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神通峡ふるさと創生物語ブログ1:「神通峡かいわいの昔話」・「集落ガイド」・「神通峡のわらべ歌」・「神通峡民話物語」等

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とじこめられた天狗   富山市大久保

 



 大久保地区の法林寺の境内に、一本の大きな松の木がそびえていた。

 

夜になると、このあたりの名物の風が吹いて、ゴウッーとうなりをあげ、バサッ、バサッと大きな枝をゆすり、今にも襲いかかろうとする構えをみせるので、人々はここをさけて通った。


 この松の大木に、いつの頃からか天狗が住みこみ、真夜中にバラバラバラットと屋根に小石を降らせたり、寝ているうちにふとんをぐるりとまわしておき、朝起きた人が変な顔をして首をかしげているのに興じたり、子どもをさらって二、三日かくしておいたり、とにかく村中が大さわぎするような事件を起こしてはおもしろがっていた。


 明治の中頃、法林寺では寺のまわりに石垣をめぐらした。
すると、その晩、住職の枕元に天狗が現れ
「わしの住んでいる松をどうして石垣でとりかこんだのか。とじこめられてきゅうくつでたまらん」

というので
「石垣をつくろうが、つくるまいが、寺の勝手だ。お前がああこういう筋のものではない。かえってこちらが家賃をもらうのがあたりまえだ。だがお前の出方ひとつで、松だけ石垣の外にでるようにしてもよい」

と答えた。


天狗はよほど困っていたとみえて
「どのようなことでもするが、一体その出方というものを教えてくれ」

と、さもさも弱りきった様子だった。


住職は今だと思って起き上がり
「お前はいたずらばかりして村の人を困らせてはおもしろがっている。これからは一切いたずらはやめることだ。今後一回でも悪いことをすれば、石垣どころか、松の木を切り倒してしまうからそう思え」

と声を荒げて叱った。


天狗は
「もう決していたずらはやらぬ。後生だから石垣の外へ出してくれ」

と何度も頭を下げて消え去った。

 

住職は翌日、さっそく石垣を積みかえて、天狗の松が外に出るようにしてやった。


大沢野ものがたり

ガメの石像  富山市岩木

 



 大沢野の岩木にガメの石像をまつった「ガメの宮」がある。


 むかしむかし、大沢野に用水をつくる名人がいた。


 ある日この男の家に

「あんたの命は残り少ない。今のうちによいことをしておくことだ」

と警告した。男はとても元気で、病気ひとつしちことがなかったので、笑い飛ばして信じなかった。


 ある日のこと、男は息子をつれて舟で乗り出し、岩木のあたりの淵にさしかかった。突然、息子が足をふみすべらしあっというまもなく、水中へドブーン。男は息子を助けようと、続いて飛び込んだが、二人とも沈んだまま再び帰ることがなかった。


 人々はガメの仕業といって、再びこのようなことがないよう、ガメの石像を刻んでまつったものである

山火事止めのまじない   富山市芦生

 



 芦生の焼野、川向いの楡原に焼倉というところがある。

 

 昔、毎年のように霜月(十一月)の巳の日になると、きまって山火事が起きた。付近の村々の人たちは山の神様のたたりだとたいへん恐れていた。


 ある年、旅の六部の僧が、ちょうどそのころこの村に泊まり合わせ、村人のおびえている様をみて、

「麦のいり粉をふりかければ、たちどころに消えるであろう」

と教えてくれた。


 百姓たちは半信半疑だったが、いり粉作って待っていたところ、案の定、火の手が上がった。そこですかさず火をめがけていり粉を投げかけたところ、火勢はみるみる衰え、とうとう消えてしまった。


 それからは、毎年霜月の巳の日には必ずいり粉をつくり、いろりの隅に供えるまじないをするようになった。その後山火事は絶えてないという。


大沢野町誌

腹痛をおこす水  富山市黒瀬谷

 



 腹痛をおこす水  富山市黒瀬谷

 戦国のころ、八尾町にある城生城は、代々斉藤氏が守っていた。この城は飛騨勢の越中侵攻に対しては、地の利もよく、善戦健闘し連戦連勝していたが、天正十年(一五八二)から翌年にかけ

て、佐々成政の軍勢に、越中側から攻められたため遂に落城した。


 しかし、この合戦での斉藤勢の戦いぶりはめざましく、一時は佐々の大軍が敗退して、富山で軍勢のたてなおしをせねばならぬほどであった。従って、城生城のまわりには激戦地のあとが多く、中でも葛原の井戸山は、佐々勢が飲料水を得た場所であるが、これが斉藤勢に襲撃され、最大の激戦地となり、佐々・斉藤両軍の戦死者がうらみをのんで数多く倒れた。そのため、その血が今もしみこんでいるといわれ、このあたりの清水を午前十時以前に飲むと、腹痛がおこるといわれている。


大沢野町誌

がめの宮  富山市大久保

 



 大久保用水の上流岩木付近、神通の清流が足下に渦巻き、青黒い淵をなすところに、がめの宮がある。

 

 用水の下を掘った深い淵で、奥行きも知れない洞になっていてものすごく、いつしか魔の場所と見られるようになった。

 

 ここは用水の損傷が多かったので、「がめ」の石像を祭ったところ、その後あまり被害がなくなった。

 

 用水関係者は毎秋この祭りを行っている。


大沢野町誌