昨日も、うさぎという動物のイメージが各国によってまったく違うということを描きましたが。
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おもしろいものです。
日本では、可愛がられていますし、たしかうさぎを抱ける「うさぎ喫茶」みたいなものも、都会にはあって、世界中から本物のうさぎを抱きしめてみたいと、外国人が集まってくるとか。
聞いた話しでは、たとえば、オーストラリアでは、うさぎは、いないらしいですね。
というわけで、この本にひかれて読み始めました。
兎のイメージは、普通はピーター・ラヴットや、その他の絵本でもどちらかと言うと、優しき気質の持ち主という感じで描かれています。
でも、この絵本の中のうさぎは、もう、賢く、悪知恵たっぷりのオオカミにも怖がらずに挑戦するたくましいウサギです。
その感じはこの木版画がびったり雰囲気をつくりあげていますね。うさぎとおおかみのちえくらべ/パブロ ゴンサレス
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物語の原型は日本にもある「くわずにょうぼう」の物語と似ていて、捕まえられた野うさぎが、お百姓さんにまるまるに太らされて、ご馳走にされそうになり、そこから脱出する劇。
アンデルセンの「ヘンデル&グレーテル」でも、魔法使いのおばあさんに捕まったヘンデルがやはり、火で焼かれて食われそうになりますね。
「くわずにょうぼう」の話しは、ここに記録しておきましょう。
あるところにとってもおかねもちなのに、とっても、けちんぼうな男がいました。
なんとかぞくにおいしいものを食べさせるのが惜しいと。
だからかぞくなんかいらないというどうしょうもない男でした。
ある夜のこと。<
そんな男のところに、ほっそりとした、すきとおるような、しろいはだの黒髪の美女が、
「わたし、ごはんをたべないで、ちゃんと
よくはたらきますわ だから あなたのにょうぼうにしてください 」
「ええええ?」
「ごはんをたべないでちゃんとはたらくなんて、うそだろう? 」
「さあ あさごはんよ。 あなたにたべてもらいたいいっしんで いっしょうけんめいつくりました。」
「ほんとうだ、すごいごちそうだ」
「うまいうまい、ごはんをおかわり」
「おや、おまえはたべないのかい?」
「ええ、あなたがたくさんたべてくれれば、わたしはまんぞく」
にょうぼうは、にこにこ、わらっているだけです。
ひるになっても、よるになっても、さらに次の日も、その次の日も、ごはんがたくさんでてきて、またおいしい。
「うまいうまい、ごはんおかわり 」
「おや、おまえもすこしは、食べたら 」
「ええ、あなたがたくさんたべてくれれば、わたしはまんぞく」
にょうぼうは、にこにこ、わらっているだけです。
またその夜、いいかおりのするあたたかなお酒に、やまめのしおやき、ふろふきだいこん、きんかんのかんろに、まだまだいっぱい。
「うまいうまい、おさけもおかわり 」
「あの、ほんとうにおまえ食べないのかい? 」
「ええ、あなたがたくさんたべてくれれば、わたしはまんぞく」
にょうぼうは、にこにこ、わらっているだけです。
おとこは不思議でした。
あさはやくから、よるおそくまで、なにもたべずに、よくはたらき、ほとんど休むこともありません。おまけにいつもにこにこと、ますます、うつくしくなるばかりでしたから。
「うーん、ほんとうになにも食べずにあんなにはたらけるものなのだろうか?」
不思議で不思議でその夜は男はねむれませんでした。
だいどころからは、あすのあさのためのごはんのしたくのおとがきこえてきます。
男はますます眠れません。
すると、真夜中のことです。
「がったん」とつぜん、おもての戸があく音がしました。
そしてだれかが、ひつそりといえをでていくしずかなあしあと。
「おや、あのあしあとはにょうぼうだ。こんなおそくにどこへいく?」
にょうぼうが向かったのは、いえの裏のだいこんばたけ。
なんだ、あしたのだいこんをぬきにきたんだ、そう思って男がこえをにょうぼうにかけようとおもったそのしゅんかん。
「おおおおおおっ うまい、うまい」
どろまみれのだいこんを三本一緒にそのももいろのちいさなくちびるでまるごとかじったのです。
