マクドナルドの美女たち |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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 19歳の頃でした。


 こんな昔のことをはっきり覚えているだけではなく、まるで、今のこの瞬間のように、思えるのも、私の特技かもしれません。


 たしかに、前しか見ないで、つきすすむというタイプの人もいるかもしれませんが、私は、過去は「思い出すことによって」、人は人になり、魂というものを獲得するんだと、自分で勝手に思い込んでいますので、過去を思い出す事は、そういうわけで、大好きです。



 昨日の記事。

 日本初のマックのハンバーガー。

 横浜で、食べました。



 「日本人をみんな外国人にしよう」とハンバーガー路線でふんばる藤田氏。
 「ジーンズばかりはいていたら外人になっちゃうよ」とCMしたかつての私の勤めた呉服会社。


  なつかしいかぎりです。








 そのころ、私は、神経を病んでいました。

 記事にも書きましたが、神経不安という奴ですね。


 ですので、夜眠れませんでした。朝の四時くらいになると、新聞配達の配達のバイクの音が聞こえてきて、明るくなって初めてすやすや・・・できました。


 生あくび。

 赤面。

 他人の目をまともに見ることのできない視線恐怖。


 友達と、ゆったり話ができない、対人恐怖。


 18歳、19歳、この二年間は地獄でした。


 横浜の大学に通っていましたが、二年間で、まともに語り合った友達はひとりもいません。

 二年間で、口を聞いた時間は、トータルで、1時間あったかどうか。それも、家族に公衆電話からの電話した時の時間もいれてです。

 
 そんなときに、出会った、S子。


 横浜だったか、東白楽のあたりだったか、忘れましたが、たぶん、横浜のジョイナスのマック。


 彼女と知り合いました。


 それで、私の心の病は嘘のように融けて行くわけですが、その話はあとにして、彼女の言を楽しく思い出します。



 「マクドナルドで私は今バイトしているんだけど、美人しか、とらないのよ」


 と、S子は、自慢げにわたしにそう言うんです。


  確かに、今思い返すと、昭和50年代のマックって、店員さんが、皆きれいでしたね。

  関係ありませんが、飛行機のスチュワーデスさんも。


  先日、札幌のマックや、モスにも、たまに行きますが、店員さんの、無表情にはあきれてしまいます。

  札幌だけかもしれませんが、それに、私がオジさんだからでしょうか。笑い。


  あれだけの、激務ですから、疲れているのは見ているだけでわかりますが、やはり、演技でもいいから、笑顔で接してもらいたいものですね。


  年をとると、店員さんの笑顔で、その日1日中、気持ちがよくなることも多いんですよ。




 それにしても、人事採用の時に、なるべく、美人を採用するなんていうことが、今から、40年前のマックにあったのかなあ。



  気になるところですね。




  S子のことやら、K子のことは、またのちほど書く事にしましょう。


 実は、S子は、マックの店長とつきあっていたのでした。