マルクスという人物について【028】彼女が性被害に遭った男性 | 天風呂(アメブロ)

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風呂上(ふろがみ)リョウ様 といいます。気軽に呼び捨てでリョウサマと呼んでください。

 

 

 

 

ネット上で活動してる人物で僕が注目してる人で
マルクスさんっていう人がいる。
自分の彼女が性被害にあったことをきっかけに
世の中の性被害問題や性差別問題に取り組んで
メッセージをツイッターの呟きや漫画にして発信してる人。

「彼女が性被害に遭うなんて」という
書籍を出版された。
 

 



当然どんな意見でも 全ての人が肯定するわけではない。
この人に対しての批判意見も結構ある。

 

 


人って肯定よりも否定意見の方が声が大きくなる。

100人いるうち99人が肯定しても1人は否定するかもしれない。
10000人が見れば100件の批判が来る。
っていうのが当然。

だから100人が叩いてるからと言ってそれが全てとは限らない。
見たけど批判してない9900人が居るかもしれない。




マルクスさんのツイッターや本を読んで
僕個人がこの人についてどう思ってる かって話をします。

この人に対する批判意見でいくつか例を挙げると
「性被害を訴えるブログにアフェリエイト広告を貼ってたり
 こういう風に本を出して売ったり
 彼女の不幸を金に換えてる」

といった意見。

僕の考えなんですけど。

人が生きていく上で 自分の時間をどう使うかって人による。
睡眠や食事といった生活とは別に、その人のやりたい事。
趣味であったり、勉強であったり、社会活動であったり。

それをやるためには、金や時間が要る。

金を稼ぐ手段ってのが仕事だったり。
その仕事がやりたい事のうちに含まれてるかどうかも人による。
やりたくないけど 生活や やりたい事の為に
必要だからやってるって人も多い。



仕事してない人も居るけど。
そういう人は何らかの形で収入があるから仕事する必要が無いのか
別の人や何かしらの機構から金をもらってるかのどっちか。

その理由は 怠慢でそうしてる奴も居るだろうし
あるいは精神的、もしくは肉体的な負担が
平均よりも大きいっていう事情を抱えてる人。



僕がだいぶ前の動画で
「生活保護受給者」ってものを批判的に語ったんだけど。
当時は 明らかに怠慢でそうしてると感じるような例を
情報として受け取ってて憤りを覚えてた。

偏った情報だけを持ってるから
偏った見方をしてしまってたと
今では失言だったなと思ってます。


でも怠慢でそういう生き方をしてる人に向けての

感情は変わってないけど。
事情があってそうしてる人達には批判的な見方はしてないです。

…という風に区別してると宣言したとしても、
事情があって仕事をしてない人で、尚且つ真面目な人ほど
「自分の生き方は怠慢かもしれない、
 怠慢だと思われてるかもしれない」って
考えてしまうこともあるようなので。


基本的に他人の行動に対して
特にそれが加害行為のようなものでもない以上
批判的な見方を述べることは控えようかな、と思ってます。


 それでも本当にどうしても
 こいつらだけは…って思う相手も居るから
 保証は出来ないですけど。







そういった例外は別として。

みんな、毎日の時間、肉体、頭脳を
生活と、仕事と、「何かやりたいこと」にそれぞれ配分して
過ごしていってる。


で、人生に大きな影響を及ぼすほどの被害を受けた人は
それだけでハンデを背負って生きることになる。


仕事とは別、つまり収入にならないのに
社会奉仕や社会活動 ボランティア等をやってる人は
大概が義憤に駆られてる。
何らかの理由でそれをやろうと選択した上で行ってる。
そういうのは
「心に余裕がある人間の善意」

その人達は別にそれをやらなくても
その人の人生にとっては何も損は無い。
悪い言い方だけど結局は「他人事」だから。


マルクスさんや彼女さんみたいな
直でその被害を受けた人にとってはその活動は
他人事じゃないし、心に余裕も無いし、
善意じゃない。
自分の人生の為にやらざるを得なくなったこと。



やらない、っていう選択も出来る。
でも実際に被害を受けて 精神的にダメージを受けてる。
そういう人は生活、仕事、趣味だとか
生きてる間の全体の時間、肉体、頭脳
全てに負担がかかってる状態。ずーっと。
例えば趣味を行っている最中であろうと
2時間の映画を見てる最中だけでも
完全に忘れることが出来なかったりする。





