時間とは未来に向かって飴の棒のようにのびたそれではない     huruhon |   心のサプリ (絵のある生活) 

  心のサプリ (絵のある生活) 

画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
至高体験の刻を大切に
絵のある生活 を 広めたいです !!!

イルークシュは、あんまり妙で発音しずらいので、私たちは彼女のことをケイトと呼んだ。
23歳なのに、私は、あまりにも私とミューと違いすぎるケイトの環境と遺伝について、彼女の正確な英語の発音を聞きながら、思った。
第一、あまり、笑わない。こちらの無意味な笑顔にはまず反応しない。ところが、私の言うところの下手な英語の駄洒落とか、オーバーアクションには、日本人のように笑って反応する。

言葉と大きなアクションには反応するが、顔の中の微妙な動きにはあんまりレスポンスがないのだ。
これが一番まず、ケイトと、喫茶で茶を飲みながら感じた点だった。

彼女はバンクーバーから自動車で数時間の田舎の町に両親と住んでいて、彼らが日本に遊びにきた時にも、一緒に話したりもしたし、私の家で、すきやきを食べたり、くだらない馬鹿話もしたのだが、心と心の間に少し距離感を感じた。

ケイトとは彼女が一番興味を持っている、インディアンのことについて、一番多く話し合ったのだが、それ以外にも、量子物理学のこと、天国と地獄、宗教のこと、アートのこと、音楽、日本の文学、いろいろなことを、冗談をまじえていろいろ楽しく話し合えた。
特に、sexについては、彼女はカソリックであったので、以前の彼氏との潔癖なる付き合いのことをまじめに語ってくれたので、日本はそれに比較すると、やはり、乱れているなあなどと、くだらないことも考えたりもした。


彼女が日本を去る日が近づき、ミューと私は、彼女の友人を通じて振り袖を借り、それをケイトに着せた、身長の高いケイトには少し袖の長い振り袖といえども、少し、ちっちゃくも感じたのだが、無事に、着てもらって、カラオケに連れて行ったときの、思い出は忘れられない。

ミューが得意の、うただひかるを歌い、浜崎を歌い、ケイトは確か、カーペンターズを歌い、サイモンとガーファンクルを私が歌った。
何がなんだか、私たちはわからなかった。
あまのじゃくの私など、外国人に対しても特に英語を使うことなどないし、はっきり言って、外国人に媚を売る人は嫌いなのだから。

ただ、時間が深夜におよび、一曲一曲、カラオケといえども、こころはひとつになり、ブレイクの「瞬間の中の永劫」の時間は確かに、来たのだった。

私は、この時間が永遠にとまればいいな、といつもの気持ちにもどり、ケイトと抱き合った。
ミューもケイトと抱き合い、三人は、子供のように、じゃれあう。

二人とも、いまでは、ケイトはカナダにもどり、ミューはアメリカの片田舎で立川の軍人に嫁にいってしまったが、その時の、言葉の数々は、ケイトの瞳の深さを、喫茶での笑い声を、彼女の振り袖姿の似合わなさを、歌詞はわからないまでもメロディに酔ったあの時間を、懐かしく、思い出す。


時間とは未来に向かって飴の棒のようにのびたそれではない、この言葉が痛切に、脳に響いた。
時間とは瞬間の中に永劫があり、永劫の中に瞬間があるのだ。