処女性肯定と表現(後編)【022】恋愛漫画DEATHと性意識批判 | 天風呂(アメブロ)

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風呂上(ふろがみ)リョウ様 といいます。気軽に呼び捨てでリョウサマと呼んでください。

 

 

 

 

 

AV女優の蒼井そらさんが妊娠を発表して、それに対して
「子供が可哀そう」って批判してる声が上がってるとか。
僕もあと2,3歳若い頃だったら同じこと言ってたかもしれない。

でも、子供の幸せを考える上で重要なのは
親の職業より、育て方だったり虐待するかどうかじゃないかな。
極端だけど
・公務員で虐待する親
・AV女優でしっかり育てる親
とじゃ後者が良いと思う。


「AV女優が性的に不純」っていう見方はまぁ分かるんだけど
今日日、10代の子が性交したり、妊娠したり、おろしたり、
成人者も、婚前交渉したり、
付き合っても無い相手と遊びで盛りあったり、
2人とか3人以上の相手と肉体関係になったり。
別に咎めはしないけど、
世の中はそういうのが普通なんでしょ?

だったらこのAV女優だけがそんな風に言われるのは変だよねと。

性的な話じゃないにしろ 誰かを虐めたりだとか
そういった後ろ暗い要素が人生に全く無い人って居ないと思うし。
AV女優の親が恥だって言うんなら
大概の親が恥だと思うよ。
親っていうか 生きてる人間全般が恥


ある女優が蒼井そらさんの妊娠に対して批判的に
「自分がAV女優になろうって覚悟をしたとしたら、
 私は一般的な幸せを手に入れるっていう道は諦めたと思います。」
って言う人が居るんだけど。

恐らく、自分の信じていた正義が
否定されるような状況に対する憤りじゃないかな、って思う。
認知的不協和の表れ。




本題。

ネット上に挙げられてたあるウェブ漫画で
「恋愛漫画DEATH」って作品を見つけて。

リンク:りんごのジャンプ+


あらすじとしては、主人公の男子高校生が通ってる高校は、
程度の低いふしだらな人間ばっかりで、
いかにもチャラ男とギャルみたいな女が。
教室中でスマホいじりまくってて 男女でベタベタしまくってて。

主人公はスマホが嫌いな男子で、周りのそういう奴らに辟易としてる。
で、主人公はトイレを使ってると 隣の個室から
男女の喘ぎ声が聞こえてきて。
主人公はあまりにも気持ち悪くて嘔吐して。

「自分はあんな連中とは違う、清純な女性と付き合うんだ」
っていう風に思ってて。

まさにその清純な女性が同じクラスに一人だけ居て。
その子もスマホを持ってなくて。
主人公と付き合うことになったんだけど

クラスのチャラい連中からの虐めで
彼女が自殺してしまって、
主人公はクラスの連中に復讐を誓う。





1話目だけ読んで感じたことが、面白いとかどうかとかじゃなくて
気持ち悪いな、って思った。


この作品を見た感じ テーマを大きく2つに分けると
「性意識批判」「文化批判」

貞操意識低い奴とチャラい奴と
スマホとかLINEとかユーチューバーとか…
作者が嫌いなもの、もしくは内心で見下してる対象を
全部 漫画の中で悪者として描いてる感じ。
そこが気持ち悪い。

でもまぁ 創作ってそういう所あるんだよね。
ホラー映画とか チャラチャラした奴が真っ先に死んだり。
恐らく作ってる人間がそういう奴らを嫌ってるから

ってパターンが多いと思う。

僕自身もタバコ嫌いだから 漫画描くとき
嫌なキャラクターにばっかタバコ吸わせたりしてるし。

作り手にとって好きなものや自分にある特徴を、正義、
嫌いなものを、悪 あるいはバカの象徴として描く、っていう。


そういう露骨に何かを悪く描いてる表現があったら
僕は読み手として 作者がそれを嫌ってるか、
読者視点でウケを狙ってるか、のどっちかかなーって思ってる。



でもその漫画に対して気持ち悪いって思った理由を
「漫画の出来」とかじゃなくて
読み手の僕と 作者の「価値観の方向性の違い」。
僕の感性の問題として語る。

作者が自分の立場や価値観を肯定しようという気持ちを
表現に結びつけるって作り方があると思う。
作者が自己投影したキャラクターが幸せになったり
周りから認められたり。


