ベニシアさんの死について |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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  • 彼女を見ててね。やはり貴族だったんだね。「足るを知る」があるもんね。太宰治が庭でおしっこをする描写をしたときに、三島由紀夫が怒って、貴族はこんなことはしない、と、それから太宰のことをキラつたんだよね。文章は上手くても勘違いというか、知らないことは書くな、ということよね。太宰は、大衆の人を描くのがうまかったしね。三島由紀夫は貴族かどうかは知らないけれど。自分のことをよく知ってたわ。それでも、小林秀雄から、「彼ほど自分のことを知っている人だけどそれでも、完全には知ることはできなかったはずだ」と、自決の時に泣いたんだよ。意識して自決したんじゃなくて、大きな渦の中で、そういう運命の中に突っ込まなければいけなかった、彼のことを考えた時に、心がつながったんだろうね。小林秀雄だけは泣いたんだよ。
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    • 結論言えばね。もう 水野さんは俺だし 俺はベニシアさんだし。こうやって彼女のことを話しているだけで彼女はピンと体感しているのよ。ここあそこ。今ここで。体感しているのよね。だから、量子論の理論学者でも死は存在しないという人がいるけど、そういう意味だと思うよ。人の個人の意識レベルの限界ってあるからね。ある意味、麻薬やLSDもまた、その垣根を取っ払って、みんなが一体になる触媒なんだけど。それを認めたら、国がなくなるからね。ガハハハ。ある意味、古来の村社会の中の、麻薬キノコをみんなで食べながら、火の周りで、踊って、酔って、一体になって、夢をみる。ドリーミングよね。そこで、啓示をみんなでウケるんだけど。それまた、豊穣な作物の感謝とかね。土のことなんだよね。土って、本当にすごいわ。庭の雑草とって、その上に水かけとけば、ウィルスが、腐敗発酵させてね。堆肥になるんだから。堆肥という言葉がいけないね。要は、みんな次の生命 命の ヘルプをしているということよね。きっと、ベニシアさんが今頃、どこかで、バース、リーインカネーションしているし。彼女のミームは世界で飛び回って、悲しんでいるだろうな

    •  友達 三島の死は自己の美学の完成の帰結です。
 
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        他人が羨む理想の暮しをしても天寿はありますね ←うん、俺は彼女も俺の中に生きているから、いいのよ。ミームというんだけどね。ご存知のように。本とか記事とか、脳の中に、ミームとして、伝染するのよね。artの遺伝子。ミーム。誰が考え方知らんけど。確かにそう思うのよ。彼女のなまえも知らん人でも。彼女のあの品のある笑顔と庭とか森のハーブ、←と言っても、普通の草木や雑草なんだよね。ミントなどなどね。日本人が失った、鉄の湯沸かしとかね。着物とか。物を大事にするわけよ。断捨離というくだらない発想ではなくて。一つ一つの時間や物を大事にしてね。それが、ものが心に、なっていく瞬間なんだわ。日本人なら昔はみんな持ってたんだけど。今は、部屋をただ、広くしたいだけ。ゴミで全部投げて、スッキリした。とかくだらないよね。それはただの掃除の気持ちよさよ。ガハハハ。断捨離の中には、物に対する愛情があって初めて、お別れがあるのよね。世界でも、もの 物質 イコール  魂。という発想のある国は おそらく 日本だけだと思うよ。中国の昔も文化はすごいけど。そうではないし。ある意味、唯物論的。西洋は、二元論だから、魂と肉体は別々だろうしね。肉体の量子論的な結論は、分子原子だろうけど、魂や記憶もまた 分子原子だと思うよ。もう一体よ。脳だけが、記憶の花束ではなくて。肝臓腎臓、特に腸なんかは、かなり魂が宿るところだと思うな。CWニコルさんが、神父さんと喧嘩したのがそれよ。犬は天国に行けない、と言われて、日本の黒姫山に来たんだから。日本はヤオロズ、たくさんの神様。どこにでもいるある、そこにもいるある。だから、死んだら、空を飛んで、ここにもそこにもあそこにもいるような、仏教的に言えば空よね。空。それでも、またリーインかネーションしてね。違う生物になってね。無生物と生物の境界線はないから。飛んで飛んで。

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