図書館戦争を見て |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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札幌のJRシネマ館。
 最近ここで、時間をすごすのが楽しい。

 「マイ・インターン」「100年の恋」と、楽しめたので、期待して、この「図書館戦争」を見たが、がっかり。


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映画「図書館戦争 THE LAST MISSION」予告動画


 普通のサラリーマンや、OLさんならば、2000円も出してこの映画を見たら、きっと、もったいないことをしたと思うに違いない。


 テレビで見たり、せいぜい、ビデオレンタル店で、100円で見るのならば、ソンはないと思うけれども。


 私は、基本、淀川長治さんではないけれども、どんなつまらない作品にでも、ひとつやふたつは良いところがあると思うし、この映画も、もちろん、おおっというシーンは数カ所はあるけれども、そして、作者の、有川浩さんのファンが多いらしいので、彼らだったら、楽しめるのだろうね。


  ◎私は本の虫なので、図書館の内部のさまざまなる映像や、図書館における規約みたいなものは新鮮。
  ◎本物の自衛隊の全面的な協力を得ての撮影なのでこれまた、興味深いシーンがたくさんあった。



 しかし・・・・・「表現の自由=本を読む自由」を死守するというのは理解できるし、賛同するけれども。



 ・・・・・・・

 

 



 「図書館戦争」の元ネタ??かどうかは、わからないが、この映画が連想された。
 ただ、こちらは、ブラッドベリの大傑作。 (個人的にだが)






本が燃える温度は、(本の素材である)紙が燃え始める温度(華氏451度≒摂氏233度)なのだけども、それを題材にした映画を若い頃に、見た。


 尊敬するブラッドベルの「華氏451度」という作品である。



華氏451度 ハヤカワ文庫SF/早川書房

¥価格不明
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 映画もつくられた。



 この「華氏451度」という作品、小説や映画のなかでは、要は、テレビなどに脳細胞をやられて、単純な思考しかできなくなった人類の滅亡と、本による救済を描く。


 この作品の映画化は、まだ他にもあって、『リベリオン』 - カート・ウィマー監督のアメリカ映画作品で、本作を原案とする、思考(感情)統制され、書物が焚書される未来を描くSF。






 少数の人達が、燃やされる本のなかから、数冊の本を大切に守っていくわけだが、この「図書館戦争」の作者もまた、おそらく、見ていることだろう。
 有川浩。

 ファンも多そうで、この作品には、一作目があるらしい。
 私はそれは見ていない。

 かなりのアンケートで、男性と女性の比率は、女性が圧倒的に高いという。



 しかしながら。



 期待して、見たけれども、どうもはいれこめなかった。感情移入がしずらい映画だ。

 というか。


 「フルメタル・ジャケット」や、「プライベート・ライアン」、それに、最近ならば、「フューリー」や、「アメリカン・スナイパー」などの、戦争ものの、傑作名作を見ていると、
 戦争場面が、戦争にまったく見えない。



 この「プライベートライアン」と比較するのはかわいそうだが、しかし。

 
 この映画のなかの、戦いは、どう見ても、
 戦争ごっこ。



 「フューリー」など、ほんとうの戦争そのものを描いている。







 しかも、このヒロインの、榮倉奈々という女の子。(??まちがいかな  )
 天然というか、大胆なのは魅力だけれども、まったく、この映画では、浮いています。
 なんで、本を命をかけて守るのかということを、深くほりさげて、キャラづけされていないので、まったく、戦争ごっこにしか見えず。
 なぜ、命をかけて本を守るのかということが、丁寧に描かれていないからだろう。 


 これは本人の責任というよりも、シナリオが悪いんだと思う。
 彼女が、可哀想。



 その分、岡田准一は、良い意味で、ダスティ・ホフマン風な味があると思った。
 榮倉奈々が、背が高いんだから、彼の背の低さを強調して、役づくりをしても、
 またまた、原作とは違う味の、作品になった可能性があるだろうれども、もう遅し。

 (映画と原作小説は、まったくの別物)




 2019年の日本という設定らしいが、考証がきちんとされていないので、どうみても、今の現代の日本にしか見えない。

 そこで、図書館の中だけで、内乱のようなことがあり、銃撃戦があり、人が死ぬ。

 どう考えてもありえない。



 ちょっと考えたのだが、どうせ、原作を広げて、映画をつくるのならば、中国共産党に支配された後の日本の生活を描けばよかったのではなかろうか???



  ◎中国では、過激なビデオを見たものは死刑になると言う。

  ◎とうぜん、共産党の思想に叛逆するすべての思想や、書物、集会などは禁止され、その著者などは、逮捕されて、拉致監禁され、殺されたりもする。共産党という思想を信じている立場からすると、「俺たちが正しい」から、そのようなことをするわけだが、日本のような民主国家からするとありえない。


   ◎中世界に自国を広めて行くという中華思想にもとづき、その他の国を中国の属国にせんと、企んでいる可能性がある。

   ◎人類の理想を共産主義とはしながらも、結局はマルクス主義を都合のよいように、置き換えただけのシステムの国家であり、そこでは、賄賂と、さぼり、拝金主義が、蔓延している。


  というわけで、日本が、自国を自分たちで守ることも忘れて、気がつけば、中国の属国になっており、メディアはすべて、中国語、純粋日本人たちは、地下で、焚書にされなかった数冊の日本語の本を持ち寄って、日本語でコミュニケートする集団をつくりあげていく。



  これは私の勝手な妄想空想だけれども、こちらの方が、自衛隊のかなりの応援もあっていろいろな場面の撮影がスムーズにいったと言われているので、自衛隊の方にも喜んでもらえると思う。



