【複製】たまたま、文芸春秋の古本をめくっていて、三島由紀夫氏が自決したあとの奥様、平岡瑤子さんの |   心のサプリ (絵のある生活) 

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たまたま、文芸春秋の古本をめくっていて、三島由紀夫氏が自決したあとの奥様、平岡瑤子さんの非常に気が利く、如才のない行動を読んでいて感心した。

 これまでは、三島由紀夫氏は生涯の研究テーマとして本を読んでいたけれども、奥様のことについては、あまり考えたことはなかったのは、自分の手落ちだと思った。三島由紀夫は共産党はartは産まないということで、あるいは、羊の皮を被っていても、中身は狼だと。一度政権を取ると、もう拉致監禁、国際法無視、三権分立の無視、マルキシズム宗教の世界。それを預言していまた。しかし、奥さんの話は昔の作家はあまりしないのが普通。

今のように女子がまだそんなに強い時代ではありませんでした。

 たしかに、彼はまさに男も女も愛した両性具有者もアンドロギュヌスだったし、そのことについても澁澤龍彦氏のはがきにもそのことにかなりはまっていたことを書いていたことを思い出す。

 私は彼のたんなる愛読者であり、深く読み込んでいこうとは思っていても、学者ではないし、論理的に論考を積み重ねていく力も気力もない。

 しかしながら、彼の瞳を見ていると、その強い圧力感のある目に威圧され、いつも勇気をもらえるし、励まされる。まだまだ、やれよと。

 元内閣国防会議事務局長の伊藤圭一氏の文章。

 1970年当時、広報課長だった彼のところには、航空会社やら生命保険やら、新人研修として、体験入隊の依頼がたくさんあったらしい。

 私が、以前努めていた会社もまた、新人に自衛隊の三日間の研修をしていて、新人時代にお世話になり良き経験をつめたと思う。

 思い返すと、昭和51年だから、1976年です。

 三島由紀夫氏が、市ヶ谷駐屯地で自決したのは、1970年です。

 その彼がなかなか興味深い話をこの文芸春秋で書いています。

 たとえば、私も以前記事にしましたが、東大全共闘との討論。これも、普通の広報課長である伊藤さんに、気持ちもリラックスしていたのでしょう、「今の若い人のしゃべる言葉はわからない、こちらが質問しても、答えにもならないような答えが返ってくる」とあるところが、おもしろい。

 たしかに、あの東大全共闘の彼らの言葉の、頭でっかちな、自己陶酔しきった、言葉の遊びとさへも言えない饒舌の嵐には、私も何回読んでも辟易とするひとりであります。

  円谷選手の自殺について、きちんと正座してカミソリで頸動脈を切って自殺したことに感動していたといいます。

 また、彼の遺体の若々しかった事。

 腹を横一文字にきちんと切っていたこと。これは、江戸時代でさへ、切腹はかなり儀礼的になっていて、腹に脇差しを突き立てた途端にバッサリやってたらしい。

 ところが三島由紀夫氏は、腹を横一文字に切ったあとに、首を介しゃくされています。

 検死のあとに、自宅にもどった三島由紀夫氏について、「りっぱなお棺に入っていたけれども、その支払いはどうしたらよいのか」、平岡瑤子夫人から、電話があった話。

 あとで請求が行くと彼が語ると、瑤子さんが、良かったと言われたこと。

 平岡瑤子さんが、事件に関わった人のなかで、怪我をした人にひとりひとり、謝罪してまわったこと。

 三島由紀夫氏がたてこもった総監室の、ソファ、机、カーテン、絨毯、すべて血にまみれており、破壊されていましたから、すべて交換しなければいけなかったこと。

 それらのすべての補償額が、600万、当時のお金ですが、かなりの金額。

 それを瑤子さんが、すぐに支払った事。

 以前、開高健の奥様がかなりの悪妻ではなかったのかという記事を書きましたが、この三島由紀夫氏の奥様は、その意味では、まったく違うタイプ。

 例の「憂国」のシネマは、平岡瑤子さんが、すべて焼却処分をしたのですが、彼女の死後、息子さんの自宅から、きちんと、茶箱に丁寧に、ネガフィルムと、その他「憂国関連の資料」が保管されていることがわかったそうでが、資料にはその感動がこのように書かれています。

2005年(平成17年)8月、それまで現存しないと考えられていた、1966年(昭和41年)公開の三島の自主製作映画『憂国』のネガフィルムが、威一郎邸で発見されて話題を呼んだ。これは三島自刃の翌年の1971年(昭和46年)、同作品を忌避した瑤子夫人の要請により、上映用フィルムはすべて焼却処分にされたものの、共同製作者藤井浩明の「ネガフィルムだけはどうか残しておいてほしい」という要望で、瑤子夫人が自宅に密かに保存していたものであった。茶箱の中に、ネガフィルムのほか、映画『憂国』に関するすべての資料が数個のケースにきちんと分類され収められていた。ネガフィルムの存在を半ば諦めていた藤井浩明はそれを発見したとき、「そこには御主人(三島)に対する愛情と尊敬がこめられていた。ふるえるほどの感動に私は立ちつくしていた」と語った