この人達はこういう目に合った上でも
これまで通り、仕事にも行かなきゃいけないし、
生活の為にも色々やり続けなきゃいけない。


社会活動(性被害に関する運動)をやる分 自分の時間を消費してる。

でもこういう活動で金を得られたら
活動自体が仕事の代用品になる。

それが出来れば元々この人達が
やりたい事の為に使うはずだった時間を少しでも取り返せる。

流石に本当に生業にできるほどにはならないかもしれないけど。







マルクスさんを批判してる人達の言うように
「彼女の不幸を種にして金儲けしてる」

っていう見方もあるかもしれない。

けど僕は別にそういう風には見てないかな、と。



そういう悪い見方をする人って
別の理由から、この人の行動を
すべて否定的に見るようになってるか。

「金儲け自体が悪い事」
だという価値観が刷り込まれてるか。


問題は、得た金を何に使うかじゃないかなと思う。
損なわれた人生の余裕を取り戻すためかもしれないし。
活動を続ける資金にするかもしれないし。

仮にちょっとぐらい贅沢したとしても
僕は別に文句言わないけど。
その分、それ以上に苦しんでるんだから。

この本を出す上で 内容を書き出す上で
被害を思い出しながらやらなきゃいけない、
しんどい作業だったろうなと思うし。


 僕のこの動画だって
 趣味というには微妙なラインなんだけど。
 主張したいことがあるから動画を作ってる。
 一本作るのに5~6時間かそれ以上はかかってる。
 仕事から帰った後か、休日の時間利用して。
 漫画描いたりゲームしたり映画観たりも出来る時間を
 一部動画作りに割り当ててる。

 もし僕の話が需要が上がって
 この動画が収入になれば仕事減らして
 他の活動にも時間使ったり
 投稿ペース増やせるんだけどなって思ってる。







マルクスさんと この彼女さんだって
この活動は趣味でやってるんじゃない。

問題への取り組みや発信に人生の何割か、
日常のうちの何時間も使ってるだろうし。

他にやりたい事いっぱいあると思うし。
これで金を得るのはむしろ良いと思う。
僕はこの本をkindleで千円で買って
1冊につきいくら入るのか分かんないけど。


もし、直の被害者ではない、ボランティアの人達が
そういう活動を金に換えていて、
それを活動資金じゃなく贅沢に使っていたら、
そしたら疑問は感じるけど。










この人を批判する意見のもう一つは
質問に答えない、っていうこと。


「あなたの言い分ってこうじゃないですか?」っていう
マルクスさんの発言の中で
疑問の残る部分だったり矛盾だったりに言及されることがあるけど
基本的にマルクスさんは沈黙してる。

都合のいい意見しか拾わない、弁明しない、
といった部分の批判。




そういった質問に対してまず2つの選択肢があって。
「回答する」か「沈黙する」か。

沈黙することの意味だけど、

相手のことを悪いように捉えると、
本当に相手が悪者にしか見えなくなる
って心理がある。

そういう状態の人間の投げかける質問は
「相手を悪だと確証を得ることが目的」だったりする。


質問された側としては、その質問にどう答えた所で
悪いようにしかとってもらえないと分かってる。
マイナス2になるか、

マイナス1になるか、

かろうじて±0になるか。
そういう質問は答えるだけ無駄で、
いっそ沈黙する方が妥当だという判断。



その相手のアクションに対して
「質問に答えない」「落ち度が無いと証明しない」
という理由で 不誠実、誠意が無いと解釈することも出来る。

でも そもそも質問者側に誠意があったのかって見方もある。
それはつまり先程述べたように
「相手に対して理解を示す気が無い
 悪だと確証を得るための質問」だったり
質問者側の態度だったり。


まぁ質問者側にそもそも疑問や疑惑を抱かせたのが
今回の場合はマルクスさんの方って見方もある。
この辺の話って追求し出すとキリが無くなる。

僕は、質問に対して沈黙するのは一つの手だと思うし、
逆に
それに対して悪い評価をするのも当然だとは思う。







で、もう一つが。

性被害を受けた人間に対して 
なぜ被害を回避できなかったのかと質問、追及して
被害者を二次的に追い詰めてしまうことを
「セカンドハラスメント」なんて呼ばれたりする。