僕は自己否定や自己批判から表現に結びつけたりする。
僕が作る話は、
子供の頃の僕みたいな生き方や価値観をしているような
キャラクターは不幸になっていったり。
主人公の信じていた正義が 世界によって否定されて
そこに何が残るのか、っていう内面と向き合わされる話を

描いたりする派だから。

その為に 他人じゃなくて 自分の内面の悪い部分を見ようとしたり
自分と真逆の苦手なタイプの人間を理解とか尊重しようと試みたり。


そういう考え方しだしたら
多くの人が自分の在り方を肯定できる

っていう前提で価値観を築いてる感じが

凄く見えるようになってきて。


この恋愛漫画DEATHを読んだとき、
あまりにも露骨すぎんだろ、っていう風に思った。

性的にふしだらな奴らが悪で、
そいつらと一線置いてる自分は清純って考え方。

あと単純に主人公がウザい。
やたら人に「低能」って言う。
そのくせ何故か認められたり好かれたりするし。

何よりそれを成立させてる作品世界が気持ち悪い。




でも気持ち分かるな、っていう。僕も10代後半の時同じだった。
髪染めてたり ピアス空けたりだの チャラチャラしてて、
下品で頭悪い癖に性に対してはすごく興味を示して。
そういう奴らを嫌うっていう気持ちが分かる。
僕もそいつらに「低能のクズどもが」って思ってたし。


でもそういう自分の好き嫌いを 人間として上とか下とか
そんな見方に置き換えて信じようとするっていう。
そういう事をここ数年でなるべくやめるようにした。
自分の為にもならないんですよね。

そういう考え方が妄信になるし、
その信じたいものと現実でズレが生じたら
自分がしんどくなる。



こんなふしだらな奴だから、
仕事できないはず、出世できないはず、

成功できないはず、不幸になるはず…

でもそうじゃなかった時その事実にどう結論付けるか。

ここで、「現世の外側」にその結果を委ねる人も居る。
「アイツは今は幸せかもしれないけど、
 どうせ死んだら地獄に落ちる。」
「生まれ変わったら害虫か何かになる」みたいな。

不可視のものに対する信仰は否定できない。
一つの考え方としてはアリかもしれない。


でも、現実の世界の方を重要視してる人はどう考えるか。




自分がアイツらを見下せる根拠は何か、ってもの拠り所が
「自分は清純」だって所しか無い。

じゃあその清純の定義とは?
そんな風に人を見下すような性格なのに?
そのチャラい奴に勝ると思える明確な何かも無く。
理由は単に性的な物事に対して距離を置いてるってだけで
これだって捉えようによっては悪く解釈できるし。


貞操意識に限らない そういう何かを拠り所にしすぎると
自分に対しても他人に対しても正しく評価出来なくなる、っていう。
仮にその要素を取っ払った時自分には何が残るの?と。



漫画ルポ中年童貞の第一章の44歳の男も。
自分は風俗に行ったことが無い、
心に決めた人以外とはそういうことはしない、
そうでない奴よりは自分は
心も身体も奇麗なはずなんだ、っていう。

その価値観自体が問題なんじゃなくて それに付随して、
そうでない人間を見下し、それによって自分を持ち上げようとか、
自分自身を全体的に見て正しく評価出来なくなる。
そこしか見なくなる、っていう。

これがすごく怖いな、って。
44歳になってもそこにこだわるって。

かといって前【017】の22歳の男みたいに
性経験を済ませば上等とか そういう話でも無いよねって。


前回の食堂かたつむりも 恋愛漫画DEATHも
「気持ちは分かるけど、気持ちが悪い」
これは同族嫌悪かもしれない。

人間の価値観に右か左かっていう振れ幅があって、
僕は右側にばっか進んできたから
今度は左に向かってみてバランスを取ってる、って感じ。
そこで右にどんどん進んでいった人が描いたような表現。



まぁ 分かんないけどね。
作者が自分の価値観を完全に自己投影して作り上げた世界なのか
ある程度俯瞰視して、変な世界観だと分かっていつつ
あえてそういう風に描いてみたのか。





