95歳へ!―幸福な晩年を築く33の技術/渡部 昇一
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渡辺昇一が以前何かの本ですでに70歳を超えてもまだラテン語の勉強をはじめたということ、そして暗記すれば暗記するほど、ラテン語が暗記できるようになってきている、という一節からのヒントである。そのまねをして今、芭蕉、百人一首を暗記しているのだが、はじめの頃は苦痛でなんで50歳からこんなことをやっているのだろうか、とも思ったのであるが、無意識がそれを望んでいるような気がしたし、小説を書いているせいか、頭の体操にはなるかな、ぐらいの気持ちで始めたのである。すると、enhlish の方もなんのなんの、暗記が進むのだった。もちろん、私のライフワークとして、死ぬまでやるつもりであるが、この名文句、詩、短歌、俳句、というのは正解であった。暗記の弊害がよく言われるが、それは意味のない暗記であり、言葉の羅列の美といえるような、発音まで微に入り昔の歌の達人が考え工夫した歌には、心をいやすものがある、そんな気もする。モーツァルトのクラシックと同じ効果であろう。
めぐりあいてみしはそれともわかぬまにくもがくれにしよわのつきかな
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな
■友を月にたとえたあたりなかなかのおしゃれな感覚でありさすが紫式部だな。彼女の娘の歌を次に・・・
紫式部が小さな頃に父親の藤原の為時が彼女の弟ののぶのりに学問を教えていると側で聞いている式部の方がなんでも先に覚えてしまい「この子が男の子だったらなあ」と為時が大変なげいたという逸話があるぐらいですからね。彼女が結婚してすぐに生まれたのが大弐三位-だいにのさんみ、です。夫を失った式部の大切な娘である。
有馬山 いなのささ原 風ふけば いでそよ人を 忘れやはする
*あなたのほうから風が吹けばわたしはそよそよとうなずきます、ねえ、そうでしょう?
どうしてわたしがあなたを忘れたりするでしょうか。*
■このあたりは男として、賢子-かたこ-という名前どうり、あまり生真面目すぎて、ひいてしまうところではないか。昔は女から愛の表現はできなかったらしいから袖を振ったりするのですが、この男もまたいいわけをしている。「そんなことないですよ。私はあなたに嫌われたと思って遠慮をしていたんですよ」。 調子がいいなあ。
これはもう「もう興味ないよ」というのと同じだし、今の遊び人の男の子も同じことを言うだろうね。名作の紫式部日記の手紙文も賢子が成長したときのことを考えて式部が心くだいて書いたものとされている。賢子が15歳の時に式部が亡くなり母の後をついで、しょうしに仕え正三位、太宰大弐高階成章と結婚しています。