つぎに、おとこがこおりついてうごけないまま、見たのは、うしごやにいくにょうぼう。
「おおおおおおっ うまい、うまい 」
いっぺんにりょうてにさんとうずつ、うしをひきずりだして さくらのつぼみのようなくちで、なまにくをむさぼりくいはじめるではありませんか。
「でも、こんなではものたりないから」そうにょうぼうはつぶやくと・・・・
うつくしいくろかみのなかから口が。
「でもちょうどよいころあいだったわ。おまえもおいしそうにふとってきたし、さあではたべるとしようか」
おとこはこしをぬかしそうになりながらむがむちゅうでにげだしましたが、とうとう、にょうぼうにおいつかれて、あたまからばりばりとたべられてしまったということです。
おしまい。
この民話はどの地方の民話なのか調べてみたくなりますね。笑い。
ある日、うつくしい女があらわれて・・・
いろいろな物語をつくっていくんですね。
女性とはまったくもって不思議な生き物ですよ。
そんな庶民のため息のなかからこの民話が生まれて語り継がれて来たんですかね。
ああ、おんなは・・・
いやいや、そんな一般論でくくってはいけません。
ひとりひとり女性の個性はちがうんですからね。
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ところで。・・・・・・・・・「うさぎとおおかみのちえくらべ」にもどります。
オオカミに、「ねえおおかみさん、肉をたらふく食べたくないかい?」と聞きながら、ウサギはまんまと、檻のなかの自分をオオカミとチェンジしてしまうのですネ。
それを翌日見たお百姓さん。
オオカミが、ウサギを食べたと思い、オオカミをめちゃめちゃに打ちのめします。
「よくもだましたなあ」ひいひい言いながら、酷い目にあったオオカミが森のなかで、またウサギを見つけるのですが、
ウサギは、「おおかみさん、そう、おこらないで。だましてほんとうにごめんよ」
「おわびにあの丘の上にいる、まるまるとした羊をプレゼントするから。すごいごちそうでしょう?」
ここでも、不思議なことにまたまた、おおかみはだまされます。
大きな石に羊の皮をかぶせて、丘の上から、ウサギはオオカミの待っている場所におとしたんですからね。^^
とまあ、そんなこんなで、ラストシーンに続くわけですが、オオカミは完全にウサギ君に、完敗です。やはり、力よりも知恵という時代を象徴するかのような絵本でした。
物語のパブロ・ゴンサレス氏も、絵を描いているオスヴァルド・ハリルさんも、ブラジル生まれです。昨日の新聞にも、ブラジルが世界でも、一等国になったという故・名前不詳失礼 氏の記事がありましたが、まさにこのウサギは、えげつなくもたくしまい、そして、したたかな生きる知恵を持つブラジルそのものなのかもしれませんね。
この力まかせの、肉好きな負けオオカミが、日本のイメージにならないようにひたすら祈るしかありませんね。
ポターの興味深い映画もありましたが、あの顔系は好きな顔です。
また、彼女の動物に対する観察力や、動物への愛情は敬意を感じております。
フロプシー、モブシー、コットンテール、そして、ピーター。
この名前が良いですね。
イギリスのロンドン生まれのビアトリクス・ポターさんの絵本ですから、日本名にすると、ひろしくん、たかしくん、ゆりこさん、そして、たろうくん、というところだろうか? 笑い。
この絵の「わんぱくなピーター」の顔もいいですねえ。
私の持っているこのしかけほん、「ピーターラビット」1988年発売の古書は、おとうさんが、マクレガーのおじさんの畑にいってつかまり、そこのマグレガーおくさんにパイにされたという脅しをかけているのにかかわらず、ワンパクピーターが畑にいって、おじさんに追いかけられ、そこの畑から抜け出せなくなり、泣いてしまうという話。
最後は、なんとかくたくたになりつつ、抜け出して、家に帰って病気みたいになり、おかあさんの作ったカミツレ茶を煎じて飲むはめになります。
くいしんぼのピーターの目の前で、フロプシー、モブシー、コットンテールは、ミルクと、パンと、ブルーベリーのごちそうをパクパク・・・。笑い。
ビアトリクス・ポターの童話を読んで感じるのは、やはり、その他のヨーロッパの古い絵本作家同様に、自然に対する深い愛情と、観察ですね。
