Anybody can sympathize with the sufferings of a friend, but it requires a very fine nature to sympathize with a friend's success.
誰でも友人の悩みには共感を寄せることができる。
しかし友人の成功に共感を寄せるには優れた資質が必要だ。
オスカー・ワイルド
嫉妬心!!!
人間にとって、最悪の、こころの状態。
これをコントロールできないと、人は、決して幸福にはなれないようにも、個人的には思いますが。
テレビなどでも、清原をはじめとして、ひとびとは、それらの犯罪・失敗・挫折・にはとことん、強い興味をしめします。
そして、そこから這い上がろうとする姿には感動を持って拍手することができますが。
しかしながら。
それは、バーチャルのテレビなど、遠い存在だからこそ。
自分の知り合いや、親戚友人だと、そうはいかないでしょう。
嫌ですね。金銭がらみ。
マライア・キャリーの兄が、彼女の再婚に反対という記事がありましたが、それもそのひとつかもしれません。
「彼女は、実の姉に使う金よりも、自分のペットに使う金の方が多いんだ」とか、たしか、そのようなことを、言っていましたが、
言葉は悪いですが、自分の家族のひとりが、突然金持ちになれば、自分もその物質的な幸福にあやかりたい、・・・・・・それなのに、なんで・・・というところでしょうか。
ところで。嫉妬心。
心理学者バスの研究によると、男性は女性の性的な浮気に激しい嫉妬心を抱き、女性は男性の精神的な浮気に、嫉妬心を抱く。
そんな言葉もまた、ありますね。
なんであれ、私はいつも思うのですが、この嫉妬心は、人類にとって最大の危険なこころのあり方。
そのコントロール方法をマスターしなければ、とうてい、精神的な至福は訪れることはないと思います。
その嫉妬心をテーマにした映画。
「死の刺」原作は島尾敏雄。
990年 カンヌ国際映画祭 審査員グランプリ
日本アカデミー賞主演男優賞・主演女優賞
日刊スポーツ映画大賞主演女優賞
太平洋戦争末期、特別攻撃隊として駐屯していたトシオは、島の娘ミホと恋におちた。出撃の時は訪れぬまま終戦を迎え、やがて2人は夫婦となったが、子どもが生まれて平凡な毎日を送っていた中、トシオの浮気が発覚する。
考えさせられる、深刻な映画です。
原作、島尾敏雄の大傑作作品でしょう。
・・・・・・・・・
次に。
映画「船を編む」今頃見ました。
とっくに世の中の人は見ている映画。
それを今頃、楽しむ。
三浦シオンの作風については、資料に、
家族を描く作品。
特徴的な関係性を描く作品。
1つの仕事や物事に真剣に取り組む人たちを描く作品。
哀しいこと、恐ろしいことが、必ず起こる影を描く重い作品。
エッセイでは、爆笑日常エッセイと、活字中毒者として本とマンガの魅力を語るものに分かれる。
とあります。
私は、ここ最近の小説は、あまり読まないので、彼女の小説はあまり読んだ事はありません。
ただ、映画と小説は別物ですから、この映画は映画として見ました。
宮﨑あおい。
松田優作の息子。
最初は、龍平に違和感があったけど、あれが彼の個性なんだなあとしだいに納得。
レインマンのダスティ・ホフマンのように演じれというのは無理か。
取材に取材を重ねて、描かれた原作。
辞書づくりが、なるほど、このようにしておこなわれるんだという視点を獲得。
人が人生をかけるに値する職業。
そして、また適正もあると思う。
極端に少ない言葉台詞。
静止画像のような画面。
深作監督なんかと比較すると、西洋画と浮世絵くらいの違いがあります。
無意識でしょうが、能の影響を、溝口監督などをとうしてか、
その伝統もあるのでしょうか。・・・・・・・・
平面的な静かな画像画面。
それでも、「用例採取」というキーワードともに、この映画は、
まわりつづける。
「まじめ」という意味深な言葉づかい。
「かぐや」という意味深な言葉遣い。
