崖下の家。
最初にモダンという言葉の定義があり、古色蒼然という言葉がもはや使われなくなったというところから始まる。ここで母、吉行あぐりが美容師だったことを思い出す。
しかし、そのモダンと言う言葉も昭和初期にはまだ新鮮な響きを保っていた。
まず、母あぐりが、二等辺三角形の土地に三角形の三階建ての西洋館を建て、そこが昭和初期にモダンな建物として話題になったことが書かれる。
その三角形のモダンな家と裏の崖の間にこの短編小説で書かれる「日本風和屋」があり、一郎の祖母が離婚したあとひとりで住んでいた。
下半身不随ではあるが細面の黒髪美人。
医者から指示されて部屋の中に太くて大きな青竹が一本横につられていて、少年はそこで逆上がりなどをしてよく遊んでいた。黒い漆の便器があったり、崖下の暗い日当りの悪い家ではあったが、祖母が接待上手だったのと美容院の女の子達とレコードを聞いたり話をしたりすることが目的で青年達がよくこの崖下の家には出入りしていた。少年は彼らが祖母と会話をするのを聞いていて何かそこに生臭いものを感じる。
祖母の性格にひとつの法則を少年は発見する。
性に関する話題が出てくると祖母の機嫌がよくなることだった。
そういう話になると祖母は、必ず、「困った人ね」とか「悪い人ね」とか言って機嫌がよい。
当然会話の中にはデリケートなバランスで巧妙に計算されてそれらの性的な言葉がちりばめられていた筈だが、少年は単純に性の話をすれば祖母が笑うと考えてしまう。
ある日。美容院の若い女性達が新年会に集まってきていた。
祖母はいつになく若い女性達に囲まれて若返っていたようにも見える。
祖母を上機嫌にさせるために何かワイセツなことを言おう、そう少年はきめた。
サーヒス精神もあるにはあるが、少年は気分にかなりのムラがある祖母の気持ちろをコントロールし、支配できるのだ、そう考えると少年は胸が踊る。
しりとり遊びがはじまる。リンゴ、ゴリラ、ラッキョウ、ウナギ、言葉が続いて少年のところにあるひとつの言葉がきて、少年はその卑猥な言葉を叫んで、祖母の笑いが一同に響きわたる筈であった。
ところが祖母が苦い顔をして一座は深閑とする。
明るくて気のきく女性が「ああマッチのことね」などと場の雰囲気を直そうと必死だがそれもわざとらしく聞こえる。少年の作戦は見事に失敗しその日から、彼は女性に対して臆病で物怖じする子供になっていく。
またある日。
鮒=フナを研究するので持ってこいと言われた少年が、鯉をタライに入れて持っていく。いろいろ手を尽くしたがフナが見つからず、魚屋で鯉を買ったのだった。
その鯉が小さなタライの中では元気がなく、何も役に立たなかった鯉を放課後校門のところまで、風呂敷包みで運んでいると、同年代の少女がやってきて、「大きな鯉ね。あら、ぐったりしているわ。死ぬんじゃないかしら」と言った。
少年はただ「ああ」と言った。何かを言わねばという心の中でけしかける気持ちはあったが言葉が出てこない。この一言だけが小学時代に少年が少女達とかわした唯一の言葉である。
中学生になると一言もかわさなくなってしまう少年。
驟雨でもとられ、夏の休暇でもとられる会話の中のユーモラスでイメージが湧きやすいシーンの挿入が勉強になる。
脚が立つように祖母はなんでもチャレンジするのだが、まずは温灸師。少年も灸を祖母と一緒にすえられる。少年は「熱い」とその堪え難い熱さに驚き、照れ隠しに「アチチチ、コケコッコー」と叫ぶ。祖母が笑い、灸師も笑い「まあおもしろいおぼっちゃんですこと」と愛想を言われる少年。
驟雨ではふたりだけの二階でのダイスで遊びながら窓下から聞こえる客と娼婦の会話。夏の休暇では、父親が二人きりで一郎と夕飯を食べる時の駄洒落の応酬のシーンを連想しますね。
そこで、少年はふとバカらしくなってそれきり祖母の灸の時には姿をくらます。それが祖母からするとおもしろくない。
その裏切り行為に祖母は言う。
「そんな心がけでは私の脚は立ちはしないだろうよ」と。
時間が経ち、灸師はいなくなり、かわりにマッサージ師が出入りするようになり、そのマッサージ師もいなくなると、祖母は新興宗教に夢中になる。もちろん、心の安らぎを得ようとするのではなくて、脚が立つように熱中する仕方である。
やはり少年がばかばかしく感じて祖母の言うとうりに仏壇に祈りをしないことで、ふたりはよく喧嘩をするようになる。祖母はインテリ女であり、知性の彼女よりも劣っていた夫に対しての気持ちが別居にさせたと少年は思う。
脚萎えにならなければ祖母は宗教などは軽蔑するようなタイプの人ではあったが、脚萎えを治すために宗教が必要に感じたのだろう。
ナンミュウホウレンゲイキョウという陰陰滅滅とした響きが持続するその祖母が入信している団体の本部に、少年は祖母に頼まれ祈りに行くが、知能の足りぬ男が「オレこんどお山にいくんだあ」と言う。
その本部の奇妙な雰囲気を少年はいつまでも肌で感じる。
陶酔したように言葉を話す精神薄弱の男から感じる宗教というものの影響の強さ。
吉行淳之介の作品には少年が奇異に感じたことや、彼が肌感覚で感じた微妙なる気持ちの分析がよく出てくる。そして、巧い。食通の舌を持つ美食家がこだわりの肉やワインに感じた直感的な舌触りや匂い、スパイスの妙を正確に言葉で表現することに近いと私は思う。
彼の文章は右脳でとらえた人の何倍も敏感な少年の感覚を、言葉という左脳の行為で的確にひとつずつ埋めていくような快感があるのだ。
また祖母が大切にしていた経典や経本が埃にまみれて押し入れの中に積まれることになる。
その頃には祖母は失禁までするようになり、濡らした布団から運び出されながら「もう、私は駄目だ。もう駄目だと叫ぶ祖母を見ていると、普段は機嫌も良くなく中性的な声の祖母の声が妙に艶かしく聞こえた。
疎ましさと悲しみが入り交じった感情を少年は持つ。
昭和19年。
東京空襲の日が近づいていた。
少年は母親と一緒に腎盂炎で入院していた祖母の様子がおかしいとの報を受けて足を向ける。
途中で、警察官に職務質問されるが、学生と女性が連れ立つことが罪悪として思われていた時代母と子とどうやっても信じてもらえない。
結局警察官同行にて病院に出向く。
そこは花の匂いでむせており、祖母は「おまえが一番遅かった」と言い、ウィスキー紅茶を飲みたいと言い、意識不明の状態に陥る。
三十分ほどして、目をさました祖母はこう言った。
「さあさあ、皆そろっているね。ケーキを切っておわげ」
祖母はそう言うと、歯を食いしばり、いくらか前歯をのぞかせた顔になり、コトリと死んだ。
少年は涙もでない。ただ縁者に知らせに廊下に電話をかけにいく。
その相手は電話を持たず、呼び出しをかけてもらわなくてはならない。
「こんな夜中によびにいくわけにはいきませんよ」
「しかし、人が死んだものですから。お願いします」
「でも夜中ですからね」
「死んだことを知らせたいのです」
「駄目です」
受話器を置く乱暴な音が電話機の中でなった。その時に少年はこう思う。
それは不幸な一生だった、と。
祖母は15年間寝床の上の生活をおくり、55歳で死んだ。