【ユアストーリー】僕が批判を肯定する理由【030】【サンブンノイチ】【ほならね理論】 | 天風呂(アメブロ)

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前回の動画で ドラクエ世界の住人が
「マジ」という言葉を使うのが不自然だと批判したけど
11で普通に使われてました。

 

 


5で出てきたかは覚えてないけど。

ドラクエの世界観って完全なファンタジーというよりは
現実での流行りを投影したり
中世に合わないモノが登場したりしてる
「なんちゃってファンタジー」みたいな所もあるから。

・コギャルが登場する
・水着(ビキニ)、バニーガール等
・学園モノ

だから「マジ」って言葉が出てくるのは変だってのは
僕が間違えたかもしれない。

まぁこれを撤回したからと言って
僕の批判ポイントはせいぜい100が98に下がった程度だけど。
 

 

 

 






僕は映画を見た後チケットの半券を記念に手帳に張り付けたり
映画によっては売店でステッカーが1枚216円で売ってるから
それを買って貼り付けたりとかしてるんだけど。

ステッカーって秋葉原とか下北沢にあるような
ステッカーのガチャガチャだったら1枚100円だから
216円もちょっと高いんだけど
まぁ映画のグッズって元々みんな高いし
これぐらいならいいかなって思ってるけど。

 

 

 

 


このユアストーリーのステッカー
2枚セット売りなんだけど500円ぐらいなら
良いかなって思うんだけど

 

 

 

 

1200円するから!
1枚当たり600円!

たかだかステッカーに!

 

 


ドラクエのモンスターバトルスキャナーっていう
アーケードカードゲームもそうだったけど。
たかがペラ紙1枚に200円とか300円とか払わせようとしてた。

これらを作った人達は、商品自体が大したものじゃなくても
ドラクエのキャラクターを使えば
高く設定しても買う奴が居るって分かってるから。

本当、ドラクエのブランドだけは良いように使うんだな。
(これへの文句を言いだすと長くなるので割愛。)






ユアストーリーが世間に与えた衝撃は相当大きかったようで
色んな人が自分の意見を述べてて
正直映画よりこの騒動の方が面白かったので
色んな動画を見て回ったんですけど。

映画に対して好意的に捉えてる人も一定数居るんだけど
最後のオチについて全肯定する人間は本当に稀で、
あとあのウイルスの
「ゲームは大人になったら卒業するべきものだ」っていう
「ゲームを否定する考え方」を支持する人間は
僕が見た限りでは一人も居なかった。
っていうのがまだ救いだったな。

ていうかそこで賛否が分かれるような世の中だったら
この映画はむしろゲーム好きな人達から
称賛されていただろうなと思う。







僕が凄く納得した意見で
レアハンターマラリアさんって方の意見と解釈が
凄くしっくり来た。

 

 

 

 

 

【映画レビュー】ドラゴンクエスト・ユアストーリーは、
なぜ、受け入れられなかったのか。
作り手と受け手の絶対的な”差"が生んだ"究極のおせっかい"


「ゲーマーに対する悪意だ
 っていう声があったけどそれは違うと思う」
「見てもいない人間が映画を叩くのはおかしい」
といった点には僕も賛同する。

僕も悪意があったわけじゃないと思う。
あれは悪意じゃなくて無神経。


作り手が意図していたものとは、
何故受けては納得できなかったのか、っていう考察。
作り手も批判側もどちらも悪者にしない言い方。

この人の考え方が一番納得できた。







もう一つ気になった動画

ハッとチャンネル 〜大人の為のゲーム情報局〜

 

 

 

 

 

 


【ネタバレ無し】ドラクエ映画を叩きたくなるのは仕方ない?科学がそれを証明した。
【ドラゴンクエストユアストーリー】
【ドラクエ映画】【脳Game脳Life#14】【脳科学×ゲーム】【ハッとチャンネル】