とにかく、まじめが、住んでいる◎◎荘の二階。真夜中、仕事に疲れて、猫の声を聴いてふと、ベランダにでると、かぐや姫のような彼女にばったりあう、そのかぐや姫のイメージの画面に、満月があり、猫がのんびり眠っている。
このシーンは大好きだ。
「いっしょけんめい」という言葉があるけれども、誰でも知っているように、この言葉は、
「一生懸命」と「一所懸命」というふたつの意味がある。
普通は一生懸命という意味を使うでしょうが、ほんとうは、「一所懸命」だという。
つまり、ひとつのところ=一所、に、命をかける・・・・・・・・という意味。
辞書作り、そのための編集部、そこで、15年もの時間・歳月をかけて、命をけずるようにして、
辞書をつくっていく。
大家のおばさんがなくなり、信頼する辞書の権威でもある尊敬する先輩がなくなり、・・・
信頼する同僚が違う部署に移動。
それでも、彼は、その「場所」=「一所」に命をかける・・・・・・・
そういう行為が、美しいんだ、人に感動を与えるんだという意味では、この映画は、
かなりのヒットをしたのだと思う。台湾でも、ヒットしたらしい。
石井裕也監督の他の作品。
この頃は、いろいろな歴史の書物をひもといても、かなりの日本人の迫害がさかんなころ。
とある西欧の白人の有名な学者さん、日本人女性と結婚しただけで、村八分にされたとか。
そのあたりの、歴史考証の本も少し読んでからこの映画を見ると、また違う感動もでると思います。
「ぼくたちの家族」
著者の早見和真が自らの実体験を元に描いた作品。自らの母親が2008年に余命宣告を受け、新たな病院を探していた2010年1月から連載を開始。過酷な状況下であったが、母親が亡くなってからでは美化してしまうと考えてあえてこの時期からの執筆に踏み切った。当の母親も「私の治療費を取り返して」と応援してくれ、父親も息子が小説を書いていることを喜び、周りに配っているという。母親は5年の闘病後、2013年9月に亡くなっている。
2011年3月に「砂上のファンファーレ」というタイトルで単行本が発売されたが、2014年、今作を原作とする映画の公開を機に改題され、映画のタイトルと統一されて文庫化された
この「ぼくたちの家族」はまだ見ていませんが、気になります。
合わせて、「ひゃくはち」とともに、視聴したいと思います。
絵本。・・・・・・・・・・
絵本は大好きです。
ジョン・バーニンガム John Burningham
1936年イギリス生まれの彼、1964年にはじめて手がけた絵本『ボルカ』でケイト・グリーナウェイ賞を受賞しております。
1971年には、80日間44000マイルの世界一周旅行をしたおり、日本にも立ち寄り、それが絵本『80日間世界一周』となったとききました。
作品『おじいちゃん』は、エミール/クルト・マッシュラー賞を受け、アニメーション映画にもなっています。
絵本作家のヘレン・オクセンバリーと結婚し、3人の子どもがいるというのは、すごいですね。オクセンバリーの書評は先日書きましたが、彼女の作品もすばらしいです。
やはり、日本童話の作家たちの絵と違います。
よくもわるくも、西洋の絵画の伝統にもとづく、線ですね。
デッサンからしっかりしているせいか、マンガっぽいのに風情を感じます。
どうですか、この馬、ハンバートの顔。ロンドン市長の馬車がこわれたときに我先にアグレッシィプにのりこんで助けた馬の自慢げな顔・・^^市長さんの横にすわり嬉しそうにごちそうをほおばっていますね。笑い。
これはこわれる寸前の友達の馬車ですが、このパレードを見ていて嫉妬に狂う^^ハンバートでありました。
世の中は不公平だ。
ふだんは、おとなしくのんびりすごすハンバート。こどもたちと遊ぶのが大好きで、りんごをもらっては、嬉しそう・・・
物語はほんとうに単純で、ロンドン市長のパレードの時に、自分が選ばれなくて悔しい思いをする反バートなのですが、ピンチはチャンス。
