美しい花がある。花の美しさというようなものはない。
小林秀雄
今や。世界は偽情報。プロパガンダの世界です。お花畑や、美辞麗句に誤魔化されず、しっかり、現実を見ていきたいものですね。
妻が来岩見沢市。
試験を受けにきました。
二人で家の大掃除中。
一昨日はmpホールでの昭和レトロバンド演奏。愛と努力について、お話。
友美さんの唱歌関連みんなで歌おうヒント満載。
勉強します。
絵を50点ほどmpホールに飾らせていただきました。
ありがたや。
帰省してからの10年間。
絵の創作あり。友達とのお祭りあり。母の介護、父の介護がありました。
今年の3月に父が空を飛びました。
そんなことも含めての、フツーの人間のフツーの生活の小さな小さな工夫。手垢に塗れた言葉と手垢にまみれた発想に喝を入れる音楽。癒しの音楽。
宮廷に招かれた農民たちが、音楽を生まれて初めて聴いて、失神したとか言います。
平安時代などなど。日本でも能の音楽や踊りを生まれて始めた見た人の感動やいかに。
化学データーによれば。
最初に感動した好きな曲の感動度合いは、何回も聞くたびに一時はピークになるものの。段々にそれはピークが過ぎて、下降していきます。
それで、人は、スピーカーの音量を上げざるを得ません。
あるいは、違う人の声で聞いたりもしますね。
生まれて、土を耕し、人生50年の昔。働いて、親孝行が大事と教えられ、やがて見合いで結婚、出産、子供の成長を見守り。
気がつくと孫ができて、赤子、娘、嫁、妻、姑、・・・何回も脱皮しながら、50歳にして死す。
そんな時の一年に一度のお祭り。
リオのカーニバルが終わると、私生児が今でもたくさん生まれると云ふ。
日本でも、そんな記録が残されています。
祭り。
小林秀雄が、そのことをこう表現しています。
「 歴史の中に埋もれたる人々を救い出す網を考案すること、それがartの役割である」
ちょいと。ニュアンスは違うかもですが。
要は、「感動」ですね。
その意味では、何も 絵や音楽や書道などの芸術でもなくても良いのですね。
感動があれば。
名もなき草木を見てハッとして、見惚れて農耕の手を休めたり。夕焼けに飛んでいく鳥たちをぼんやりと感動のまま眺めたり。
川のせせらぎに、耳を立てては、聞き入ったり。
そして。お祭り。
一年に一度。普段の鬱屈した気持ちをそこにぶつけて、神輿を担いだり、声を出したり、太鼓に合わせていわばドリーミングして、酔いしれるわけです。
感動。
魂を揺さぶること。
これから、友達の庭園でランチを食べてきます。
岩見沢市快晴。お天道様に感謝。
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