この人自身は映画に関しては好意的で
だけど批判する人の気持ちもわかる。っていうスタンスらしく。
この動画は映画への批評ではなく
映画を良く思わなかった人達が
何故映画を批判したり 批判動画を見て回るのかを。
脳科学の視点から考察する話だった。


で、この動画のサムネイル
「ドラクエ映画を叩きたい日本人」って
上から目線で人間観察してるかのような書き方が鼻についたけど
内容に関してはそういう上から目線な印象は無かった。

サムネイルで敢えて挑発的な書き方をして
ひとまず視聴者を誘い込んで
動画本編では謙虚な姿勢を見せる、ってのは
僕もよくやってる手法。



ただ気になったんだけど。



賛否のある論題について 意見を出す時って
・自分の後に別の人の意見が続いて行くものだと想定しているか
・自分の意見で完結させようとしている
の2種類があると思う。

「これはこういうことなんです!
 はいこれでおしまい!」みたいな。
そういった論調を使う人間をたまに見かける。

人によって生き方が違えば出来上がった価値観も違うんだから
ある答えで完結させるってのは絶対に無理な話。
全ての人を納得させる答えは出すことって出来ないんですよね。
だから僕は最初から目指してない。

だから「はいこれでおしまい!」って風になるのはせいぜい
所詮漫画やドラマの中でのみ。
だってあれは一人の人間の頭の中の世界だから。
現実で「これは真理なり。」ってのは通用しない。



そういうことをコメントしたら

「おっしゃるように、
 どれだけお互いの主張に意味はないと思ったとしても、
 それもまた人の心理のようです。」

いや別にあなたの意見に意味が無いとは
言ってないじゃないですか。
脳科学の視点とか なんでこの映画のオチが良いと思ったのかとか
僕はそれを否定してないし。
むしろ素直に なるほどなーって思ったし。


バミさんは
「自分の話を聞いても批判派の方は
 もしかしたら だから何なんだ?と思うかもしれません。」
と 反論が来ることを重々に想定していますと
何度も言ってるけど。

これって
自分の意見から別の意見に繋がっていくというよりは
自分が完全な答えを出したのに
それを理解できない奴らはどうせ出てくるだろうな、みたいな。
印象を受けた。悪い言い方をすると。

批判される方の気持ちもわかりますって何度も言ってるけど
これって 反対意見を尊重するというよりは
怒られたくない、っていう印象を受けた。





自分が本当の答えを知っていて、
周りの人間はそれを理解していないから翻弄されている。
みたいな考え方。

実は知識を積み重ねた人間や頭がいい人ほど
こういう考え方になりやすい。

僕が言いたいのは視点や解釈を
信じるとか信じないとかじゃなくて
あなたは人心を掌握している上の立場の人じゃなく
様々な意見があるうちの 肯定派よりの
1人に過ぎないんですよ?
それ以上でも以下でもないんですよ。僕もそうだし。

その辺だけ勘違いしてないですか、ってことを言いたかったんだけど

コメントしたら
「ありがとうございます。」とだけ返ってきて。

 

 

 


あ、これ

めんどうくせえって思われたんだな。

って思った。

 

まぁしょうがない。
沢山のコメントを相手にしてるからね。
僕一人を懇切丁寧に対応するわけにもいくまい。





バミさんは、映画に対して好意的で
論争や批判意見を無くしたいっていう前提があるから
その時点で既に中立ではないんですよね。
自分と反対の意見はあっても仕方ないけど、良く思ってないって事。


僕はこの論争は面白いからアリだと思ってる。
折り合いを付けなくてもいいじゃないですか
別にいがみ合ってるわけじゃないし。
僕は映画に対してマイナス評価だけど
自分と反対の意見 プラスの評価の人達の言い分も良いと思ってる。

僕は毎回自分の動画の最後で
「この動画が良いと思ったらグッド、
 悪いと思ったらバッドを押してください」
って言ってる。
つまりはプラスもマイナスも良しとしているつもり。

