説明すると長いのでいちいち書かないが、私は三島由紀夫を尊敬している。
ひとつだけ書くと、「歴史上の人物とともに生きた」ことでしょう。
時間というものをただ、未来に向かって直線的にすすむものという考え方ではなくて、
瞬間の中に永劫はあるのだということで、明治や江戸の人物と自分を同じ位置におこうとする。
そのときに大事なことは、決して、「現代のものさし」で彼らをはからないことです。
とにかく、彼らにひたすら、Imaginationを通じて近づくことです。
ゲームもない。
三食三度も食べられたかどうかわからない。
テレビもない。
パソコンもない。
自動炊飯器もなければ、自動の風呂もない。
現代という時代は「そのものの本質を知らずして」ただ、ボタンをポンと押せばすべてが達成されてしまう世界なのでしょうネ。
ただボタンひとつ。
テレビもつく。
CD DVD も見れる。
自動車のドアも開く。
遠距離から暖房がつく。
携帯でどこからでも話ができる。
米がたける。
風呂の火がつく。
ゲームができる。
そして、原爆もまた、ボタンひとつ。
そんな時代ではなくして、三島由紀夫さんは一気に昭和初期や明治の時代の空気を頭の中で
つくろうとしていましたね。
このあたりは鎌倉時代などに脳の中でいつも飛んでいく訓練をしていた小林秀雄とまったく同じです。
もう私たちは決して昔にもどりたくてももうもどれません。
あともどりはできませんね。
でも想像力というものの力は、資料さへあれば、どこの国のどんな時代にでもこころの力で近づくことは
可能です。
そんな三島さんも母親が窓からじっと見ている中を盾の会の制服で走っていきました。
その前には美輪さんにバラの花束をおくったそうですし、いろいろな方にお別れをして、自分の頭の中の
歴史に参画したんですね。
その彼の行為を誰がなんといおうが彼は逝ってしまったんですから。
しかも、自分が大好きな時代の理想の生き方に添い遂げたんですからね。
その彼もそのとき47歳でした。
私の弟みたいな年齢になってしまいましたよ。
もしも彼が生きていて、私が彼の兄ならば、
「そんなに根詰めて、逝き急ぐ必要なんかないだろう。恋のひとつでもしなさいよ」
そんなくだらない俗な私のひとことも言ってあげたくなります。
がしかし、彼は好き放題に生きました。それでいいでしょう。
ふと、自分のこころが辛くなると、彼のことを思い出します。
そうして、あれだけ潔く生きた人がいただけで、私は自分の生き方を許してもらっているような
そんな気持ちになれて彼に静かに頭をたれるような気になります。