たまたま、壊れた市長さんの馬車にかわって、自分のまずしいけれどもしっかりした馬車を提供して、市長さんから褒められるだけなんですが・・・
馬の表情がいいです。
得意な顔。
寂しい顔。
くやしい顔。
のんびりした顔。
リンゴをもらってうれしそうな顔。
ほのぼのとする良い絵本です。
水木しげる 奇談 貸本・短編名作選 異形の者・吸血鬼 (ホーム社漫画文庫) (HMB M 6-6)/水木しげる
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Amazon.co.jp ( これは水木氏の違う作品群です。)
・・・・・・・・・・・・・・・
絵本とマンガ。
どちらも好きです。
こころが落ち着きます。
この13人の漫画家のホラーはどれも傑作ですが、水木氏のこの短編、テレビの「ゲゲゲの女房」がありますので、ひとしお、笑えます。
やはり、女房が怖い方が、良い作品が描けるのだと思いますね。
ひとりの漫画家が、最近その中身がつまらないと友人の漫画家に忠告されている。
何かあったのか、親切な友人がその何かおびえているような漫画家に言う。
たまには、つきあえとばかり、金もないのにふたりはある居酒屋へ。
そこで、漫画家は、自分の女房がとにかく怖いと告白する。
あまりにも焼酎が美味いので、どんどん飲みながら、女房の恐ろしさを告白する。
あれは人間ではない・・・・・と。
三時まで飲んで、気がつくとふたりとも、お互いの懐をあてにしての宴。
あわてて悲鳴をあげるも、ヤクザ風のお兄さんに追われる始末。
溝をかきわけ、土管のなかに逃げこむ。
水木しげるの得意な、おならをしてしまうので、土管の中は臭くてかなわない。
なんとか突き切ると、そこに人間とは思えないような連中が宴をしているが、土管から
逃げたい二人は思い切って出口を聴く。
ところが、「お前を待っていた」とばかり、漫画家は、裁判にあってしまい、約束をやぶった刑にて死刑となる。
気がつくとそこには自分の女房がいるではないか。
群がる悪魔たちにすっかり骨まで食べられてしまう漫画家。
友人の漫画家も、びっくり仰天、なんとか必死に土管から逃げ出し、自分の職場へともどるが、誰も信用しない。
気がつくと、自分の煙草を吸っている後ろにあの食べられた漫画家の女房がすわっているではないか。
あなたはもう逃げられないのよ。
漫画家は、結局、無理矢理結婚されられるはめになる。
そうして、彼の漫画がやはり、最近おもしろくなくなってき
たと言われるようになる。
彼は思う。群衆はこれまで平凡な人間ばかりでできていると信じていたのだが、まさか、男から男をわたりあるいている「それ」がいようとは。
そして「それ」は私の今の妻なのである。
怪奇幻想ホラーマンガ傑作選―名手13人が贈る恐怖の招待状 (文春文庫―ビジュアル版)/文芸春秋
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(今日のマンガ評は、こちらに入っています。)
水木しげるの系列。
絵画の世界でも。
若冲です。
吉川観方コレクションが福岡博物館に入った時に、この伊藤若冲の「付喪神図」もリストに入ったという。個人の蔵に入るとなかなか見られないので、不幸中の幸いというところ。
京都錦小路の青物問屋で生まれて、40歳で家業をしりぞき画業に入るとあります。
このあたりは、現代も当時もやはりアートだけで食って行くのがいかに大変かということですネ。
ふと、50歳を過ぎて妻の家業を支え、その妻の死後にようやくやっと文学の道に入った滝沢馬琴を思い出しました。
神様に支えられ長生きが出来る間は、いつになってもチャレンジができます。
アート=芸術の本質の中に「幼児性」というものが深く根ざしている事は誰しもが認めるところ。
子供の絵には不思議な力があります。
そして、理屈や理論を覚え始め理論武装しながらアートをやりはじめる若者。感性だけでも食って行ける時期でしょうが、年をとるたびに、感性だけでは勝負することはむずかしくなりますね。