一般的に流布してる言語形態と僕の認識とじゃ
意味そのものが乖離してる可能性があるから
僕はそういった言葉を使わず
造語を持ち出して説明する方が話しやすいので僕は


僕はこういうのを性被害に限らず
「理不尽の証明(の追求)」と呼ぶけど。


理不尽の証明を追求することの問題点は
過去の動画で既に語ったので
そちらを参照してください。
【008】【020】


マルクスさんに対する質問が結構
理不尽の証明の追求に当たってしまってる所もある。


じゃあどうすればいいのかっていうと
質問する前に想像してみる事じゃないかな、と。
相手の背景事情を。

「そもそもの理由が マルクスさんの主張そのものが
 関節的に 別の何かに向けた批判になってしまっていて
 その不当さ、矛盾を言及しているのであって
 二次加害が目的ではないし、
 背景事情を洞察する義務は自分には無い。」


っていう風に考えるのであれば
その人は結果としてマルクスさんに対して
悪い評価を持つんだろうなって思うし。


僕はこの人が過剰に叩かれ過ぎてるな、って思ったから
今回の意見を述べてる。






他に、Amazonレビューで
酷評の理由に「絵がひどい」ってのが多いんだけど


この人は多分元々絵描きでも漫画描きでもないと思う。
だから別に画力は求めてなかった。
この本はなんとなく
活字7割 漫画3割 だと思ってたんだけど
全編漫画で、あぁ全部漫画にしたんだ。って思って。
確かに漫画の描き込みは少なかった。

この人のツイッターの漫画、
最近はちょっと絵が上手くなったなって感じたりもして
この人、本当はもっと上手く描ける人だと思うし、
なのにこの絵で完成という形にしたのはただの手抜きだなと思う。

この人がそもそもTwitterで漫画を描き始めたのは
活字だけでメッセージを発信するよりも
漫画にした方が多くの人の目に触れやすいからだと思う。



つまり、漫画を描くに至った経緯が
「漫画を描きたい」じゃなくて
「メッセージを伝えたい」という所から来てる。

だから性被害撲滅に関しては丹精込めて活動してるけど
漫画という表現技法を選んだわりには
恐らく漫画を描くという行為には誠意を持っていない。

もしかしたら
いつも描いてるのが1~4ページのツイッター漫画家が
完成に100ページ以上という目標を前にして気折れしたか
時間が無かったかのどっちかかな、と推察も出来るけど
そういった作り手の背景事情なんて
買った人間にとっては関係無いし。

その辺は僕も 駄目というよりは 評価として悪く見てる。
下手だからじゃなくて、著しく手を抜いたから。



でも、絵で叩いてる人達の中には
仮にこの漫画の絵が上手くても
別の所を叩いてる人も居るだろうなって思う。




で、マルクスさんが何故批判を浴びるのか、って事への僕の考え。
いくつか思い当たるし、僕自身も良く思っていない所がある。

一番大きいのは「偏考」だと思う。
考え方が偏ってる。
AとBの2つの考え方があって
Aの方が正しいという考え方しか持っていない。

例え頭の中で両方の見方を持っているとしても
役割上、片方だけが正しいという風にしか

主張できないという立場もある。

けどこの人の場合はそういった演出ではなくて
素でそうなんだな、
Aが正しいという考え方しかしない人なんだなと感じる。

かといってそれが特別悪い事なのかというとそうは思わない。
誰だってそういうものだと思う。






次に
僕は他人の意見に対して
「俯瞰して見る」「一意見として割り切る」っていうのを意識してる。

例え自分の思う正しさと異なる意見を見かけても、
その価値観自体が、自分にとっての脅威になり得るとでも
思わない限りは、平静を保てる。


「その人はそう思うんだな」
「その人は、その人の人生を辿ってきた
 結果としてそういう考え方をしてるんだな」

という風に。
1人の人間の意見として軽んじたりはしない代わりに
それ以上としては見てない。



でも皆が皆この見方が出来るわけじゃない。
その見方が出来るだけの条件を持ち合わせてない場合
感情が高ぶったり、反論したり、否定的になる傾向がある。
僕自身そうなる時はある。
今回がたまたま平静でいられる条件が揃ってるだけで。