  この映画のなかで、ひとつだけ、気に入った言葉は、

 「正しいことしか言わない人間だけしかいないの世界は、おそろしい」という言葉。

 
  自由社会。
 わたしたちが、守るべきは、どんな議論にせよ、今の日本やアメリカや世界の民主国家のなかでは、どんなことでも言える、それが許されているわけだし、その世界に、マンネリしてのほほんと住むあまりに、その自由というものの大切さが、わからなくなる、麻痺してしまうということが、問題なのだろうと思う。



(ただ、実際には、差別用語を使えば、筒井康隆に団体から文句がくる。このあたりの表現の自由の問題はかなりむずかしいが。ブログだって、書けないこともある。書く自由には責任もまた必須なのだ。)





 狂信的な連中が自分の思想だけを他人や国民に押し付けて、自分たち以外の考えやらメディアを叩き潰そうとする社会、それがほんとうは、怖いのだと思う。



以前、どこかの図書館であった実話。
そこに勤める女子が、たしか、渡部昇一氏らの本だけを、ひっぱりだして、捨てた=焚書にした、という事件である。
(この図書館戦争の映画とはまったく逆のバージョンですね。表現の自由、読書の自由を、図書館のスタッフが、制限するという前代未聞の事件・・・)

つまり、自分の意見や、思想だけが、正しく、それに対立する意見などは、認めない、耳を塞ぐ連中ですね。こういう「自分だけが正しい」と信じている人たちほど、つきあいずらい人種はいませんよ。ユーモアセンスがなく、いつも感情的で、変に純粋まっすぐ君なんですからね。
こまったもんです。





  ●●新聞やら、テレビのおおかたのメデイアなども、最近はその傾向があると思う。

 ひとつの議題に対して、たとえば、安保法案・・・これに、反対意見だけのコメンテーターを集めて、放映する。
 まさに、この「図書館戦争」のなかで手塚がやっている、洗脳そのものですね。


 真の民放メディアであれば、反対意見と、賛成意見と両方あるはずなので、両方の専門家を呼んで、カメラの前で、議論させる。
 そのときに、司会者はよけいなことを言わずに、ふたりの、言いたいことを徹底的に言わせることに集中する。

 そして、最後に、この番組を見て、見ている民衆、わたしたちが、自分の頭で、判断する。これが、民主主義でしょう。





 昨日の新聞でも、NHKに、「なんで片方の意見だけの映像を流し続けるのか」という、投書が、驚くほど届いているという記事がありましたが、テレビの洗脳は今にはじまったことではありませんから、気をつけるべきことのひとつでしょう。










 「華氏450度」で描かれているように、本を読まなくなり、テレビだけで、ものを考えるようになった未来の人類達は、もはや単純な思考しかできなくなり、複雑なるこの現実の世界を、変革していこうとは考えなくなってしまう。
 テレビに洗脳され、テレビに操られる人達が、増えてくる未来は恐ろしい。(今の若い人は、あまりテレビを見ないし、ネットもあるので、それが救いかもしれない。)

  
 フランスには、シャルル・ドゴールのこんなジョークがある。


「フランスには246ものチーズがあるんだ、こんな国を統治できると思うかね」

 つまり、人をまとめるのは、この21世紀、ネットの普及などで、どうしようもないくらいに個性が複雑かして、まさに、一人十色になってきている。
 そんな世界を、民主主義は、やはり、多数決という原理で、まとめるのではないだろうか。



 民主国家では、さまざまなる意見があり、議論があり、文句があり、批判があり、喧嘩や軋轢もある、それが、当たり前なことなのだろう。





  つまり、ああだこうだ、といいながら、まとまらないこの世界。それを、ひとつの方向にうまく収斂させていくのが、政治家の仕事だし、政治家に一番求められているのは、リーダーシップだ。



  この「表現の自由」という問題は大変に難しい問題だと思う。


  最近では、週刊文集でしたか、春画を載せたということで、騒がれましたが、呉さんによれば、週刊文集だから問題になったけど、ポストだったらまったく問題にならなかったというようなことを書いていましたね。


  北欧などは、性の解放などで、有名ですが、子どもたちの、通行するようなところには、アダルト本を買えるような販売機などは絶対に置きません。
  性については、解放していても、子ども達には、普通の日々を送らせて学業に専念できるようにしてあるわけですね。



  個人的には、「ワイセツ」などという言葉で、国が作品や書物を禁書にするというのは納得はできません。


  渋沢竜彦氏の、「サド」シリーズでも、あれが「ワイセツ」などという裁判官の頭の中をしらべてみたくなります。ソドム百二十日 (河出文庫)/河出書房新社

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  しかしながら。


  児童ポルノは違うでしょう。

  メディアに対する自由侵害とか騒いでいる人がいましたが、アホです。
  無垢な子どもを、大人が勝手にポルノ作品に、参加させるような、アダルトの世界は表現の自由ではありません。
  言い尽くされた言葉ですが、自由と責任は、必須の組み合わせ。
  子ども達をのびのびと、彼らの内在化された才能をのばすために、大人はいるわけですから、
  小さな頃から、それをひとつの枠のなかに、押し込めようとする自由などはありません。



  というわけで。



   この、「図書館戦争」。有川浩さんや、岡田准一さん、
 榮倉奈々さんのファンの人たちだけが、楽しめる映画かな。



   映画は、つくりあげるために大変な額の金がかかりますから、原作をはしょってしまうことはあるのかもしれませんが、それにしても、この戦争ごっこのような、迫力のない、画面にはがっかりしました。

 
  
  (個人的には、映画がつまらなかった分、日本が他国の属国になりさがった時を想定し、日本が日本でありつづけるために、過去の日本人たちの歴史に学びながら、日本語を大切に守りたいとますます、考えたことがプラスだったかな)