言語は他者であるという、哲学者ラカンの言葉がある。つまり無から有は生まれない、したがって他人の脳から借りてきた言葉を無意識に使うのが人だ、ぐらいの意味であろうが、その他人の言語もかりものであろうから、この世の言葉はすべて借り物ということにもなる。しかしこのことはよく考えればあたりまえなのであって、料理のレシピと同じく、基本的な言葉のアルファベットさへきちんと踏まえて使用していれば、あとは料理人の使い方ひとつで、それが他人のレシピからの借り物であろうとなかろうと、確かにその人の息づかい、その人のパッション、その人の心構えが味として出てきていればそれでいいのではないか、そう私は思っている。そういう私だって、若い頃はもうほとんど、毎日のように、友達とジャズ喫茶にて、小林秀雄三島由紀夫坂口安吾などについて議論していたものだ。昔のジャズ喫茶は静かにしていないと怒られるのでまず議論したあとにジャズ喫茶で頭を冷やすのであるが。