けた。永正四年(一五〇七)に本願寺実如上人より開祖仏ならびに円龍寺の寺号を許された。「白銀山」という寺の山号は、片掛の地で銀が盛んに掘られたことに由来する。その後本願寺が東西に別れ、東本願寺の末寺になる。明治三十四年(一九〇一)に大火にあい、本堂や鐘堂、宝物などの多くを焼失したが、大正八年(一九一九)に現在の本堂が再建された。 「細入村史」
『細入地域の史跡・見学ポイント』ガイドブック 企画・編集 佐田 保『片掛けの史跡・見学ポイント』 7 水戸家(P12) 明治初期に建てられた農家である。今は懐かしいくぐり戸と、長いヒサシが残る農家である。傾斜地の多い片掛は、江戸時代から養蚕が盛んであった。蚕の成育には、日光が直接当たるのがよくないので、屋根のヒサシを長くした。 「細入村史」
『細入地域の史跡・見学ポイント』ガイドブック 企画・編集 佐田 保『片掛けの史跡・見学ポイント』 6 小菅峠上り口(P11) 大渕寺に近い道路脇に、「旧飛騨街道」の標識が立っている。ここが、小菅峠を越えて庵谷集落へ続く旧飛騨街道の上り口である。峠までは、細くて険しい上り道が続いている。しかし、今は、ほとんど通る人もなく、雑草に覆われている。 明治十九年(一八八六)、旧飛騨街道の改修が行われ、庵谷峠を越える新道が作られた。それまで牛でしか越せなかった峠道が、荷馬車の通行ができるようになり、輸送量が飛躍的に増加した。 「細入村史」
『細入地域の史跡・見学ポイント』ガイドブック 企画・編集 佐田 保『片掛けの史跡・見学ポイント』 5 馬頭観音(P10) 片掛集落から庵谷峠への上り口に馬頭観音が奉られている。お供えの花が耐えることはない。地域の人たちが今も大切にお守りしていることが伝わってくる。 昔は、人々の生活と牛や馬は深い関わりを持っていた。田畑を耕し、物を運ぶのにも牛や馬が使われた。物を運んでいた牛が死ぬと大日如来を祭り、物を運んでいた馬が死ぬと馬頭観音を祭ったとのことだ。 片掛大渕寺前の馬頭観音には明治四三年(一九一〇)と刻まれている。 「細入村史」