狂気に支配された永田洋子を描く。 「正義病」は、ここでも、見境なく人を殺し、見境なく革命を歌 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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読書記録。「神曲地獄篇」

ただいま、絶版傑作。手に入らず。やっと手に入れる。

まさか、私が大学に進む時に、永田洋子の幼少期を過ごした神奈川の港北区に、自分が住むとは予想だにせず!!!!。

昭和46年11月。私が、高校二年生の頃。この事件は起こった。

三島由紀夫の自決の翌年である。

例の浅間山荘事件につながる

その前の連合赤軍が、榛名山中に作った、榛名ベース。

そこで。狂気に支配された永田洋子を描く。

「正義病」は、ここでも、見境なく人を殺し、見境なく革命を歌う。

「殺せ、敵を殺せ」と永田は、血を求めるように一匹の悪鬼と化す。同士殺戮の記録。

この後に、彼らは、浅間山荘の事件へと流れ込む。

彼らの信じていた神がいる。

毛沢東。

習近平が毛沢東になりたがっているのは有名。

そのバイブルの「毛沢東語録」の中に、ある、「愚公、山を移す」という有名なる章。

それを信じ、中国共産党の夢を実現しようとする彼ら。

そこに、地獄が待っていた。

「正義病。」!!!!!

彼女たちが通過する後には、おびただしい死体が並んでいた。

自分の夢を信じ込むことに夢中の自分たちが、まさか地獄を作っているとは決して夢にも思っていなかったはず。

これを「正義病」といふ。

プーチンが、ウクライナが降伏することが、ロシア化することが、ウクライナにとっても、幸福なことなのだと信じることと同じ。

「正義病!!!!」

それに反対するものは、ナチになる。

「ああ、自分が信じた思想のために、憎い人は死んでもいい、憎い人を殺せ!!!!、ああ、なんたる狂人たち!!!!」

-小林秀雄

 問題は、今でも、彼女たちを信じる左翼の塊あり。

 これが、日本を破壊するのだ。

三島由紀夫は、文化防衛論の中で、「共産党はその本質として、いいことばかり語るけれども、一旦政権を取ると 、そこには拉致 盗聴 言論自由抑圧 弾圧があるだけ」と書いています。

その「正義病」を見抜いていました。

小林秀雄は、その「様々なる意匠」の中で、プロレタリア文学の意匠性について語り、「夢を語るだけの 現実をしっかり見ない文学は文学になり得ない」と書いている。

 人は、汗をかきながら、満員電車に揺られ、必死に働くことで、人になる。それを否定して彼らは悪しき夢を見る。

  新聞を見よ。「無職」の事件がなんと多いことか。

 資料  永田洋子

東京都本郷区元町(現・文京区本郷)出身。生まれた2か月後に横浜市港北区綱島に疎開し、小学4年までは父親が勤務する電機会社の寮に住んでいた。1963年に共立薬科大学薬学部に入学、在学中に共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派の学生組織(社学同ML派)の活動に参加するようになり、1964年5月に社学同ML派に加盟する。

1967年の卒業後は、慶應義塾大学病院の研究生となり、同病院の薬局で無給の医局員を務めた後、東京都品川区の三水会病院や済生会病院に勤務。この間、1967年5~6月頃、かつて社学同ML派に参加していた縁で、社学同ML派元幹部河北三男と川島豪による分派「警鐘」にオルグされ参加、女性解放問題やボーナス団体交渉などの労働運動にかかわり、一定の成果を挙げるが、その後組織からの指示と本人の希望で、薬剤師の仕事を辞め、活動に専従する。

その後、三里塚闘争で活動し、「警鐘」と日本共産党を除名された神奈川県の親中国派が合同した日本共産党(左派)神奈川県委員会を経て、河北三男と川島を指導者とする日本共産党(革命左派)神奈川県委員会のメンバーとなる。革命左派(京浜安保共闘)では、石井功子、川島陽子とともに「京浜安保のおんな3戦士」と呼ばれた。