マルタ・アルゲリッヒ 飽満しきった俗物根性などにまったく無縁な彼女 かっこいいです
退職後。絵を描き、ウィスキーをがぶ飲みしながら、jazzレコード500枚とクラシックレコード300枚、毎日、五時間くらい聞きながら、小説を書いたり、絵の構想をまとめたり、してました。
植草甚一氏がいうように、レコードはジャケットのいいやつは、中身もいいんです。
今や、レコードが見直されて、レコードで楽曲の発表をする音楽家が増えました。しかし、わたしがレコードを日本の古本屋を回って仕事の合間に、買いあさっていた頃。レコードは買い叩かれ、100円から300円くらいで、売って
ましたからバンバン買いました。
わたしにとって、jazzはおまんじゅう、クラシックはおせんべい。どちらも、それぞれの楽しみ方があります。
たまたま、東京にいた頃に、ピアノをある先生に習っていて、転勤がなければなあと 今でも悔しい思いでいっぱい。昨年亡くなりました。涙。先生のことはまたかきたいです。
独学で練習はすれども細かな点ではわからないことがですぎますしね。昨日はなぜか、その先生のことをずっと考えていました。
というわけで、その先生が今ドメニコ.スカルラッティの毒にやられていたことを思い出して、昨日 掃除しながら、聞いていました。
不思議な音色。
いろいろ調べても資料が少ないですが、ホロウィッツやらアルゲリッヒが好んで弾いているのだから、何かを感じさせる毒つまり魅をもっているのだろうと思いました。。
私は19歳、若い頃に、魅力という字の中になんで「鬼」という字があるのだろうかと考えていました。
醜い、という字にも「鬼」が潜んでいます。
「鬼」が「毒」のことで、それは、美にもなれば醜にもなることを人生の中で、嫌というほど味わいました。
ところで、アルゲリッチ。
<マルタ・アルゲリッヒ>
ラベルとドヴッシーが得意と聞けば、私なぞ、おっときます。
いろいろ調べてみましたが、やはりこのあたりの曲弾く方らしく超絶技巧の持ち主です。早い 正確。
フジ子・ヘミングさんならなんて言うかなあ、なんて。笑い。
でも、アルゼンチン生まれというのが私のイメージを膨らませます。ボルヘスの故郷。
16歳でプゾーニ・コンクールで優勝。24歳でショパン・コンクールで優勝ですからね。8歳頃には、ベートーベンやモーツアルトも弾いていたらしいです。
三回離婚して、三人の娘がおります。皆、有名ならずとも音楽の道を歩んでいますのでアルゲリッヒは幸福な方でしょう。
2005年には光栄なる第17回高松宮殿下記念世界文化賞を貰っておりますし、別府アルゲリッチ祭というのもあるらしいのですが、詳しいことは知りません。もしも彼女がくるのなら一度ぐらいは彼女の演奏を生で見てみたいものです。
ギーゼキングと同じ程の記憶力があるそうで、ラベルのト短調の協奏曲を初見で弾いたらしいです。
●今聴いているのは、アルゲリッチ、の、プロコフエフのトッカータ作品11と、ラベルのピアノ協奏曲ト長調です。バッハの
トッカータも泣けます。
プロコフエフは1891年生まれなので、私の年表からだとゴッホの死んだ翌年に生まれております。
アメリカに亡命しているのはロシアでのゴタゴタです。まったく、共産主義は、芸術に理解がないですね。
すぐに退廃だ、退廃だと言います。芸術の持つ本質の「自由」と「生命力」が怖くて怖くてしょうがないんでしょう。
正義の押し売り。まとめたくてしょうがないんだから、あの連中は・・そして自分の思想以外には厳しい。情報統制。
それにしても、ラベル・ドヴッシー・リスト・このあたりのピアノ曲は素晴しいものがあります。
いやあ、生きてて良かったと思います。
よくクラシック音楽好きな男性のことを「孤男」と言うらしいのですが、「孤男」でけっこう。
このマルタ・アルゲリッヒの「孤女」ぶりも、カッコいいです。
だいたい、孤独も愛せないで何が愛せると言うのよ?
今日も掃除をしながら、レコードを聴いています。