まあ、ユーモアということで。軽く書きますね。
最近の作家さん達、20代で売れだします。(なかには、10代の高校生の時に賞をもらって、大学生の時には有名になり、その時に付き合った男性からネットで彼女の性のあれこれを書かれたりしてましたね)
川上弘美嬢なども、いい味だしてますし、「先生の鞄」なんかは傑作だと思います。
しかしながら、これらのたくさんの若手作家の経歴を少し調べてみると、特に古典を相当に勉強しているのでもなく、かといって、実生活の中で修羅場を生き抜いて来たわけでもない。
つまり、朝の二時間に原稿用紙の10枚ほどを「頭でちょいと書く」なんてことは、頭脳明晰で「物語つくり」が上手な彼女達にとってはいとも簡単な行為なんでしょうね。
だから、新刊書を少し立ち読みしても、心の芯に響かない。
彼女達の本に、1500円も出すくらいなら、ちょっと贅沢なランチでもしようと思うほうが、健全ですね。
ただ、文章が上手いだけ。笑い。
もっと恋愛をしなさい。
堕落しなさい。
アホなことやれ、といいたいですね。
だって、人のこころという爆弾を、ただ綺麗なだけの文章というピンセットだけで扱ったって、爆発などしません。
読んだ後の、カタストロフィーというか、なんだこの本は!!!、という爆発的な感動は普通は何週間も何ヶ月も続いて、頭からはなれないくらいの感動は若い頃にはあるものでしょう。笑い。
10代の頃に、映画館で、「心中天の網島」を見て椅子から立ち上がれなくなりました。
「2001年宇宙の旅」を見た後も、呆然として、ふらふらとサッボロの町を二時間くらい考え事をしながら、「今見たあれはいったいなんなんだ」と歩き回ってましたから。
坂口安吾の「堕落論」や「桜の森の満開の下で」とか「私は海を抱きしめていたい」とか三島氏の「憂国」とか「氷点」とか「幸福の王子」とか、jazzでは「at the five spot 」とか、何日も何日も、失恋したあとのように頭がガーンと叩かれたように真っ白になってましたものね。笑い。
だから、私はこれからの日本の新しい文学はたぶん、カルチャーで文学をお勉強している人からではなくて、「いじめ」で登校拒否や自閉に苦しんでいたり、麻薬依存で死にかけたり、キャバクラで売り上げの修羅を味わったり、リストラで家を売っぱらって路頭に家族で彷徨ったり、そんな人達から生まれてもらいたい、そう思います。
だって、三島由紀夫氏が言っているように、「健康」で楽しく日々人達から愛されてのびのび暮している時には、文学なんて必要はないでしょうし、いくら良い文学読んでもピンとこないものです。
こころが弱っていたり、血が流れている時に読むから感動が生まれるのだと私は勝手に思ってます。
修羅を生き抜く勇気も体力もなく、ただ頭だけで書くような小説は、私にはまったく興味がないですね。人が見たくないものや触れたくないことに目が向いた時、何かのシードがはじけるのだと思ってます。
若い頃からチヤホヤされて、朝眠たい目をこすりながら満員電車に飛び乗ることもなく、人間関係のしがらみや人の情けやいじめにもあわず、戦う勇気もなく、修羅の喜怒哀楽も経験せずに、花の飾ったきれいな机の上で升目をうめていった小説に金を払ってまで読もうとは思わない私はただの心のネジケタおじさんなんでしょうね。笑い。
はつらつとして美しい若き女流作家達よ、がんばれ。(結局応援してんだネ。笑い)