よほど金持ちの息子娘でないかぎりは、好きなことだけをやって食べて行くことは至難の技。
世間のニーズというものを必死で手探りでさがすことも必要になりますね。
妖怪という「暗闇を畏れる子供の心の世界」をそのままに大人になっても和紙に映し出す伊藤若冲。素晴らしい画家だと思います。
もちろん彼の傑作として有名なのは、植物や魚などを描いたものでしょうが、水墨画のような作品もあります。
蛙の絵もあります。ユーモラスです。
好きなイラストレーターとして。・・・・・・・佐々木マキがいます。
この佐々木マキ氏。
この絵本は、1990年発売ですので、このころは、ささきまき、という名前だったんですかね。
1988年頃の「1973年のピンボール」村上春樹氏の本には、佐々木マキという名前で装幀装画しておりますから、絵本との使い分けのペンネームかもしれませんね。
モーリス・センダックと同じく、都会の生まれですね。神戸灘。
センダックはニューヨーク。
センダックは、小さな頃に、父親から空想話をよく読み聞かせしてもらい、4歳のときにはすでに、文章と絵で生きて行くことをめざしていたといいますからね。佐々木マキ氏もおなじようなことが幼児期にあったのかもしれません。
物語は、ただ、ねずみくんの旅。
ねむいねむいと、いつも言っているねずみくん。
一日中あるいて、すっかりくたびれて、ふるい洋館へ・・・
そこでであうふしぎな事件。
でも、それはひょっとしてかれのねぼけたあたまがえがいた幻想か?
ねずみくんは、からっぽのよくそうでねるのですが、水がどんどんあふれてきます。
それでもそこで、見る夢は、おかあさんに会いにチーズの山をのぼっていく夢。
そして、さがしていたおかあさんがいたんです・・・
夢もさめ、からっぽのよくそうに寝ていることを発見したねずみくん。
なんと、テーブルのうえには、チーズとパンがあるではありませんか・・・・
ここはやっぱりおばけやしきだったんだ。
そしてまたまた、ねずみくんは、旅をつづけるのでありました。
ねむいねむい・・・
つぎは阿久悠と、上村一夫。
素晴しいコンビ。
私の青春は、ある意味、この上村一夫の描く、「同性時代」のイメージとリンクします。
一枚一枚の、原稿は、もう完璧な「絵画」のレベルまで、昇華しています。
その彼も、ハードな仕事と、ハードすぎるおそらく「飲み過ぎ」で、逝く。
早すぎた死。・・・・・・・残念。
◎資料
神奈川県横須賀市に生まれる。1964年、武蔵野美術大学デザイン科を卒業。大学4年生の時に半年間アルバイトで勤務していた広告代理店、宣弘社のイラストレーターとして広告制作に携わる。宣弘社にてテレビの絵コンテを描いていた上村の隣のデスクに座っていたのが生涯の友人である阿久悠である。阿久悠は上村を「生まれて初めて出会った天才」と評している[1]。
1967年、アメリカの雑誌『PLAYBOY』風のパロディ漫画『カワイコ小百合ちゃんの堕落』を『月刊タウン』創刊号に発表。これが漫画家としてのデビューとなる。1968年には、放送作家としても活動していた阿久悠と組み、『平凡パンチ』にて『パラダ』の連載を開始。本格的な漫画家活動に入る。
1985年11月、下咽頭腫瘍で入院。1986年1月11日、死去。45歳没。
2013年4月、神楽坂artdish にて上村一夫原画展「花の輪廻」開催。トークイベント 『科学の子とエロスの子~愛娘トークナイト~神楽坂の夜は更けて』が行われた。科学の子とは手塚治虫の長女の手塚るみ子、エロスの子は上村の長女、上村汀である。
◎阿久悠資料
一度、阿久悠氏がアイデアを考えているところをテレビで見た事がある。
ぎっしり書かれた文字。創作ノートをちらりとみたが、三島由紀夫氏の創作ノートを連想するくらいに刺激的だった。
ありとあらゆる物・こと・からアイデアを出すと言った。
新聞から映画からテレビから人の話から喫茶店の雑談、うわさ話、ふと耳にした言葉、すべてが彼の言葉と生まれ変わって、歌詞になる。
