グールドは夏目漱石の「草枕」を英語版で朗読もしたらしい
「これまで人間は物質的な富と文化的な富は考えて来たが、種の多様性の富については考えてこなかった。」 ウィルソン
昔の思い出。
今は亡き母。亡き父。
本の整理整頓をしながら、黒豆を煮る。
母がもういいよ、と言うが、いまいち、固い。
母は総入れ歯なのですべて柔らかく感じるのかもしれない。
父は固いと言う。
豆は固すぎてもこまるが、柔らかくても、まずい。念入りにゆっくりじっくり落としぶたをしながら煮るのが
美味い豆をつくるコツである。
私は何も味付けしない。
ただオリーブ油をタップリ、酢をかけたあとに、かけるだけ。
酢は保存食になるので毎日少しずつ食べるのがやめられないのである。
豆はそれに私のような毎日必ず酒を飲む男には必需品です。
不必要なものや毒を外に排出してくれる作用があると思いますね。
豆乳とともに、黒豆や、レンズ豆、大豆、小豆、などなど豆は種類が豊富ですし、味もそれぞれ違うのであきません。
ところで。ピアノ。
先日オークションで落札したモーツァルトの協奏曲の第20番の5人の聞き比べ。
三人目はアシュケナージ。
もう軽やかで繊細で日本人好みなのか、ハスキルの神秘とも違う完成されたような、いや完璧という言葉は似合わないかもしれない、成熟の極地の静けさというか、こころが突き動かされるピアノである。
気持ちゆっくり弾いているような気もするが気のせいかもしれない。
嬉しいのは、先日のユーチューブで紹介したグールドもそうなのですが、親日家というところ。
グールドも夏目漱石の「草枕」を英語版で朗読もしたらしいですからね。
東洋的なものへの没頭は、うれしいですネ。
このアシュケナージも妹さんが確か武蔵美大で教えていらっしゃった筈。
奥様がアイスランドのレイキャビクなのでロシアから確か亡命したあとにそこで暮らした彼は、和室をつくり、日本のいろいろな飾りを楽しんでいたらしいです。
想像ですが、床の間や、ふすま、掛け軸、日本刀、着物、そんなものに囲まれながら彼のピアノが弾かれたなんて素敵です。
サティの影響を受けたラヴェルはムスルグスキーの「展覧会の絵」を編曲しておりますが、この曲にもこだわりを持っていたようですね。
最後は日本でも指揮をしていたそうですが、そのころの私は仕事人間で彼の存在に気がつきませんでした。
もっと早くから彼の演奏や指揮を見ておけばとそれは後悔しますネ。
草枕 (岩波文庫)/夏目 漱石