「女の部屋」 3 読了 立原正秋 |   心のサプリ (絵のある生活) 

  心のサプリ (絵のある生活) 

画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
至高体験の刻を大切に
絵のある生活 を 広めたいです !!!

  更級がつきあった京子、鶴子、菊江、圭子、薬屋の細君、有為子、これらの6人の女性が立原の筆でたくみに、個性が描かれている。ひとりとして同じ女はいない。しかし、その根底に流れている「おんな」というものを立原氏は引き出したかったのかもしれない。
  すべてが事実でないにしても、彼の経験が骨子となっているのは間違いないと思う。

  似非民主主義やら、偽善に歯向かって彼はただ自分だけしか信用していないようだ。
  風になってただひた走る男。北斎にも共通する身体と心だ。

  この本を読んでますます女と男の関係の不思議を思う。
  たぶん、「夜に部屋でひとり女がやっていることを知ると女に幻滅するだけだ」というどこかの国の格言があるが、その自然のままの女を生き返らせ、魂を入れ、華を咲かせるのはやはり男しかいないのだと思う。
  男は女をおんなとして育てることに全精力をつぎ込むが、女は生活で子供など「育てる」ことに精魂尽き果てているから、男を育てることに興味やパワーは向かないのだろうか。

  それにしても、女を美しくするのは立原が描いた主人公のような「男の中の男」だと思う。

  狼のような孤独を恐れることもせず、暴力をつかってまで自分の欲しい女をつかみとる。
  その自信と、力への無謀なまでの思い。それを邪魔するものには容赦はしない。
  (力と自信の褒美が女なのである)

  ただ、これは明治大正までならば、男ならば誰にでも持っていた資質なのではないだろうか。
  戦後民主主義が良いか悪いか、そんな正しいか正しくないかの論議にはまったく興味のない私ではあるが、日本に昔からあった任侠道を含む「男の世界」が昭和の後半からまったく消滅していったのは寂しいかぎりである。
  せめて私などはこの本を読みながら男の精神と肉体の冒険に胸をときめかすだけの楽しみになってしまったが、それでも、日本の作家によって描かれたことは嬉しいと思う。
  確かに、石原慎太郎や、丸山健二や、小川国夫などによっても暴力の問題は描かれたが、立原氏のような静的でなおかつ清涼な印象を与える作家は他にはいないだろう。

(たとえば昔PTAと言う団体があり、漫画を読んでいるものは皆不良とされたが、今や漫画は世界の日本文化を代表するするに至ってしまっているし、かわりにPTA推薦の優等生であった連中は官僚となって日本の国の税金を無駄遣いしていると考えるのは私だけか。権威や団体の中でしか生きる事のできない奴は信用しないと言うことですヨ  笑いまあ、これは極論ですが)

  

  たとえば次の描写。

  更級は、からのコップをテーブルの端にいる男の前に置くと、店を出た。居酒屋から出た更級は豹と同じだった。出入り口のわきに立っていたのである。最初に戸をあけて出てきた奴の横面に一発入れ、足掛けにすると、横腹に一発いれた。これで奴は前のめりに倒れた。あとの二人は店から出てこなかった。
  「出てこれねえのか」
  更級は倒れている奴の首を革靴で押さえ、店の中に立っている二人の男を見た。このうち一人はビール壜を握っていた。
 「でてこれねえのならこうしてやる」
 更級は、倒れている男の首を押さえていた足をあげると横顔に一発おとした。ずしん、という革靴の音がした。黒メガネはどこかに飛んでおり、踏みにじっている横顔からやがて血が吹き出た。
 「兄貴」
 とさけんで、ビール壜を持った奴が下からすくいあげるように更級になぐりかかってきた。更級は奴の頭のてっぺんを右手でたたいた。ビール壜は更級の下腹にはいったが、壜は落ち、男はよろけた。
 よろけたところを更級は左手でつかみ、右手で二発続けざまにいれた。男は倒れている男の上にかさなって倒れかかった。倒れかかった奴の鳩尾にとどめの一発をいれた。三人目の男は店から出てこなかった。


  このように、居酒屋でからまれた更級がその三人組のチンピラと喧嘩をする場面だが、喧嘩なれしている更級は、一度に三人とは喧嘩せずに、勘定を払って外に出てこいと彼らを巧く誘い出す。
 もちろん小説であるから、現実の話かどうかは別としても、更級の小説を書き出すまでの女偏歴と、彼独特の美学、そんなものへのアンビバレンツとしての暴力が光っている。(好きな女を思いながら好きな酒を飲む時間を邪魔され、マスターにもチンピラは相手にするなと注意されるが、彼は黙って立ち上がる)

 戦後のこぜわしい民主主義の世界では女の理論がまかりとおるので、男の暴力なんかは洟もひっかけられなくなったが、少し大きな目線で考えてみれば、もしもその女達が邪悪なものによって襲われた場合は、誰が彼女達を守るのか。(今の時代、警察などまったく役にたたないことは先刻承知ですよね)
 この目線が戦後はまったくなくなって、ただ優しき男性だけがもてるようになりましたが、これは危険ですね。
 更級は、ただ、逃げることも非常にうまくて喧嘩のための喧嘩はしません。あきらかにここでやらねばという時だけは、死ぬ覚悟でやります。そこが私などはうたれますね。
 父が朝鮮人ということで、立原氏は小さな頃によくいじめられ殴られたようです。
 その父も死に、母にも捨てられて、立原氏のカミソリのような感受性と、ひとり生き抜くための自己しか信じない美学がどうやら生まれたような気もします。

 何もする気が起きないだるい時の男性の方に、この本はおすすめです。女とは明らかに違う、男だけに与えられた男の「性と生」というものをふたたび思い起こしてくれる触媒になる貴重な小説だと私は偏愛しております。