ある意味、つねに、「用例採取」をしている辞書作りみたいなものなのだろう。
しかも、肉付けをしながら。
歌にならないものはない。
四分間の歌のなかにドラマを詰め込む。
時代と寝る、そんな言葉がある。
たぶん、モノを書く人ならば皆、憧れる言葉。
なかなか時代はそう簡単につかまってはくれない。
それで、みんな必死に女神をつかまえようと思索する。
阿久悠はたくさんのアーティストの中で、そういう時代をつかまえた男のひとりだと言う事は誰も否定しないと思う。
狂的な克己&好奇心。
演歌でさへ、彼の歌詞はなかなかしびれるものがある。
これは年齢なんだろうか?
いやいや、人のこころってそんなに変化するものではない。
コロコロ変わるから心なんだが、変わり方の法則って、いつの時代も方程式がある筈。
古くから学生の街だった
数々の青春を知っていた
城跡の石段に腰おろし
本を読み涙する人もいた
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターも
今はフォークのギターをひいて
時の流れを見つめてる
服装や髪型が変っても
若いこはいつの日もいいものだ
人生の悲しみや愛のこと
うち明けて誰もみな旅立った
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターの
かれた似顔絵
たまたまた、見つけたクリップ
上村一夫は、私の青春でもある。
阿久悠との関係はいつかじっくり調べてみたいものだ。
良くも悪くも、この年代の人達のたどりついた美学。
ところで、60をすぎて、マンガを描いている私はアホです。きっと。
でも、好きなことは気がつくと描いてしまうのです。・・・・・・・
とにかくサラリーマン時代は仕事没頭の日々ですから、マンガ創作については、高校・大学時代から一直線に今に連続しています。好きなことを好きなようにやるというのがもちろん、理想でしたが、し送りなどもせねばならず、サラリーマン時代は断念。今頃、やりはじめるということに。
まあ最後まで頑張ろう。どんなふうになるやら・・
やはりキャラも決めずに勝手に描いて行くと
こんなような感じになってしまう。
顔が同じに描けない。
同じ顔を描き続けるマンガって、けっこうむずかしいのです。
その作業がまたおもしろいのですが。
ところで、映画。
オードーリー・ヘプパーン、クリックで大きくなります。
テレビで夜寝る前の風呂と一杯の催眠酒の時間。
AKB48というのか秋元康の企画した女性達が招来の夢について一言語っていたが、皆、モデル・女優という言葉がほとんど。
そこにふと思ったが、良くも悪くも、環境面あるいは精神面にてかなり過酷な訓練をしない人は飛び抜けた女優にはなれないと思いました。
だから名女優というのは、努力+偶然が生む産物なのかもしれない。
普通の道の普通の日向に静かに咲いている花のほうがどんなに幸せかもしれない。
人里離れた崖っぷちの蔭に這うように咲く花は色形ともに不思議な形状をしている筈だと思う。
本人がそれを望んではいないのだが、運命というものなのかもしれない。
この新聞記事を読んでいて、ヘプバーンの伝記でも読んでみようかという気になりました。
オードリー・ヘップバーン(上)/バリー・パリス
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オードリー・ヘップバーン(下)/バリー・パリス
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もう彼女のような女優はでないでしょうね。
あの「瞳」は、そんじゃそこらの、庭には咲いていない花のひとひら、です。
ヒトラーという人はなんという近所迷惑な人であるか、そう平和民主主義者はいうでしょうネ。
もうこんな人はでてこないから安心してもいいでしょうが、純粋というものを追求していくとああなるのでしょうか?
