オルセーのなかのアール・ヌーボー |   心のサプリ (絵のある生活) 

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ルーブルの反対側、セーヌ川をまたいでオルセーはあります。こころのサプリ    
チュルイリー講演の中でうろうろして、やっと着きました。ここは、1900年まさに、アール・ヌーボーの全盛の頃、出来上がったオルセー駅をイタリアの女性建築家ガエ・アウレンティが改修したものとききました。

どことなく、センスがしゃれていて、アール・ヌーボーの印象派以後の作品展示には雰囲気がフィットしていて、ルーヴル美術館に入るときのような緊張感はありませんでした。

しかし。いきなりゴッホ展。これには面食らいましたね。

ゴッホの「炎の人」は映画でも心に残る傑作ですし、書物でも読みました。小林秀雄氏の「ゴッホ」は今でも座右の書物になります。

今でもゴッホについては様々なる研究がおこなわれていて、人によっては許せない線と激怒する人がいるかと思えば、ゴッホこそ真の画家だと言う方もたくさんおられます。こころのサプリ    
私もまた、人生と絵画がこれほど一致する生き方をした人は他にはいないとも思いますし、彼が戦った「精神病」の記事については以前書きました。失恋の痛手として恋人の前でろうそくに自分の手をかざしたり、人生の後半では耳を切り落としたり、凡人には理解できぬ行為が多いのも事実。
でも、精神病なんていうのは、大なれ小なれ、何かに取り付かれて必死にやっている人にとってはある意味では身近なものなんですね。その線を超えるか超えないか、皆その前で、踏みとどまるのが平凡人です。こころのサプリ    


それを踏みとどまることなく一線を超えるほどに彼の何かに対する情熱が過剰だったということですね。その何かとはもちろん絵画なんですが、彼の場合は神の問題もあったはず。人間としての野望やら、欲望、嫉妬や裏切りのなかで、彼はこれまでになかったような絵画を模索していたのでしょう。事実、彼の絵は上手い下手を超越して、目眩のような幻惑を与えてくれますし、錐でこころを刺されるような鋭い色彩の乱舞に絵画が満たされているのですね。

たくさんの人がいました。
特徴的なのは誰も携帯でパシャパシャ写真を撮っている人は皆無でした。皆だれもが、黙って瞑想するようにしてゴッホを見ていました。


あの独特の絵の具のたたきつけかた。
まるで戦いです。
戦いのあとには何も残っていません。ただ彼が何かにとりつかれてそこでため息をついたかのような色と線が残っている。
ゴッホのこの自画像の鋭い視線と目をしっかり合わせるだけの生き方をしている人はまずいないでしょう。こころのサプリ    皆普通は目をそらすはず。それだけ強い何かをこの絵画は持っています。