神通峡ふるさと創生物語ブログ1:「神通峡かいわいの昔話」・「集落ガイド」・「神通峡のわらべ歌」・「神通峡民話物語」等 -32ページ目

神通峡ふるさと創生物語ブログ1:「神通峡かいわいの昔話」・「集落ガイド」・「神通峡のわらべ歌」・「神通峡民話物語」等

▪ツイッター(公式):https://twitter.com/jinzusosei2017
▪ブログ2:http://jinzu2016.blog.fc2.com/ 
▪ホームページ(HP):https://jinzu2016.jimdo.com/

塩出の池   富山市下夕

 



大昔の白鳳元年(六七二)四月のこと、砺波地方に住んでいた弥鹿岐(みろき)という人が、大沢野の芦生に用事があって舟を急がせていた。


たまたま塩村のあたりで、朝もやの中から白髪の気品高い老人が現れ
「お前をなかなかの人物とみこんで、仕事を頼みたい。このあたりの人々は塩がなくて困っている。ところが、このすぐ近くにきれいな泉が湧き、美しい池をつくっている。この池の水を煮つめれば、よい塩がとれ、人々も喜ぶのだが、大変な仕事なので、めったな人間に頼むわけにゆかんのじゃ」

といったかと思うと、老人はハッと光を放ちながら南の空へ姿を消していった。


 弥鹿岐は、これは尊い神のご支持に違いないと、さっそく教わった通り、たけなす草をわけていくと、まもなく美しい池のふちにでた。弥鹿岐は、人々を集めて一部始終を話し、力を合わせて塩を焼いてみると、すばらしいよい塩がたくさんとれた。

 

人々は喜んで、この池を「塩出の池」と名づけ、塩神である塩土老翁命をまつる多久比礼志神社をたてて、神の恩にむくいた。


大沢野ものがたり

 

いぼとりの水  富山市牛ガ増

 



 笹津と牛ガ増の村境に平岩という大きな岩がある。

 

 むかし、対岸の西笹津が大火になったとき、弁慶が馬に乗ってこの岩の上へ駆け上がって眺めたといい、今も馬の蹄跡が残っている。

 

 また、この岩に直径60センチほどのくぼみがあって、いつも雨水が溜まっている。この水を「いぼとりの水」といい、いぼにつけると効き目がある。


大沢野町誌

百足ガ淵   富山市岩木

 



 大沢野町の岩木の上に百足ガ淵という淵があった。神通川が底深く、うずを巻いて大変気味悪いところであった。
 この淵に十メートルもあるむかでの精が棲み、夏の日射しを好み、しばしば川原へはいあがって日なたぼっこをしていた。そんな時、真っ黒に光る背中と真っ赤な腹が鎧のように輝いているのがよく見えた。水に沈む時は神通川が黒光に光ったという。


 ある年のこと、神通村きっての水練の達人河原覚浄という人が、この淵に綱を投げたが、どうひいても綱があがらなくなった。

 

「さては例のむかでの化け物だな」

と思い、

「水潜りしてでも見参するぞ」

と広言すると、たままち一・八メートルほど舟を盛り上げた。

 

 覚浄は負けずに

「やいいい、怪物、卑怯であろう。姿を見せい」

と怒鳴った。

 

 すると淵の東の崖下に天女のように美しい女が現れたので、覚浄はなんと優しい化け物もいるものかと感心して、思わず舟端を叩いて誉めそやすと、女の姿がすっーと消えて、綱はスルスルと上ったという。


屑竜

下伏の大蛇と蛇骨  富山市黒瀬谷

 

 

 神通川の対岸黒瀬谷地区の下伏部落に田池というところがある。

 昔ここは湖で周囲は二キロメートルぐらいあった。そこは大蛇が棲んでいて、つねに濃霧を吐いて付近は昼なお暗かった。
 永禄二年(一五五九)の秋、ここからほど近い城生(八尾杉原)の城主に斉藤長門守がいた。

 家来に大蛇の出現をたしかめさせて、その翌春、弓の名手の奥野というさむらいに退治するよう命じた。奥野は勇躍して下伏におもむき、大蛇の出現を待ってみごとに射殺してしまった。同時に濃霧も四散して、それ以来すっかり明るくなった。長門守は大いにその功を賞した。
 その後富山の城主神保氏張、佐々成政が兵を合わせて城生城を攻めたとき、怪しい雲が城中にたちこめて守るすべがなく、間もなく落城した。

 これはひとえに大蛇を討ったたたりだといいはやされた。その後この池はかれて田になった。いまもその真ん中に深い深い溜まりが残されている。

 なおこの付近一帯に貝の化石が散布する。これを付近の人たちは、そのとき退治された大蛇の骨だと信じていた。蛇骨といってこれを粉末にして煎じて飲むと、オコリや淋痛に特効があるといわれていた。
 またこの説話から城生はひとつに蛇尾と書かれたこともあった。
 

越中伝説集

その59  闘鬼が岩の大トカゲ   富山市下夕

 


 

 下夕地区の芦生の神通峡に発電所ができる前、闘鬼が岩という伝説の大きな岩があった。
 ある年、この村の太兵衛という者が、水神を刻んでここに祀った。

 以前から八月十四日にこの水神様の前で導師を招いて、村の男たちで川施餓鬼を行っていた。

いつの祭りでのときでも、この岩のどこから来るのか四十センチくらいの大きなトカゲが現れて読経の間はまばたきもせずジッとしていて、お経が終わると姿を消すので、村の人たちは岩の主だといっていた。
 

越中伝説集