でも大概の人は
「高評価ボタンを押してください」としか言わない。

別にそれはおかしいことじゃない。
僕の方がひねくれてる。



バミさんはこの論争に終止符を打ちたい、
「映画を悪く言ってもしょうがない」
「脳の構造がそういう風になってるから」とか言ってるけど
批判を止める理由を提示していない。

こっちも止める理由が無いし。
飽きたら止めるけど。


もしかして
「争いからは何も生まれないじゃないか」っていう
考えのもとに言ったんじゃないかなって思うんだけど。
僕は批判や論争から生まれるものもあると思うよ。

仮にそこを一歩譲って
「争いからは何も生まれない」とする。
「だから止めた方が良い」って言うんだったら

「ゲームをやっても何も生まれないから止めた方が良い」
っていう理屈が成立してしまうけど
それはどうなんですかね。



別に悪い意見があってもいいじゃん。
それこそ多様性を認めるってことなんじゃないの。



僕はバミさんの意見に対して
「おかしい」とか「意味がない」とか一言も言ってないのに
「意味が無いと思われた」と捉える辺り

多分「批判される = ×」っていう先入観を持ってるんだと思う。



批判や論争を 悲しいことだと思ってるんだろうな。

この人はきっと優しい人だから
世の中は好意的な意見や感情で溢れてほしい、
争いは無くなって欲しいという風に思ってるんだろうな。

突き詰めると ご自身が悪い意見を見たくないって事でしょう?


世の中は好意や肯定で溢れてほしいと思いつつも
「批判」「論争」に対してはそういう風には見てはいない。


僕は「否定」を「肯定」しているけど
彼は「否定」を「否定」している。

これもまた 善人のジレンマ だな。

実は善人の方が差別意識が強かったりする。
汚いもの、危ないものを排除したいっていう気持ちが強いから。






一言で言うと
謙虚な姿勢で人を見下している。

この反対意見を聞いた所で
「あぁなるほどそういう考え方もあるんだな」
という風には思ってくれないかもな、って思う。

「自分の話を理解できないんだな」
って思われるかもしれない。


でもそれもしょうがない。
何でかって言うと
「人間はこうだと決めたものをひっくり返すのが非常に苦手」

らしいですからね。(バミさんの動画からの引用)

だとしても 
僕の話を分かってもらえなかったとしても、
僕は自分の伝え方が下手だったと考えますけどね。
もしくは 僕の方が穿った見方をし過ぎている。
意思疎通が出来なかった場合は 基本なるべく
自分の方の落ち度を見るようにしてるので。


バミさんに対して あの動画で抱いた印象は
優しくて、謙虚で、自覚無しに慢心しているなと感じた。

でも、バミさんもユアストーリーの監督も
悪意は無いんだと思う。

僕はあるけどね。








もしバミさんが僕の動画を見て、
「うわ面倒くせえ奴に絡まれちゃったなー」とか思ったとしても
もし心の中でそう思ったとしても
それを敢えて隠して
「確かにあなたの意見は大変参考になりました。」

とか書いてくれそうだね。
きっと僕と違って善人だから。










次の動画なんですけど
僕がYouTubeをやる上で参考にした一人で
ピョコタンさんって漫画家が居るんだけど。
ピョコタンさん自身は映画に対してはトータルで見ると
好意的だけど最後のアレに関しては良く思ってるわけじゃない
というスタンスらしい。

 

 

【※ネタバレあり】ドラクエ映画を酷評してる
自称ドラクエファンのほとんどが自己中のゴミ人間!【ピョコタン】





映画を酷評する人間に対する批判動画を上げてた。

この人の批判対象がかなり絞られてて
例えば
「新しい作品に対して否定から入るな」
「最後だけが悪かったからと言って
 映画全部が悪かったというのは違うだろ」
「叩いていいという流れに便乗して叩くのはおかしい」
「ドラクエの派生作品がどんどん作られてもいいじゃないか」

