「愛のごとく」   山川方夫 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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  愛のごとく (講談社文芸文庫)/山川 方夫

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 この作品は、学生時代に読んだ筈なのだが、まるで記憶にない。
 ところが、このところ何か牽かれて本棚から取り出し、夢中で読んだが、驚いた。

 

 私小説なのでしょうが、その経験を彼の独特の美学と言葉の乱舞、観念の拡散により、人の精神のかなり深くつっこんで書いてあるこの小説に私は文章、言葉の表現の可能性をまた見た気持ちになります。

  
 あらすじは、シンプルで、観念にとりつかれた「私はいつも自分だけにとりつかれて生きて来たのだ」という最初の冒頭の言葉がすべてをあらわしています。
 この「自我」の塊の主人公=山川が、その父の死により、崩壊していく家族関係の中で意図的に他人との接触、交遊を避け、責任の名において家族を食わして行くだけの日々に埋没している。
 今彼が生きていれば、79歳。この作品が生まれた1964年は、東京オリンピックの年ですね。私も、小学生でしたので、教室でその当時まだ珍しいカラーテレビで、皆で応援した記憶があります。

 ボブ・ディランが歌い、平凡パンチが出版され、小松左京やら筒井が活躍した年でもあります。

 この年。「愛のごとく」の主人公は、その悶々とした生活の中で、メールストロムの旋渦のように、必然のごとく、ある人妻、彼の友人でもある男の妻との関係が始まるわけですね。
 たった三畳の彼の仕事部屋で、愛欲の日々が続き、最初は彼が最大限に拒否した「日常」の侵入、その人妻が自分の作り上げた宇宙にはいりこむことを限りなく拒否した「愛」の浸透、それらが次第に彼のこころのひだをとらえていく状況が見事な文体で浮き彫りにされております。
 執拗で、パワフルで、男の文体のイマジネーションが広がり、読んでいて心が広がっていくのがわかります。ゆがみ、ねじくれた、男の心が、その人妻の「自然」によって次第に練られ、癒されて行くあたりの描き込みは巧いですね。

 この背景の時代はもちろん、1964年ですから、左翼運動やら敗戦の影やらがまだまだ忍び寄っているのですが、2009年の今の青年の心理とも言っていい程の普遍性を持っています。

 男性は皆このような心理を持っているのではないでしょうか。
 そして、それは、良くも悪くも、女性にはなかなか理解しずらい男の心理の奥の姿です。

 今は限りなく男性が女性に迎合してイケメンを演じなければ男は生きて行けない時代、このような男の「観念」=性欲=情熱だと、心の解剖をしてくれる作家などは皆無ですね。

 そして、彼はこころとからだ全体で彼が愛していた筈の「理論・理屈」をとうりこして、こころとからだが彼女の「愛」を理屈抜きに求めようとしたその時に、彼女が、交通事故で死ぬというのは、唸る程の青春神話の「物語」になっております。

 彼が「愛のごとく」で「彼女の死」を書いた五年後に、二宮で、34歳で交通事故死するとは誰が想像できたでしょうか?
















資料A
山川 方夫(やまかわ まさお、本名:山川 嘉巳、1930年2月25日 - 1965年2月20日)
東京市下谷区上野桜木町(現在の東京都台東区上野桜木町)にて、日本画家山川秀峰の長男として生まれ、品川区下大崎(現在の品川区東五反田)に育つ。

1954年、田久保英夫、桂芳久と共に第3次『三田文学』を創刊。新人発掘に力を注ぎ曾野綾子、江藤淳、坂上弘などの作品を掲載する。1956年、編集を退く。
1958年、『演技の果て』で第39回芥川賞候補となる。1959年、『その一年』『海の告発』で第40回芥川賞候補となる。1960年、中原弓彦編集の『ヒッチコック・マガジン』誌に登場し、ショートショートを執筆。後に日本国外の雑誌に転載される『お守り』を『宝石』に発表する。1961年、『海岸公園』で第45回芥川賞候補となる。