マルクスさんは 価値観の片寄りが見られるうえに
言い回しが結構「確定事項」みたいな印象。

「自分はこう思います」
「自分はこのように考えます」じゃなくて

「世の中はこのようになっています」
「皆がこうしていくべきです」みたいな言い回しが多い。

言ってることは間違ってないんだけど
主語が大きい人を見てる気分になる。



僕も性被害問題を提唱する女性たち
(フェミニストという類の人達)をフォローしてみて
その人達の言い分を聞いてみたりしてるんだけど。

マルクスさんはその人達の提唱する話題、を
漫画の題材にしたりするけど。
そのまま漫画にして置き換えてるだけだから。

フェミニストの方達が
「この件に関して こうだ!」って意見を言ってた後で

マルクスさんの漫画も
「この件に関して こうだ!」って内容だから。

あれ、この話もう見たぞ?って感じる。


「最近この件が話題になり、こうだっていう意見を見かけますが
 自分はこういった経験があり、このように考えています。」
とかじゃないから。


あの人達の言い分をそのまま漫画にしてるだけ、
そこに自分の意見を介入させてるように見えない。



むしろ「そういった話題を漫画にして分かりやすくする」
ってのがコンセプトで
わざとそうしてるのかもしれないけど。

僕は、
あぁいう人達の価値観をただコピーしてるだけなのかなって感じる。


性被害や男尊女卑の問題において
加害者になり得る男性という立場から
そういう視点でしか見えないものを持って
両方の視点から取り組んで
自分なりの答えを出していく、という姿勢のが良いと思うけど。


フェミニストたちの価値観をただ真に受けてるだけの考え方に見える。






マルクスさんの漫画で
特にそれを確信したのがこれ。

 


これは僕が真似して描いたやつなんですけど。
 

 

 

 


経緯としては
フェミニストとアンチフェミニストの人達が言い合う中で
男女の対立構造みたいな形になっちゃってて。


世の中で起きてる物事をいくつか挙げられて

「女の敵は男じゃなくて 女の中に居るんじゃないのか」
「女性を生き辛くしてるのは女性自身じゃないのか」

だから男の悪い部分を見るんじゃなくて
女の悪い部分を見るべき、みたいな。

っていう意見が出て。

僕の考えとしては
そういう場合もあるし
そうでない場合もあるよね
 って感じ。



それに対してフェミニスト側の意見で

「そういう考え方をしているのは
 男にとって都合が良いからだろう」って意見も見かけて。



その後に マルクスさんが上げた漫画がこれ。

 

ただの印象操作じゃん。

その主張をする側の意図を汲み取るわけでもなく
ただのおかしい人間、言い分として描写してる。




表現ってのがそもそも印象操作を意図していることもあって
こういう風に 作者が否定したい思想や立場を
悪人だったり 気が狂っているかのように描いて
さらにそのキャラクターへの否定的な評価を連ねる。
で、読者に悪い印象を抱かせる。

表現を使った印象操作としては初歩的なやり方ではある。
真に受ける人は割と簡単に真に受けるけど
見抜く人は簡単に見抜ける。


抽象的な悪として描いたこの意見自体が
実際にリアルタイムで 一般的に流布してるものだし
そういう考え方寄りの人とかが
マルクスさんに不信感を抱く。




考え方が偏ってる。


AとBの考え方があって
Aしか信じていない人間。

両方を見た上で自分なりの
考え方の落としどころを見つけようとする、
その方が良いと思ってる。
逆にそれが全く見えない人は僕は信用しないし。


ただこれは例外もあって、
「どちらか一方を支持することでしか
 自分の尊厳が守られない立場」の人。

言うなら
「被害を受けた人間」は思想を選択する自由が無くなる。

AとBの考え方のうち
Aしか選ばない人じゃなくて
Aしか選ぶことができない人。


マルクスさん自身も被害者だし。
そっち側の思想を絶対正義だと思うようになるのも当然だと思う。











もう一つ。

人間誰しもが加害性を内包していて、
それをどれだけ 出すか、出さないかの違い。
そのバランスだとか 人間性ってのは
環境や境遇で決まる。

最低な極悪人だと思うような人物でも
もしかしたら自分がそういう風になっていた場合も
あったもしれないなって思ってる。

今の自分がある程度の善性や人間性を保っているのは
これまで ほとんど運が良かっただけだと思う。


また、もっと小さな規模の話でもあり。
日常の中でも誰しもが 加害者にも被害者にもなり得る。


僕はそういう考え方をしてるから
人の悪い要素を語る際は、
自分もやりかねない行動として語ってたりする。
もしくは自分もやらかした話とかも挙げたり。
自分を敢えて悪の側に置いてみて語るよう意識してる。