その辺に関しては僕も同じ考えだし。
ピョコタンさんの言い分は概ね同意する。

僕はあの映画のメッセージに対しては
まぁまぁムカついてるし低評価の側の人間だけど
高評価側の側の言い分を否定したいわけじゃない。
反対の人の意見も尊重する。
 っていうことなんですよバミさん。



ただ一つ ピョコタンさんの言い分で気になったのが
酷評するであろうドラクエファンに対して
「お前らはいらない客なんだよ」って言ったこと。

ピョコタンさんはよく過激な言い回しを選ぶから
本心からそう思ってるかは分かんないけど。

いらないことはないでしょ。
観客動員数が100万超えたらしいけど
それだって大半は後に酷評する人たちでしょ。




恐らくマラリアさんや バミさんや
ピョコタンさんが嫌ってるのは
ただただこの映画を悪く言うべき、叩くべきみたいな
集団の流れに便乗して
レビュー動画の中身を見ずに
酷評する動画にグッドボタン、
面白かったという人の動画にバッドボタンを押すような
自分の頭で考えず ただただ右向け右に従ってるだけの
連中に関しては僕も擁護する気は無いです。




僕は表現の自由を支持する人間だから
この映画を作るべきじゃなかったとかそういう風には思ってない。
ただクソだなって思ったからクソだって言ってるだけ。

バミさんも ピョコタンさんも
映画を酷評する人たちに対してウザったがってるけど。
酷評されるような作品が
世に出されたんだからしょうがないじゃないですか。
これも因果なんですよ。









「嫌なら見るな」っていう考え方と
「見たから嫌って言っていい」っていう考え方
の二つがあると思う。

表現する人やクリエイター系の人 もしくはファンは前者、
批評家ほど後者になりやすい傾向があると思う。

人の価値観は自己肯定が前提にあって
自分にとって都合のいい方の考え方をするようになってるから。



でも一見相反するような この2つの考え方って
見ようによっては矛盾が無くて両立する


この「嫌」には色んなニュアンスが含まれていて
倫理的な観点からの問題であったり、
見た人が個人的にトラウマを抱えてるとか、
単純に好き嫌いだったり。


神経を逆なでされるような表現を視界に入れたくないって場合は
一般人側が見ないように努力する必要もある。

僕にとってのユアストーリーは
見ない方が良かった、これなら見たくなかったと
思ってるわけじゃない。

見た上で言いたい事がいっぱいできたから
僕はそれを言ってるだけ。
それを我慢する気も無い。



表現者側の、批評家に対する考え方で
「ほならね理論」ってのがある。
「文句があるなら自分で作ってみろ」っていう反論。

「サンブンノイチ」っていう映画の中の言葉で
「お前ら映画好きは 一分だって一秒だって
 映画を撮ったことがないくせに!
 あれこれ文句つけて語りやがって」

みたいなセリフがあった。

これもしかして 監督の気持ちを
キャラクターに代弁させたのか?
っていう疑いがあって。


シネマハスラーで宇多丸さんが
いやそれは違うんじゃないの、って反論してた。
宇多丸さん自身が批評家だからバツの悪い気持ちに
なったのかなって勝手に思ったんだけど。


あの新海誠監督も「誰でも思いつくだろ」みたいな批判に対して
「だったら自分で作ってみたらどうですかね」
ということを言ったらしい。



僕自身は一応 読み手であると同時に作り手でもあるし
どっちの立場でもあるつもり。
アマ中のアマだけど。

だから、批判を肯定することが
自分にとって一概に都合のいいものではない。
僕が人の作品を叩くことを正当化するっていう事は
逆に自分の作品が叩かれることも正当化することになるから。


マンガを描いてネットで公開してコメントを貰うけど
エッセイ漫画だからってのもあるかもしれないけど
絵とか内容の批判ならまだしも
僕の思想や人格や人生にまで辛辣に批評される。
辛いし、コメント欄を見るのが怖いと思ってる。

