そこにはもともと、父親なんてものは存在しない     河合隼雄 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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 朝起きられず、昨日11時過ぎに寝た筈なのに、やはり夏バテしているし、少し喉が痛いような腫れているような気もする。朝、ビックカメラに印刷用のキャノンピクサスのインク買いに行く。先日の電子ピアノのポイントで買えたのでこれは良かった。暑い。タクシーの運ちゃんの今日の昼がここ最近では一番とのこと、死ぬぞ、これはとか言いながらウィルコムセンター。モデム不調のため、ここの方に理由と対策を聞きにいく。
すると、あっという間に、モデムの設定PHSの設定がオフになってますよ、と言われ、愕然。情けない。


近くのブックオフにて、養老さんの本3冊、と「漬け物の漬け方」を買う。
スーパーで、食欲がまったくないが、きょろきょろしてみる。なんとかメンチカツと豆腐とたまねぎを何をつくるのかわからんが、買って、当然最後にはビールのまとめ買い。

暑い。

家で再度麻婆を食べて、ビール、豆のオリーブあえ、おくらサラダ、大根の漬け物、などにて昼ご飯。

ダウン。少し昼寝。


さきほど、起きて、いままで、梱包と部屋の整理整頓。
あっという間に時間はたって行きますね。

河合隼雄さんを読む。
 「たとえば、ある一流会社の社員は、中年になって自分の能力に自信がもてなくなり、人生も無意味に感じられ、果ては自殺ということも心の中に浮かぶほどになった。これでは駄目だと思い意を決して、大学時代の旧友を訪ね相談しようと思った。急に思い立って旧友を訪問すると、その友人が自殺し家族が嘆き悲しんでいるところであった。
 われわれ心理療法家のところにおとずれて来る人は、大なり小なり個性化の問題に直面している人達であるので、このような不思議な体験を聞かせてくれる人が多い。この場合、この人の心の中に起こってきた「死」と、友人の「死」という外的事象が、ひとつの布置をつくりあげているのである。そして、この人は必然的に「死」の意味について考えねばならないし、われわれ分析家としては、この人の年齢が、人生の前半の「死」を迎え、後半へと下降する決意をうながしている時期にあることも見てとることができるのである」

暑い。

これからまた少し部屋の整理整頓。
夏の夜は短い。

河合さんからの啓発。

親子関係。私にも北海道にまだ親がふたりとも健在である。私が東京に出てきたのもいろいろあったからだが、とにもかくにも親子関係のない人はいない。が、親子の核になるのは、母と娘である。もともと、父親なんて言う存在は歴史上最近のものだから。母と子、特に娘の存在が偉大である。男の存在はその回りを回っている衛星みたいなものかもしれない。
 人間以外の動物を見れば一目瞭然。そこにはもともと、父親なんてものは存在しない、あるのは母娘関係だけである。そのあたりが、我々の周囲の人間関係の本質を見抜くために必須の認識であるのかもしれない。