「心配はいくらでもせよ。しかし心痛はいかんぞ」   山本玄峰老師 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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電車の中で、小説を読むと乱視になるのかもしれない。
ずいぶんと、悪い目がさらに悪くなったような気がする。
まあ、あと、少しもってくれればいいので、酷使しよう。

怪奇小説、SF、ミステリーなどの以前読んだものを再度チェック。
新しいものも、読みたいが、基本的なスタンスは、同じものを何回も読み込むということと、
古典に親しむ、という行為が私のスタンスなので、同じ作家や同じ哲学者などに集中するのは、
これはいたしかたない。
ブログも、記録としてつけ始めたので、これで良しとしよう。

今日はまずは、部屋の本の整理整頓。
オークションのチェック。
古典の勉強。創作。料理のレシピのチェック。

ハードディスクがなにやら、昨日、その中にあったファイルをその他のハードディスクにコピーしたあとに、消去したら、なにか変なぐあいになってしまった。

外付けのハードディスクの初期化の方法は、どうやつたらいいか、わからず。
うーん。まあ、いいか。なんとかなるでしょう。

昨日は、野菜が少し古くなってきていたので、おばあちゃんの智慧ではないが、すべてを煮込み、野菜はすべて捨てて、そのだし汁を使って、他の料理の基本の味のスープにする。
これは、ビタミンの宝庫です。醤油と昆布とかつおだしとみりんなどで、極上のそばつゆにもなるし。

中国のサイトで、今、日本に対する感謝メールが飛び交っているらしい。
ころころ変わるのが中国人なのか。意外に単純で、素朴なんだろうな。

朝からチャーリー・ミンガスを聞き、ドナ・サマーを聞く。高田明和の、「脳からストレスが消える」これはカツパだが、意外におもしろい。ワゴン本で105円でもいい本はいい。

この本のなかで、ひっかかってきた箇所は、若かった時に聴いた曲を聞き返すだけで、脳に変化がおきるらしい。メラトニンなどの脳内物質の研究家なのだが、説得力がある。こころは肝臓にあるという箇所も、驚き。なにやら肝臓が主役で、そこで、脳内物質が作られるらしい、脳は道具であるとさへ言っている。なかなか、ユニークな言葉がつぎからつぎへと飛び出すのでおもしろい。
栗本慎一郎を思い出す。

音楽のボリュームを大きくして、朝聴いていると、不思議に元気な気持ちになってくる。
それに、彼の言によると、私の好きな「ひかり」も、脳内物質を放出する鍵らしい。
肝臓を大切にしないと。単純な私はそこでビール酵母に手がでる。


そして、一番おもしろかったのは、この言葉。
「心配はいくらでもせよ。しかし心痛はいかんぞ」   山本玄峰老師

心配=反省ではない。  心配りである。

我々ビジネスマンはどうしても、まず、現状分析をして、他人の問題点をあげ、そして、それを反省して、なおしていくように指導する癖があるようだ。
三島由起夫は、「日本人ほど反省好きな民族はあるまい」と、書いた。
自分の失敗は自分の性格からくる、そんな迷妄に負けたらおしまいだ。
そのような思考癖のある人は、つぎつぎに同じ失敗を繰り返し、人生の落伍者になるとまで言う。

だから、長所をのばせ。
自信をつけさせよ、と。

「恐れるものは皆くる」
この言葉はどんなに怖いホラー映画よりも怖いと、私は思う。
なぜならば、ホラー映画は終わればそれで現実にもどればいいが、現実に自分が恐れていること、
反省してくよくよ考えていること、自分が嫌で嫌でしょうがないと悩み苦悩することが美徳なんだ、立派なことなんだ、と、自分に酔う癖、
それらは、必ず自分のところに「暗い現実」として、実現してもどってくるというのだから、
これほど、怖いことはない。

高田さんはだから、力説する。どうやら、本人に妙な説得力があるのは、本人の実体験らしい。
「反省などするな、と」 「人の評価などあてにするな、気にするな、ほおっておけ」と。
特に、中年をすぎたら、暗い気持ちに自分をまかせるな、明るく意識して振る舞えと。

未来を心配するな、と。

恐れがあるのは、知識があるからだという。


智慧は、知識を減らして行く行為である。
禅も、そうだと思う。


学問をするときには、日ごとに増していく。
道を行うときには、日ごとに減っていく。     「老子」

He who pursues learning will increase every day
He who pursues Tao will decrease every day