でも、表現をやる人間は

みんなこれを相手にしてるんだな、って思った。
こういうもんなんだなって。



プロなら更にこの何千何万倍の批判を受けてるんだろうし
心の余裕ってのが僕よりもっと不安定になるんだろうなと。
だから怒ったり 言い返そうって気持ちが強くなったり
選ぶ言葉を間違えたりしやすいのかもしれない。



その上で僕の考え方を語る。
僕程度だからこそ語れることかもしれない。
作り手と読み手の両方の立場だけど
作り手寄りの気持ちを持った上で話します。







表現をやる人間ってのは 例えるなら
舞台に上がってるようなもの。

観客側は 舞台の上に上がった人間のことを認識できるけど
舞台の上に立ってる側は観客のことを個人個人を認識していない。
一方的に評価され点数を付けられる側であってフェアーじゃない。

流石に公演中にヤジを飛ばすのはタブーだけど
舞台が終わった後にアンケート用紙に

ボロクソに書かれてたこともあった。
舞台に上がって表現するってのはそういうことだと思う。
それが怖かったら観客席に座っておけばいい。



他の例え方をするなら。
例えばプロ野球選手の試合中に偉そうにヤジ飛ばすオッサンとか。
じゃあお前は打てるのか、とか。
その選手の代わりに野球できるのかって言うと
違うじゃないですか。



格闘技の観客とかも。ヤジを飛ばす奴が居たとしても。
選手はそいつらを相手にはしない。
だってそいつらはリングに上がってないから。
対戦相手はそいつらじゃなくてリングの上に居る奴。


だから たまに
漫画描きであったりゲームデザイナーとかが
自分の作品を酷評した人と喧嘩をしだすのを見かけるんだけど
見てて正直ダセェなって思うもん。
なに舞台を降りて観客と喧嘩を始めてんの、って。
僕の価値観だけどね。




クリエイターにせよ なんかの選手にせよ
表現者の視点からすると 観客なんて所詮は
その他大勢なんですよ。


僕の漫画を読んで僕の人格や人生を叩いてる奴らも。
人のこと悪く言えるほど立派な人間なのかって見方もあるけど
でもその人達に 自身の情報を提示してみろとか
そういう風には思わない。
僕はその人達の人生や人格にあんまり興味が無いし。

少なくとも僕が表現を行っている場面においては
主役は僕で、その人達は所詮主役でも対戦相手でもない。

そういう風に割り切ってる。
読者の観客の意見としては聞いておくけど。








だからこの世の中において
表現をやる人間はそうでない奴らより偉いのかというと
またそれも違うと思う。

表現者の視点からすると その他大勢の観客たちも
それぞれ対戦相手や向き合ってるものが別にある。
会社員としての仕事であったり
学生としての勉強であったり。

表現者っていう道を選んでる人は
社会貢献だったり勉学であったりに
その人達ほどは費やさずに
自己表現や作品つくりっていうエゴに費やしてる。
だからその人達より一概に偉いってわけじゃない。





まぁでも表現者の立場として
「ただ文句言うだけの奴らよりも
 表現をやってる自分の方が偉いに決まってる」
っていう風に
心の余裕を安定させたり
自身を奮い立たせたりするために
そういう風に考えるのも まぁアリかもしれない。




僕は表現の自由を支持しているし
批判も表現の一種だと思ってる。

表現の自由を行使するってことは
批判されるリスクを背負うって事。




表現する側は コンプライアンスやゾーニングやら
守るべきところは意識するべきだと思うし

批判する側は 批判する自由を大義名分にして
誹謗中傷や人格攻撃などを行ってはいけない、とか

各々が自分の中での責任だとか考えて
調整してバランスを持つべきだとは思う。




次回は およそ10年前の
ゲームや ゲームユーザーが軽んじられ、
悪者あつかいされていた時代の話を
僕の見てきた視点で語ります。



その後はユアストーリーのお節介なメッセージ性と
どこか通じる所のあるレディ・プレイヤー1の
メッセージ性についての話をしようかと思います。



その辺を語る為には
君の名は。を  僕は多分二度と観ないなと思ったんだけど
その理由について語ろうかなと思ってます。