肉だけでなくて、それを消化する酵素関連の野菜など、飲み物まで、
やはり、食の体系がぐるりとまあるくできあがっていますね。
ただ、日本人の腸の長さは外国人の10倍という話も聞いたことがあります。
外国に行って、肉ばかり食べていると、腸がやられてしまいますね。
外国人は肉を食べても、ポイと、すぐに腸から出るように、短い腸に、
長い年月をかけて遺伝子やら体も環境に適応しているのでしょう。
日本人の腸は、穀物をじっくり消化する内蔵なのでしょうか。
ヒデとロザンナ、ヒデもイタリアに行って、はやく逝ってしまいましたね。
それが、イタリア料理のせいとはいいませんが、・・・
食だけは、先祖様からの食を頭にえがきつつ、諸外国の食をあじわいたいものです。
資料
水木英二としてのソロ時代~ボサノヴァ・デュオ「ユキとヒデ」を経た出門英が、1968年にイタリア出身の少女ロザンナ・ザンボンと「ヒデとロザンナ」を結成。デビュー曲のB面だった『愛の奇跡』に火がつき大ヒット、一躍売れっ子歌手の仲間入りを果たす。
1970年に発売された『愛は傷つきやすく』が初のオリコンシングルチャート1位を獲得。売上枚数も『愛の奇跡』を上回る大ヒットとなり、その年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たす。以降も『ふたりの関係』、『望むものはすべて』、『追想』などヒット曲を生む。
1975年2月結婚。二男一女に恵まれる。
長男の士門(しもん)は音楽家・画家。クリエイター集団風の人、三味線ユニットエツナブメンバー。
次男の来門(らいもん)はミュージシャン。バンドsmorgasメンバー(MC)。2008年2月、大麻取締法違反で警視庁碑文谷警察署に現行犯逮捕されるも後に不起訴となる。
長女の万梨音(まりおん)はモデル。2004年6月結婚、出産。
1990年6月17日、ヒデが47歳の若さで結腸がんに倒れ死去。
エピソード[編集]
本土復帰前の沖縄県で放送されていたテレビ番組にヒデとロザンナがゲスト出演した際、アシスタントとして出演していた少女の写真をマネージャーが持ち帰った。その写真がCBS・ソニーの関係者の目に留まり、歌手デビューするきっかけとなった。その少女が、のちの南沙織である[1]。
紅白歌合戦には白組エントリーとなった。