キースの「ヌード・アンツ」 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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 五木寛之は、なかなか、いいことを言う。
「本来、私は事実というものにあまり信を置かないたちの人間なのである。まして人間の記憶や、人間の手になる記録などほとんど信じることをやめて生きてきた」

修羅場を生きた人間の言葉として私の好きなアフォリズムなのですが、このキースの「ヌード・アンツ」つまり「裸のアリ」もまた、要は説明のいらぬ聞けば納得の一枚かもしれません。

1975年の5月のヴィレッジバンガードの録音ですね。

ソプラノとテナーサックスにヤン・ガルバレクが入っていますから、いやでも、期待しますね。
ベースもパレ・ダニエルソン、ドラムスとパーカッションがヨン・クリステンセンです。



最近私は、北欧にすごい興味をもっております。
昨日の北海道新聞にもスウェーデンの福祉や、男と女の生き方のサクセスストーリーが載っており、福祉国家としての誇りみたいなものも感じました。
ロハスという言葉もいま流行ってますが、経済がここまでひどくなれば、あとは、人は金ではなくて自分の実在の根拠を芸術や宗教に求めるのも当然のことだと思います。

日本人の世界に類を見ないこまやかさのアビッールが、世界にどう広がるか、私はやはり若い人に期待します。
私ももちろんがんばりますが・・・。

まずい。気持ちが負けている。
私は負けません。


やります。

最近の若者は可哀想。
すぐに「 キモイ」と虐められますね。
人が何かに聖的にとらわれて何かを一心不乱にやればキモイといわれるかもしれませんが、そんなこと言わせておけばいいんですよ。

ファッションセンスがないとか、
気配りがないとか、
優しさがないとか、
よけいなことを最近の若い女は言い過ぎ。

男は女よりもすべてがのろいのは、それだけ、熟成が必須の樽ということ。

じっくり男の子の発酵を待てずにぶーぶー言う女の人多すぎ。

人を育てるのは愛ですから。
男は女、女は男に対して、もう少し、興味を持ってつきあうべきですね。

虫に興味を持ったり、くだらないことに集中したり、自分の興味の体系学を男の子はつくりあげるのが
得意なんです。

女の子のようにファッションセンスも良くありませんし、口下手でもありますし、要領もよくなくても、
男の子は必死に自分だけの体系をつくりあげようと考えておりますから、味方と言えば、もはや母親と
彼女や妻しかいないんですが、今や彼女達もそれらの男の子たちに、不満愚痴ぶつけておりますから、
大きな男の子が育つはずがありませんね。

男の生まれたからガッカリ、と私は先日もこの耳ではっきりその言葉を聞きました。
つまり女の子はいつまでも母とつきあってくれる。
男の子はいつかびゅーといなくなってしまうと、だから女の子が欲しいと。

昔のお母さんは嘘でも、「うちの息子は将来の総理大臣か学者か」と子供に夢を与えておりましたね。

今の母親は、国のことも何も考えてませんものね。自分のことばかりでしょう考えているのは。
でもそれが女なんだから。しょうがないんですね。でも昔の女はそんな女の欠点・どうしょうもないところは自分で自分をわかってましたよね。だから、馬鹿な男にでも尽くしたでしょう。
女だけでは世の中うまくいかないとこころの奥で実感してました。
つまり、昔の女はすごいということです。
昔の女とは、多分、今の70以上の奥様達のことでしょうね。
60代ぐらいから日本の女性は、まともな人とおかしな人に、はっきりわかれるんです。


自民党がどうしたとか、先生が悪いことしたとか、まるでワイドショーのコメンテーター見たいなお母さんが多い。

いろいろ情報知っている割には、子供に対する言葉の使い方を知りません。

子供は母親が自分に対して限りない愛と計算外の愛とを与えてくれることに対して深い情緒と愛をこころに刻み込んでいくんですね。

だから、打算と計算の世の中にその男の子が出ていっても、その刻み込まれた深いloveの保存の栄養のおかげで、誰からいじめられようと、ライバルが打算の戦略をうってでようが、四面楚歌で苦しんでいるときにも、彼はくじけないんです。

美輪明宏さんが言っているように女の子は強く男の子はいくじなしなんですよ。

でもそれは、女は生活と現実に強く、男は夢と前人未到の道に強いように神が考えたんですからね。

男と女、お互いに尊敬の念を大切に生きていきたいものですね。

こんなことを考えさせるキースの「ヌード・アンツ」でした。