『細入地域の史跡・見学ポイント』ガイドブック  企画・編集 佐田 保 | 神通峡ふるさと創生物語ブログ1:「神通峡かいわいの昔話」・「集落ガイド」・「神通峡のわらべ歌」・「神通峡民話物語」等

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『猪谷の史蹟・見学ポイント』

 

13 殉職教員慰霊碑(P16)

 

 
 神通川には、長年、下夕地域(舟渡、小糸、伏木)と猪谷をつなぐ橋が、なかった。下夕地域の人々は、神岡鉱山軌道の眼もくらむような猪谷三井鉄橋を、危険を承知で、通行して、神通川を渡っていたのである。
 昭和二十三年(一九四八)、新制猪谷中学校の建設に伴い、下夕地域に住む中学生の通学の安全から、舟渡と猪谷をつなぐ吊橋を建設することになった。工事は、順調に進み、昭和二十四年(一九四九)、下夕地域の人たちにとって、念願の橋が完成した。
 村の橋梁検査を終え、九月二十六日には、県の検査を受けるという九月二十二日のことである。国指定の天然記念物になっている「猪谷の背斜・向斜」の地層を観察するため、新設されたばかりの猪谷新橋を渡っていた八尾区域小学校教育研究会の先生たちが、突如、吊橋のワイヤーを支えているアンカーボルトが破損し、吊橋もろとも落下し、神通川の激流に呑まれるという大惨事が発生したのである。この事故で、二十九名の先生が殉職した。慰霊碑が、吊橋落下地点近くの川辺に建てられた。現在、慰霊碑は、旧猪谷小学校校庭に移設された。
 この事故の後、下夕地域の人たちは、猪谷へ渡る橋がなくなり、再び、神岡軌道猪谷三井鉄橋を渡らねばならないことになった。細入・下夕両村は、再度、同じ地点に強力な吊橋を建設するべく、強力な請願運動を展開した。この努力によって、昭和二十五年(一九五〇)、国・県の補助を受けて、再び吊橋の建設が着工され、翌昭和二十六年(一九五一)四月一日、悲願の吊橋が完成し、「神峡橋」と名付けられた。このようにして、下夕地域に住む人たちが、安心して神通川を渡れるようになったということである。
 昭和四十年代に入り、細入村と下夕地域を直接結ぶ橋が、続々と永久橋化されていった。昭和四十四年(一九六九)、猪谷から下夕地域の舟渡に至る神峡橋が、猪谷駅前から直線で繋がる形で、永久橋化され、旧神峡橋は取り払われ、今に至る。
「細入村史」参照