白洲正子の本を吉祥寺で見つけて以来、読み続けています。 彼女は絵も描いています。 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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白洲正子の本を吉祥寺で見つけて以来、読み続けています。

彼女は絵も描いています。

一度、押入れにしまってあるそれを見たことがありますが、

彼女はやはり文章に生きて正解だったと思います。

私は在職中。

若い女子が祖母の着物を、例えば、逆に着てみたり、おはしょりをない着物(祖母さんの未丈が短いわけですね)を着ていたり、着物にブーツを履いたりして、年齢の近い女子のスタッフにそれを着付けの先生のように、叱ったりせずに、偉いねえ、偉いねえ、自分で着たんだね、わからないことがあったらまた着てね、と教えながら、着物のファンを、増やそうとしていました。

このモデルさんも、帯締めを忘れたとか言っていました。

着物は「着てなんぼ」です。

いくら高そうな着物を着たとしても、そこに遊びや、情緒を感じないガチガチの、道具だらけの着付け。

そんな見栄のための着付けよりも、若い人のとにかく、デートに着る、ファッションとして着てみる、ジーンズに羽織を合わせてみる、いいではありませんか。入り口なんですから。

正式の着付けなんかは、もっと年齢をとれば、自然と興味が出るはずで、長く着物と遊んでいれば、自分でも着れるようになります。

男性でも、黒人さんが、ネクタイに白ワイシャツ、それに着物を羽織って、かっこよかったです。❤️

題名「祖母の色無地着てみた」

水彩

imagemusic 椎名林檎- 浴室 from 真空地帯

白洲正子の言葉 → 現代の茶道も華道も、多くは真髄を喪失し、「言葉」の世界に脱した感があります。口にわび・さびを唱えながら、さながら社交界と化している。なるほどお茶はつき合いには違いないが、単なる「おつき合い」ではありません。またお行儀を教える場でもない。和敬静寂といいます。互いに和しつつ敬うことによって成り立つ静寂の世界―――少しまずい表現ですが、そういうひたむきな境地であるはずです。が、現実に行われることは何か。互いに競争しつつ巻き起こす騒音の世界、とでも申しましょうか。きものはきもので競い合い、流派は流派で宣伝し合う、肝心の茶も花も忘れられた形です。

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