世界文化賞受賞の横尾忠則さん、浅田彰さんと対談 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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横尾忠則さん(大西正純撮影)

 ■自作は「永遠に未完成のままでいい」

 第27回高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞した美術家、横尾忠則さん(79)と、批評家の浅田彰さん(58)による対談形式のアーティスト・トークが23日、東京都港区の鹿島KIビルで開かれた。

 まず浅田さんは「僕を含む日本人が、世界が、ようやく横尾忠則を画家、アーティストとして認めるところまでたどりついた。受賞を機に、美術史における横尾さんのポジションを再確認すべき」と自己批判も込めて語った。「横尾さんが早くからグラフィックデザイナーとして世界的に認められるとともに、映画やテレビ、本や雑誌などメディアのあらゆる領域に遍在する有名な存在だったために、アーティストとしての深さがなかなか理解されなかった」と分析する。

 横尾さんは40代半ばでいったんデザインの仕事を封印、「画家宣言」をしたことで知られるが、ここ数年の間に「グラフィックデザインも絵画も、僕の中では区別がなくなった。グラフィックの経験を逆に利用すべきだと思い、絵の中にデザイン的な考え方や造形を持ち込むことも」と明かす。

 横尾さんの芸術世界は変幻自在で複雑に見えるが、浅田さんはこう解き明かす。「アーティストの中には非常に意識的に創る人もいるが、横尾さんの無意識は底が抜けていて、ありとあらゆる情報を無意識の中に取り込んでは、驚くべき生産力で創ってゆく。と同時に、どこかにデザイナーの横尾さんもいて、画面が混沌としてしまわないよううまく編集している」。そして「横尾忠則という一人の体の中で、西洋美術のあらゆる図像や日本の伝統、仏教美術その他がサンプリング、シャッフルされてゆくのが面白い」とも。 横尾作品につきまとうのは「死」だ。横尾さんは若いころ作家の三島由紀夫と深い親交を結んだが、死への向き合い方において「対極にあった」と浅田さんは見る。「三島さんは自決の日をあらかじめ設定し、死に向かって一直線に進んだ。一方、初期から自身の死亡広告を新聞に出したり『遺作集』を出版したりした横尾さんにとっては、死を先取りし死の擬態を反復することが生きることだった」

 来年80歳を迎える横尾さんはこのほど、新著『言葉を離れる』(青土社)を刊行。年齢を重ねるにつれ、人や物の名前がすぐに出てこなかったり、耳鳴りや難聴にも悩まされる中、「今後は言葉を離れ、体に従った創作をする」という宣言だ。「頭でやろうとすると体が抵抗する。最近は大作ではなく、小さめの作品に変わってきたが、僕の体が決定したこと」と語る。

 自作は「すべて未完成。永遠に未完成のままでいい」と言い切る。「(現代美術家の先駆け的存在である)マルセル・デュシャンみたいに人知れず遺作をつくってみたいが、あんなに確信犯的な人間じゃないからね。やり出したらうれしくて、『遺作をつくってるから見に来なさい』なんて皆に言っちゃうかもしれない」。時折こんな自虐を混ぜつつ、飄々とした語りで会場を和ませていた。(黒沢綾子)