旭川の夜 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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22歳。
大学時代に本ばかり読んでいて、まったく社会的な適応能力のない私は、会社に就職してからも失敗ばかり、くる日もくる日も上司から叱られる毎日。


たまたま、その上司が、変わり者の私ではあるものの、そのなかに、一点、何か、見いだすものを見つけてくれて、引き出してくれたものですから、なんとか、以前の会社で33年間もやっていけたと今では思っております。


だいたい、就職する初めての出勤の日から遅刻するようなアホな人間がいるのでしょうか。
ここにおります。


横浜から、羽田に飛行機に乗るために、出かけたは良いものの、切符を、机の上に置き忘れ、
上野あたりでそれに気がついたものの、間に合うはずもなく、今であれば、そのまま羽田に行って、事情を説明して、飛行機にのせてもらえば良い訳ですが、当時は、まだまだ22歳。

そのまま、上野から、鈍行に乗って、旭川に向かってしまいました。

結局は、到着までに、一日半かかり、飛行機に乗るべきはずの新人が乗らなかったとの同期の仲間からの通報もあり、会社中に噂が広まってしまい、翌日の朝に私が、旭川について、朝出勤すると、店長がびっくり、電話もせずに、そのまま翌日出勤ですから・・・

そんな男が、33年間もよく同じ仕事を続けたものだと今更ながら、あきれて、懐かしき思いでとして、脳裏に浮かび上がらせております。



それでも、当時。
北海道では、一次会では居酒屋。二次会はどういうわけか、必ず、ディスコ・・
 そんな時代でした。


踊りなど踊れはずのない不器用な私でしたが、とにかく、生きていくためにも、仲間・先輩に誘われながらも、ディスコに行き、慣れないステップで踊った当時の自分に、懐かしきため息が出ますね。
 22歳の夜でした。