調べてみますと、やはり、彼女はイギリス帝国のヴィクトリア朝時代の裕福な子供たちがそうであったように、幼少時代はベビーシッタとガヴァネス(家庭教師)によって育てられ、 また、他の子供たちとあまり関わることなく、イモリ・蛙・蝙蝠・ウサギなどを飼い始め、小動物や植物に興味を抱くようになります。
何時間も飽くことなく観察し、外出や遠出の際にペットもよく一緒に連れて行っております。
ピーターラビットのモデルになったウサギも、この頃飼っていたというわけですね。そしていつもスケッチをかかさなかったと・・・
たとえば、犬を飼わなければ、犬は「玉葱」は絶対に食べさせるなということがわかりません。
うちの近所の犬が、知らずに玉葱を与えて、口から血を吐いて死んだらしいですからね。
そんな、動物たちとの、特に兎が大好きだったからこそ、観察の集大成としてのピーター・ラビットが誕生したのでしょう。
不思議の国のアリスが近所の可愛い女の子に話聞かせるためにチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン=ルイス・キャロルが小説にしたように、ビアトリクス・ポターもまた、友だちの息子さんに贈った絵手紙のイラストがスタートとか。
コノ顔です。笑い。
なにやら、おかあさんに首をしめられて、こらしめられているような絵ですね。
しかも、ピーターは歯をかみしめて我慢しているような・・・笑い。
資料A
もっとも古い日本語訳は、1918年に子供之友(婦人之友社発行)に掲載されたものとされてきた。しかし2007年、1906年に発行された日本農業雑誌(日就社(現読売新聞社)刊)に「お伽小説 悪戯な小兎」(松川二郎による訳)というタイトルで、一部に日本向けアレンジを加えた日本語訳が掲載されていたことが判明し[5]、それまでの世界最古の外国語訳とされてきた1912年発行のオランダ語訳をもさらに遡る翻訳と認定される可能性があると報道された。
資料B
古事記[編集]
『古事記』中の大國主神の文のうち稻羽之素菟(稲羽の素兎)に関する内容の現代語訳と原文を示す。[2]
大穴牟遲神(おおなむぢのかみ=大国主神のこと)には兄弟(八十神)がいた。八十神は大穴牟遲神を嫌っていた。八十神は、稲羽の八上比賣(やがみひめ)に求婚したいと思い、稲羽(いなば)に出掛けた時、大穴牟遲神に袋を持たせ、従者のように引き連れた。
「気多(けた)の前」に来たとき、裸の兎(あかはだのうさぎ)が伏せっていた。兎は、八十神に「海塩を浴び、山の頂で、強い風と日光にあたって、横になっていることだ」と教えられた通りに伏せていたが、海塩が乾くにつれ、体中の皮がことごとく裂けてきて、痛みに苦しんで泣いていると、最後に現れた大穴牟遲神が「なぜ泣いているの」と聞いた。
菟は「私は隠岐の島からこの地に渡ろうと思ったが、渡る手段がありませんでした。そこで、ワニザメ(和邇)を欺いて、『私とあなたたち一族とを比べて、どちらが同族が多いか数えよう。できるだけ同族を集めてきて、この島から気多の前まで並んでおくれ。私がその上を踏んで走りながら数えて渡ろう』と誘いました。すると、欺かれてワニザメは列をなし、私はその上を踏んで数えるふりをしながら渡ってきて、今にも地に下りようとしたときに、私は『お前たちは欺されたのさ』と言いました。すると最後のワニザメは、たちまち私を捕えてすっかり毛を剥いでしまいました。それを泣き憂いていたところ、先に行った八十神たちが『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と教えたので、そうしたところ、この身はたちまち傷ついてしまったのです」といった。そこで、大穴牟遲神が兎に「今すぐ水門へ行き、水で体を洗い、その水門の蒲(がま)の穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつければ、膚はもとのように戻り、必ず癒えるだろう」と教えたので、そうすると、その体は回復した。これが、稲羽の素兎(しろうさぎ)である。
その兎は「八十神は八上比賣を絶対に得ることはできません」と大穴牟遲神に言った。そのとおり、八上比賣は八十神に「あなたたちの言うことは聞かない」とはねつけ、大穴牟遲神に「袋を背負われるあなた様が、私を自分のものにしてください」と言ったため、今では兎神とされる。