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中村光夫  現代文学史

 

 

現代小説の性格を明かにするためには、昭和期の文学の由来と沿革を知らなければならない のですが、そのくわしい歴史を述べることは、もとよりこの小冊子では不可能です。 昭和文学の歴史を書くことは、それを現代という意味にとる限り、誰がやっても無理でしょ
う。
大体現代史というものが可能かどうかは疑問ですが、とくに文学史の場合は、ある時代の好 みや偏見の正体は次の時代になってみなければ決してわからぬものであり、文学の文学たる所 以は、それらの産物でありながらそれを越えたところにあります。したがって、同時代人の判断の上に築かれた歴史は、砂上の楼閣にひとしいのです。
しかしそれでいながら、さまざまな現代史が絶えず書かれるのは、僕らに自分の生きている 時代の性格を知りたいという強い要求があるからでしょう。 すべての現代史は、「現代史への試み」であるはずですが、この「試み」も、あながち無価値とはいえません。 それは歴史というよりむしろ歴史の資料ですが、ある時代に生きた個人の証言がなければ、 歴史がなりたつはずもないのです。
そうなると、同時代人の特権は非常に大きなものに見えてきますが、そこにおのずから限界があるのはいうまでもありません。 ある時代に生きたということが、必ずしもそれを知ったことを意味しないのは、自明のことですが、それならば僕らが自分の生きた狭い範囲の過去をよく理解し、記憶しているかという と、これもそうは行かないのは、少し齢をとってみれば、誰にもわかります。「往事茫々」と いう言葉の通り、過去はどんなに近くのものも、放っておけば闇に消えてしまいます。
自分の過去を正確に思いだすためにも、現在の欲求や虚栄心にわずらわされぬほとんど無私 の努力が要求されます。過去のある時代の再現も本質的には同じことでしょう。