童話民話、神話、最近はまっていて読んでいるのですが、ほんとうに楽しいですね。
河合隼雄氏がとことん読み込んでいたことがやって理解できるようになった気がしています。
この「きれいになったおよめさん」、作者のアンナ・ツッソーバさんはあとがきに書いていますが、「日本人は働き者が多いでしょう。ブルガリアでも怠け者は嫌われます。」と。
この絵本もただ「働かざるもの食うべからず」という道徳的な訓戒を書き込んだものだけの本なんでしょうか?
私はそうは思いませんね。
某作家が「生活、そんなものは召使いにやらせろ」とか、某ホラー作家が食えなくて餓死したとか、頭のいい人ほど脳髄の迷路に迷うのですね。
小林秀雄氏が書いていましたが、昔は挨拶をしない人は村八分にされたとか。つまり、個人個人の尊重という前に、厳しい現実や自然を前にしてまずは村全体で戦わなくてはならない集合体としての結集の魂が尊ばれたわけですね。
現代では、逆に、個人の尊重ということが優先視されますからね。その分、人は楽になったかもしれませんが、共同体からの抜け出した孤独を味わっているところなんです。
植村直己氏の素晴らしい北極南極関連の旅冒険記録を私は大好きなのですが、かつてはエスキモーの古き風習として自分の嫁さんを大事な旅人に一晩貸す事が大事な儀式としてあったのですね。今は、キリスト教文化が入って来ていますから、なくなりつつあるようですが・・・
このあたりのこともただ、現代の女性たちの道徳観から、常識的に、考えれば、女性からのヒステリックな声も聞こえそうですが、歴史の事実は事実であり、興味深く研究する価値があります。
人はひとりではいきられない、こんな簡単なことがみんな忘れ去ったのが現代だということですね。
ひとりで無人島に行って、油絵を書きながら海の魚を食べながら生きて行くことは素敵だとは思いますが、まあどんな人でも、一年しかもたないでしょうね。
以前読んだ某作家。何年もかけて金を貯めて、ゴーギャンよろしく南の島へ退職後、隠居したらしい。やはり、最初の感動は一年ほど。パリやら都会の喧噪がしだいに、彼の胸のなかに忍び込んで、人が恋しくなって行ったのでしょうね。ほどなく、都会にもどったとか。
やはりどんなに人間関係がわずらわしく、嫌な奴がいようと、やはり神様がそのような試練を自分にあたえてくれたんだ、なにやらその嫌な奴と自分とが、縁があるのだろう、そんな考え方も必須ではないでしょうか?
私も会社時代、嫌いな人達はもちろん多々おりましたが、竹村健一氏が言ったように、「嫌な奴とつきあえ」という真実はあったと思います。
今となれば、皆いい思い出になりました。
嫌な奴の嫌なところというのは、実は自分の心の投影であることも、そして自分が彼等から逃げれば逃げるほど彼等が心の中に現れることも学びましたね。
逃げることもせずに、自分自身と少しだけおれることができるようになったと思われる今彼等のことは私の心の中に憎しみとしては現れてきません。
少しだけでも心の成長を促進させてくれた彼等に感謝。
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「きれいになったおよめさん 」 アンナ・ツッソーバ
両親から、ただきれいに装って、そこにすわっていなさいと教育された美しい娘。
結婚してからも、その親から言われたとうりにしていたのですね。
美しいのですぐに結婚の相手が見つかったが、遅くまで寝ていて仕事はしないです。
皆が働いているのを見ながら、晩ご飯となりました。
「あら、ローザのぱんはどこかしら」奥様が言うと、だんなが
「ローザは働いていないから、おなかがすかないんだよ」と、
パンをくれません。
ローザはおなかがすいて、ぺこぺこ。
また次の日も次の日も同じように、旦那の父親がいいます。
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そこで。
ある日、ローザは早起きして、乳搾りをしたり、庭の掃除に夢中でやりました。
なんと、汗がでて、気持ちが晴れやかです 体調も良くなった気がします。!!!!!!!。
夜になって、晩ご飯。
父親が、たっぷりのスープと一番大きなパンをローザにわたして・・
「ローザは今日一番はたらいたからね。一番お腹がすいているんだよ。たくさんおたべ」
きっとローザは、ニコリと、して、久々に美味しい夕ご飯を食べたことでしょう。
ブルガリアというと、ヨーグルトくらいしかしらない私でしたが、トルコに古来占領されて来たきびしい歴史もあり、こんな童話が生まれたのかもしれませんね。
こんな本も書いています。アンナ・ツッソーバ