ニーチェの本も最近また売れ始めていますし、いまだに彼の賛美者はあとをたちません。
人生の後半にボランティアにあけくれた偉大な女優。ヘップバーン。
やはり21世紀をはるかに超えて22、23世紀は子供を孕む苦しさを経験できる女の時代かもしれません。
マルキ・ド・サドなどの分析でも、彼が母親憎悪をしていることはよく言われる事ですし、やはり、世界が平和な時間と空間を共有するためにも「母親という女性の稀有なる期間」の人類ベースでの教育って必須かもしれません、そう思います。
美徳の不幸 (河出文庫―マルキ・ド・サド選集)/マルキ・ド・サド
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次なる映画は、
「メッセージ イン ア ボトル」
再視聴しました。
何回見ても、良いです。
しかも、英語の勉強にも最適。
昔死んだ妻が忘れられずに暮らしている父息子。
そこに現れた編集者の女性。Message in a Bottle/Nicholas Sparks
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最初は複雑だった父息子も次第に彼女に惹かれていく。
いくら体格がしっかりしていて、誰から見てもハンサムな彼に対しても
この父親は「you are my boy」と叫ぶ。
どこの国も父は父なんですネ。
そして、何才になっても息子は息子。可愛いんです。
このシーンは、「女がきめたことだからあきらめる」と言う息子に対して、
父親が「しっかりとつかまえろ」とたしなめるシーン。
「あんたには関係ない」と息子は言うが、父親はその言葉に切れる。
「何?
関係ないだと?」
「関係がなかったらこのオレはなんなんだ」
このわしには、誰がいるんだ? 気遣ってくれる人は・・・」
このポール・ニューマン、「傷だらけの栄光」が良かったです。「ロッキー」の以前のボクシング映画では最高傑作ではないでしょうか。彼のこの映画での渋い演技、たまりません。
原題は:SOMEBODY UP THERE LIKES ME というしゃれた題名。
◎資料から
アメリカの元・ボクシング世界ミドル級チャンピオン、ロッキー・グラジアノの生涯を描いた作品。ロバート・ワイズ監督、当初主演はジェームズ・ディーンに決まっていたが、撮影前に交通事故で他界、代わってポール・ニューマンが務める事になった[2]。また、スティーブ・マックイーンの映画デビュー作品でもある。
第29回アカデミー賞で撮影賞と美術賞(共に白黒作品部門)の2部門を受賞した。
そういえば、レノンとヨーコの作品にbeautiful boyという傑作があったこと、今思い出しました。
個人的なことですが、
最初の息子が産まれた時に、札幌で、休みの日などに、
よく聴いたものです。
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そうです。ダヴル・フィンタジー。彼が銃弾に倒れた日、はっきりと覚えています。はじめての息子が生まれた年でした。私は28歳。若かった。・・・・・
逃げられる筈だ
おいかけて、おいつめて、しっかりとつかまえろ・・・
いいですねえ。
まだ気持ちの整理がついていない・・ワシもだ。
ちょっとまて、こっちを向け。
あんたには関係ないだと?
誰がオレのことをきずかってくれる?
父親と息子の愛情。男性だけの、独特の、愛の表現。
言葉使いは乱暴でも、それは深く、こちらにつたわってきます。
阿久悠さんは、かつて、24人の小学六年生に、こんな言葉を残しています。
「船を編む」の世界にもリンクしています。
たくさんの言葉を持っていると
自分の思うことを
充分に伝えられます
たくさんの言葉を持っていると
相手の考えることを
正確に理解出来ます
言葉は道具ではなく
心と知性そのものですから
キラキラ光るものを
たくさん たくさん
持っていましょう
阿久悠
FIN