マルクスさんの漫画を見て感じたことは、

世の中を結構、勧善懲悪と捉え
尚且つ自分を善人だと思ってる。

マルクスさんの漫画において
マルクスさん自身の立ち位置って
悪いことした人を注意する立場であったり、
上司や彼氏からセクハラされる女性や
オッサンから告白されて困ってる女性とかの
相談を受ける立場であったりとか

自分を善人として描いてる。

他人の悪い行動を描くけど
自分の悪い行動は描かない。
(わりとみんなそうだけどね)

マルクスさん自身が悪い事をしてしまったって話だって
彼女を責めてしまったって話だけだった気がするし。


この世には善と悪が居て、

悪人が問題を起こす。
それは自分以外の誰か。

自分は少なくとも絶対に善人だけど。
っていう驕り。






もしかしたら本当に、胸を張れる、
真っ当な生き方をしてきたのかもしれない。

この世を勧善懲悪的に捉え
胸を張って自身を善人だと自負し、
悪を叩く権利があると思ってるのかも。


まぁそういう考え方も分かる。
僕も20代前半までは自分のことを善人だと思ってたから。
自分が善人としての悪人への見方
自分が悪人としての善人への見方。
一応 両方を経験してる。


僕みたいな悪人からするとそういう人って、
「あなたみたいな人が
 その善人という立ち位置に居るのは
 運が良かっただけだよな」

って思ってしまう。
勿論努力もあるんだろうけど。


マルクスさんは善人だろうなって思うけど
善人特有の始末の悪さも内包してる。

でもそれはマルクスさんの落ち度ではない。
むしろ

「恥じない生き方をしなかった方が悪い」
「善人を憎むような人間になった方が悪い」
っていう見方もある。

まぁ、善人に対して猜疑心を抱くような人間も居るっていう事。






・偏った価値観
・主語の大きい言い回し
・自分を善人と信じている
+漫画制作に対する不誠実さ


4つ目の要素はスケープゴートにされてる印象がある。


そういった条件が合わさって
批判したくなるような人間像を作り出してしまってる。




もし、そこまで分かってて。
どういう人に向けて賛同や理解を得たいか
どういう読者層をターゲットにして表現するかを決めてあって、
そのターゲットから外れてる層からは
叩かれる、批判されることを覚悟してる、割り切ってる。
そういう前提だとしたら、僕は「あぁ、そうなんだな。」って思うけど。


多分そこまで分かってるわけじゃなくて、
単純に表現者として下手というか、
善人としては不完全な部分なのかなと思ってる。

まぁ誰しもが不完全だし。
マルクスさんの不完全さは どこなのかが分かりやすいなって印象。


でも不完全な人間なりに
真っ当に生きようとしている人の一人だなと。



僕みたいに 人としての善性や道徳性を全うすることや
社会を良い方向に導こうといったことを諦めてる人間だとか
マルクスさんをただただ悪く言う人達よりは全然マシな人間。

この辺の評価は 僕が
被害者や表現者に肩入れしてしがちな傾向があるからなんだけど。






マルクスさんのツイートと、この本を読んで思ったことはそんな感じ。

マルクスさんの考え方について
なるほどそうなのかー、って思う所も多い。


マルクスさんの人物像は
ネット上や本から読み取って構築してるにすぎず
直接関わったことは無いから
結局どういう人なのかは分かんないけど。


ただ 僕とは仲良くなれないタイプの人だなと思う。



性被害に遭われた彼女共に快方に向かってて
2人はご結婚なされたとかで 良かったなって思う。


被害を受けてこれだけ努力してる人だから
マルクスさんも彼女さんも報われて欲しいと
今のところは思ってる。



まぁそんな感じです。





過去の動画で今回の話に繋がるかなと思った話は

さっきも出したけど
【008】僕が性被害者を批判してしまった話

 

 

と、

【017】性経験の無さが原因で加害性を発症し得る男の話


ある種 社会の被害者であり、かつ
ある意味マルクスさんとは完全に逆の男。


よければ見ていただければと思います。



今回の話から繋がるテーマとして
「善と悪について」
「フェミニストについて」
僕の考えてることをいつか機会があればやろうかなと思います。