栗城史多さんの同行カメラマンが死亡  そして、 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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エベレスト登頂控える登山家・栗城史多さんの同行カメラマンが死亡
 自身3度目のエベレスト単独・無酸素登頂に挑戦中の登山家、栗城史多(くりき・のぶかず)氏に同行していたカメラマンの木野広明(きの・ひろあき)さんが日本時間15日午後12時15分ごろ、標高5300メートルのベースキャンプから歩いて約20分の氷河エリアで倒れているところをパトロール中のネパール政府関係職員が発見し、16日朝、搬送先のカトマンズ市内の病院で死亡が確認された。16日、栗城さんと業務提携するよしもとクリエイティブ・エージェンシーが発表した。

 職員の連絡を受け、ベースキャンプから隊員が救援に駆けつけた際には仰向けで口を開き、両手をぐっと握りしめすでに心肺停止の状態だったといい、人工呼吸などの緊急蘇生を試みたが、意識は戻らなかったという。翌朝、ヘリコプターで緊急搬送され、カトマンズ市内の病院で死亡が確認された。発見時、木野さんの右鼻から出血が確認されており、今後、司法解剖して詳しい死因を調べる。この後、日本から家族4人もカトマンズ入りする予定。

 栗城隊は今回5人で編成され、先月28日に離日。遠征の模様はインターネットでも動画配信されており、山岳カメラマンとして活躍し、登山経験も豊富な木野さんは急遽、撮影サポートのために遅れて参加し、今月12日より行動を共にしていた。その後、木野さんは氷河エリアや栗城の撮影のためにムービーカメラを携えて単独で行動、木野さんが亡くなる前の状況は不明といい、ベースキャンプとほぼ同じ標高地点にある氷河エリアへの出発前には目立った高山病の症状などの異変はみられなかったという。

 栗城氏は16日夕方、自身のブログで「滑落した様子もなく、急性の高度障害の様子もなく、「なぜ?」という疑問と、悲しみでいっぱいです。現在、遠征は中止している状態です」と現状を報告。さらに、通常、ベースキャンプを離れる時は、一人ではなくポーターか誰か付き添い、無線も持って行くことになっていたが、今回、木野さんは一人でベースキャンプを出発したと明かしている。

 その際、ベースを仕切る担当者から「一人では行かない方がいいと思いますよ」と忠告もあったが「ちょっといいところがあったから撮影したい」と話して出かけたという。距離も15~20分程度でクレバスなどの危険な所もなく、熟練したヒマラヤ登山経験者だったことからベースの隊員もそれ以上、木野さんを止めることはなかったという。

 栗城氏は「わずか数日のベースキャンプ生活でしたが、一緒にご飯を食べ、これから始まるところだった冒険の撮影をしてもらえないのが本当に残念です」と無念の内を綴り、今後は事故の対応と隊員のショックがある程度落ち着いたところで「木野さんならどう思うか?それを考えながら決めたいと思います」とし、「木野さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます」と結んでいる。



このニュースのあと、登頂。
精神的にやはり影響したのでしょう。


残念。



栗城史多氏、エベレスト登頂断念 4度目山頂アタックも無念の下山
オリコン 10月18日(木)12時3分配信

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栗城史多氏 (C)ORICON DD inc.
 自身4度目のエベレスト山頂アタックを行っていた登山家の栗城史多氏が、日本時間18日午前9時15分に登頂を断念し、下山を決めたことがわかった。自身のツイッターで発表した。

4度目の挑戦に並々ならぬ思いを語っていた、登山家・栗城史多氏

 今回、登山家の間でも難しいとされる西稜ルートからの登頂を目指していたが「あまりの強風で何度か身体が浮いて吹き飛ばされそうになったことと、これからさらに風が強まり8,000m以上では行動不能や転滑落を引き起こすレベルの暴風になるという予報が出たため、これ以上進むことは危険と判断いたしました」と下山を決断。「下山地点の標高は、後ほど確認できてからお伝えいたします」と報告している。

 栗城氏は、過去3度の挑戦で全て失敗に終わっており「今回が最後になるかもしれない」と不退転の覚悟で挑んでいた。アタック直前の17日午後10時半前には「かなり寒くて、星しか見えなくて、真っ暗で、本当に宇宙みたいな所です。 頂上で、会いましょう。では、行ってきます!」と綴っていた 。