23歳の時のセガンティーニの思い出・・・・・・中野の夜 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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23歳の時のセガンティーニの思い出・・・・・・中野の夜

「画家なら誰が好き?」と聞かれ、私は「いろいろいるが、今はセガンティーニ」と言ったのです。すると、彼の目が今でもはっきり覚えていますが、「いやあこんなところでセガンティーニが好きな方にお見えかかるなんて嬉しい」と彼は握手を求めてくるではありませんか。」

       中野の居酒屋で・・・23歳の思い出

世紀末作家がそのころ好きでした。ベルギー象徴派、やら、ラファエロ前派ばかり見ていたころです。サラリーマンでしたから、自分ではまたキャンバスに向かう夢は叶わず、魂の井戸の中に、好きなイメージを放り込んでいたころです。

北海道で生まれた天才漫画家の岡田史子はラファイロ前派の絵の圧倒的な影響を受けていて、私も大切に彼女のcomicは持っています。クノップフやら、カルロス・シュヴァーベやら、ギュスターヴ・モローやら、アンソールやら、キリコやら、クリンガー、クリムト、デルヴィル、ドニ、ビアズリー、フアブリ、ブレイク、ベックリン、ホフマン、マクドナルド、マルタン、ムンク、モーラン、ラン村、ルドン、ロセッティ、ロマーニなとなど、当時はまたそれらの画家の画集は滅多にありませんでしたから、ネットもありませんでした。少ない資料を手に、何回も何回も、クロッキーしたり、見入ったりしたことが懐かしいです。

セガンティーニ。好きです。思い出もあります。

彼の本物の作品を上野美術館で数年前に見ました。

ふくやま美術館蔵でしたか、「婦人像」

 渋くてまだ彼が世紀末的な雰囲気なスタイルに達する以前の若い時の作品なのでそのデッサンのすごさや色彩の探求にひかれます。なにやらこの暗い雰囲気はジョイスのダブリン市民の「姉妹」の部屋の蝋燭を連想させますね。宗教のある国の作品です。

 セガンテイーニの私の大好きな作品のひとつ、「嬰児殺し」を描いた作家で、まさかここで出会えるとは思っておりませんでしたので、いやあ嬉しかったです。

 この作家については、不思議な思い出があります。美術手帳を買った時にあまりにもその表紙が美しい油絵だったので、当時23歳だった社会人になったばかりの私はいつも会社からもどるとその美術手帳にくいいるように見とれておりました。(私は早生まれだったので、23歳で苫小牧のダイエーのテナントの店長になりました。今から考えると、よくまあ年上の女性たちとよく一緒に仕事をしたと懐かしさよりも、自分の若さ=馬鹿さ=パッションだけを、思い出します。年齢は仕事には関係ないと思いますね。その時にやればなんとかなると、自分で自分に言い聞かせては仕事していました。月に一度、東京の会議で、ガンガン、成績のことでやられるのですが、がはは。)

 まだまだ社会にも慣れず、いつも会社からもどるとヘトヘトで、足が棒のようになり、風呂に入るとあとは本も読んでいるうちに寝てしまうという日々ですから、絵画を見るという楽しみは時間も短くてすみますし、深くこころにしみ入るものです。

 <33年前の美術手帳は今でも手元にありますがまっぷたつに割れておりボロボロですが私の大切な一冊の書物ですね

 そんなある日、社会人になってから、3年程して出張がいろいろあるような立場になり、中野の駅の近くの居酒屋でひとりビールとつまみでちびちびやっておりました。

 横となりのおにいさんが、やはりひとりでじいっと考え事をしておりました。

 私も孤独を楽しんでおりましたが、そのうちにそのお兄さんと言っても私よりも5つ程年上だったかもしれませんが、話しかけて来たんです。

 「絵がお好きなんですね」

 なぜそのような台詞から始まったのかまったく覚えていませんが、とにかく、何か私が美術書かなにかを鞄の中に忍ばせていてそれに彼が気付いたのかもしれませんね。

 私もかなり酔っていたので感じのいい男性だったので、「ええまあ」とか、曖昧な答えとともに、次第に彼の話にひきこまれていったのです。

 要は彼も絵が好きで、クレーが好きです、と言いながら彼の美学を語り始めました。私が今の私ならばクレーの話も出来たのでしょうが、23歳の頃の私は彼の話にはついていけずに、ただ相づちをうつのが精一杯。

 「あなたは画家ならば誰が好き?」と聞かれ、私は「いろいろいるが、今はセガンティーニ」と言ったのです。すると、彼の目が今でもはっきり覚えていますが、「いやあこんなところでセガンティーニが好きな方にお見えかかるなんて嬉しい」と彼は握手を求めてくるではありませんか。(当時、私が好きだった「嬰児殺し」のタイトルが、今は、「悪しき母たち」に変更になっているのかもしれません。美術手帖の画像です。)

 いやあ、まいったなあ、とか思いながら私も酔いがかなり廻っていましたし、もう11時過ぎでしたね。

 どうせ明日の会議は昼からだし、今夜はのんびり、酒でも飲もうかというところだったので、話もはずみ、絵画・文学・映画・と話がすすみ、最後に「僕の家にきてください、すぐそこなんですよ」と誘われまして、真夜中の一時くらいに彼の部屋にいくことになったんです。

 はっきり覚えています。

 駅をまっすぐに歩き、左にまがって、路地に入り、そのつきあたりの木造のアパートの一角でした。

 月がくっきりと頭上にあり、風もありませんでした。

 ただ、彼のはいていた下駄の音が耳に残っております。

 彼は自分の部屋で、コップにまた日本酒をついでくれ、自分の会社のことをたんたんと喋っていましたが、私は部屋の中をさりげなく見ていました。

 茶の鞄が無造作に壁にかかっており、ラジオがあり、狭い部屋にオーディオの安っぽいシステムでシューべルトのピアノ曲を聞かしてくれました。

 クレーの複製の絵画もそこで初めて見まして、彼は情熱的に語っていましたね。

 不思議な夜でした。

 時間が止まり、私は明日の会議の事など忘れて、彼に御礼の握手をして二時頃彼のアパートを出て、カプセルホテルのサウナに入ってから、いろいろ考え事をしておりました。

 なんで彼はいきなり、私に話しかけて来たんだろうか。

 なんで、絵画の話なんかになったんだろうか。

 それでも、彼の部屋は貧しかったけれども、何か知性を感じさせる品の良さがあり、忘れられない部屋ですね。オンボロアパートでも、ショパンがかかり、クレーの話が飛び交い、セガンティーニについて語れるのならば、彼の人生は充実しているのではないでしょうか。(それから10年くらいしてふと思い立ち、当時のアパートを探してみましたが、すでに解体されて、なくなっておりました。・・・・ ) 私たちは、名刺なども交換もせず、お互いの住所や名前を聞くこともなく、握手をして別れました。

 そしてこのような話というのはいつも日常生活から非日常の神秘感をわずかな間であっても私の心に生み出してくれます。

 セガンティーニ。その他の世紀末の作家たち。

 ここで出会った「婦人像」はミラノの富裕層の御婦人だろうが、生活のために富裕層の女性達を描いたセガンティーニの複雑な気持ちも伝わってくるようでしたね。

 そして、私はまた、明日の戦いのために中野のカプセルホテルで、眠りに落ちていました。