天国からの電話 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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         天国からの電話
   ちいさな蠅よ/おまえの夏の戯れを/私の心ない手がふり払った/私もまたおまえと同じ蠅であり/おまえもまた私と同じ人間ではないのか/なんとなればある盲目の手が/わたしの翼をふり払うまで/私も踊り、飲み、歌うのだから
         ウィリアム・ブレイク
 


 「私の浮気が原因だったんだわ」と範子が言った。
 冬のファミレスの店内は暑いほどで、子供達の笑い声や親のたしなめる声でにぎやかである。範子の紬の色は濃い烏賊墨色だったが、片桐健にはそれが喪服のようにも見える。帯締めの鬱金が彼女の孤独を一層際立たせている。
 その時「パパと電話で話した」と遼一が片桐の横の席に息をきらせながら座った。
 「おじさん、天国ってあるんでしょ」と遼一が聞いてきた。手にアリの入った瓶を大切そうに持っている。片桐は鼻を指でこすりながら、しばらくして、「遼一君のパパが夢の中にもあらわれるということは、天国で大好きな君のことをパパも思ってる証拠さ」と言うと遼一の目が光った。
         

         ☆☆
 

 半年前の夏。
「ここに行ってインタビューしてこい」と上司の滝沢から命じられた自殺者の家族リストの一人目は電話で断られ、二人目はアポなしで宅訪したが留守、なんとか気持ちをとりなおし板橋駅から商店街を抜けるとやっと花園団地が見つかった。公園ではたくさんの子供達がサッカーに興じていたが、麦わら帽子をかぶった少年がひとりとぽつんと地面を見ている。あんまり熱心に見ているので片桐はつい少年に何を見ているのかと聞くと、「アリ」と大きな返事があって、少年はこちらを向いて笑った。
 「アリを殺さないで」少年は片桐の靴をたたいた。
 片桐が足下を見ると、アリが革靴につぶされ手足をバタバタさせて悶絶している。「ごめん」と言うまもなく少年はアリを入れる瓶を手に持ち駆け出した。 
        ☆☆
 「結局私には何も相談がなかったんです。酒もタバコもやらない真面目な人でした」範子は伏し目がちに言った。
 アイス珈琲に口をつけた時、ふと玄関に気配がして男の子がただいまと入ってきた。「息子の遼一です」と紹介された子はさきほどの少年だった。「死んだ光一にあんまり似ているからこの子もびっくりしているのよ」
 突然決壊寸前の防波堤がくずれおちたように範子が話し始めたのは初回滝沢編集長から叱られて再度訪問した日のことである。それでも片桐はテープのスゥッチをまた入れないまま話に聞き入った。事務的な行為が失礼と感じたのである。
 範子の言った言葉を彼はそのまま信じた。
 滝沢から君にはこの仕事は無理だなと言われたのが翌日。退職届けを出した翌月、範子から食事の誘いを受けた片桐はカレーを食べた後、遼一とトランプで遊び、彼を寝かしつけてから、彼女にすすめられたウゾを飲んだ。
 ギリシャの酒は範子を大胆な行為に駆り立て片桐のこころとからだを突き動かした。
 「遼一が今朝、ねぼけたのか、パパ、電話きらないでパパって、泣きながら私に抱きついてくるのよ」と範子が左胸に顔をうずめてきた時片桐は五年前に別れた女房と男の子のことを考えはじめていた。 
        


      ☆☆
「私の浮気が原因だったんだわ」と範子が言った。冬のファミレスは暑いほどで、片桐が、ふと見ると範子の着物姿を冬の夕陽が背後から包み込んでおり、その緋色は血のようでもあり魔法のようにも感じられた。片桐はゆっくりと鼻を指でこすってテーブルの上の遼一の携帯を見た。