Japanismを追求 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
至高体験の刻を大切に
絵のある生活 を 広めたいです !!!

朝、友人宅から、出勤。おくら・切り干し大根・茄子のスパ・など食べる。
祭りにて、川越は朝から夕まで、すごい熱気。夜は夜で浮間舟渡の花火大会にて、歩けない程のラッシュ。


祭りは好きだが、仕事で花火大会も見る事ができず。

昨年度は京都にて、火祭りを見たのだが、最初は、なんだこれは・・という感じだったのだが、
少ししてから、その不思議な感じ、神秘の火の俗な子供達がまたおごそかに運ぶ妙。暗闇の中の火の静寂。
火の放埒。火の禁忌と侵犯。そんなかんじで、時間がたつにつれ、これは京都の祭りの中でも、「奇祭」の
ひとつとして、感動が広がったのである。

俗と聖を西洋のように、きっぱりとわけずに、普段の民家が、その晴れ舞台となる。
その他の祭りのように、喧嘩もなければ、大声もなく、ただ、曼荼羅のようにひとつのサイリョーという言葉が呪術のごとく繰り返され、皆自分で作った衣装を来て、火を持て、練り歩く。

先日も「水」について、書いたが、「火」もまた、人の生活になくてはならぬものである。

以前、テレビで、極小の世界をやっていて、究極の分子・原子・の世界では、ひとつの「それ」が消えたり、現われたりする幽霊現象というのをやっていたのを、はっきりと記憶しているが、たとえれば、「ろうそくの火」こそが、我々の、「存在の現象」のメタファーになるのかもしれなかった。





このような奇祭がいまだにあるのも、京都の魅力のひとつである。
10月になってら、またいきたいお祭りのひとつである。

9月は「おわら」に、行ってきます。

japanismを追求するのが、私のライフワークですから。