まぁ、前【019】も語ったけど 
貞操の在り方に関して共通の指針のようなものが無いのは
日本に宗教文化が根付いていないからじゃないかな、って僕は考えてる。

なんでこんな処女性や純潔思想であったり
性的なものを避けることを肯定的に取るような

解釈があるのかっていうと
純潔の女性や 求愛しない男 を、肯定、美化するような
表現物が作り続けられるから。


日本人が共有すべき宗教や聖書のようなものが無い。
でもこういう漫画といった文化がある種の聖書代わりになってる。
あらゆる価値観を作り上げる要因。



元々は作者の嗜好であったり、
反社会的な人格を肯定するような作品世界、
それを読んだ者がその思想を引き継いでまた
創作や主義主張に反映させてまた次の世代に植え付ける。

こういうサイクルのようなものが出来ちゃってる。


「女性の可愛さとは何か = 処女性 性に対しての疎さ」
みたいな風に信じすぎちゃってる所 自分もあるから。
だからヒメアノ~ルのあのヒロインの交際歴を知るシーンで
黒髪白肌の大人しそうな子が 全然イメージと違って
「うわうわうわ~」ってなったんだと思う。

AV女優に文句言ってる奴も恐らくそういうパターン。



クラスのチャラい奴らと決別する、
自分はアイツらとは違うって言い切る手段が
「性に執着しない」っていう道。
自分に長所を持たない奴ほど、消極性を持つことによって
自分を肯定しようとする。

学校社会の中でそういった「影の側の住人」が
その価値観を表現に当てはめて次の世代に信じさせる。
中年童貞の44歳の男は そのなれの果て。



女性に処女性を求め、尚且つ異性に興味を示さないことが良きこと、
という理想像と 現実との乖離、認知的不協和。
それによって発生する 自身と異なる立場への加害性。

この不毛なサイクルに終止符を打つことは
人が理想を持つ限りは出来ないだろうと思うけど。
これまでのサイクルや固定観念を否定するような表現は出来る。




誰かやらないかなーとか、

僕がいつかやろうかなって思ってるんだけど。
例えば主人公がナンパで彼女を作って
そんな主人公に対して 処女性こじらせたダサい感じの男が
「ナンパで彼女作るとかどうなんすかね」って文句言ってくる。
俯瞰的にそういう立場を否定する、みたいな表現。




自分が真っ当であろう、と思うためには
差別意識って必要だと思う。
「こういう人間にはならない」っていう考え方。
でも、ある程度自分の望む所まで行きついたら、
その対象によほど恨みがあるわけでもないなら
築いてきた差別意識を、今度は解消するプロセスに

移行する必要があると思う。

でないと 自分が苦しみ続けるか
他人を苦しみ続けるかのどっちかになる。







次に、

恋愛漫画DEATHの文化批判についてだけど。
スマホだのユーチューバーだのツイキャスだの
そういう新しい文化について行けない奴が
周りの人間を「振り回されてる」とか言って見下して、みたいな。
実際そいつらも作中では頭悪そうな人物として描いてるから
主人公の方に比較的、肩入れしたくなるような表現の仕方をしてる。


でも10年前僕も同じような話描いてたんですよね。
当時はネットも今とは大分違って
ツイッターもLINEも無い、ミクシィとかブログの時代。
ネットで友達作ったりしてるような奴らを
上から目線で否定するような漫画。

昔「いじわるばあさん」ってドラマがあって
「今どきの若者はケータイばっかいじって…」っていう
セリフに感銘を受けて。
僕も幼かったから結構そういう
「近代文化に振り回される若者」を
批判するような姿勢に感化されてる所もあった。



でも今では、作者が自身の好き嫌いを善悪に置き換えて
作品世界に投影してるんじゃないの、って見方をするようになった。

ケータイやスマホ自体は何も悪くないよな、って。
使う人間次第でしょ。

いい奴はスマホを持たない、
悪い奴らはスマホ持ってる、みたいな世界じゃなくて
いい奴も悪い奴もスマホを持ってて、ただ使い方が違う。
良い事に使うか悪い事に使うか。
僕はそういうテーマの方が良いかなって。
それだったら気持ち悪くない。





これまでは、
偏った価値観の加害性、表現の責任って観点で話した。


ここからは
思想・表現の自由、価値観の多様性 って観点で話します。


こんな風には言ったけど
僕が気持ち悪いと思ったもの = 駄目
ってわけじゃない。

だから 作風を変えろとは言わない。
結局は方向性の違いでしかない。
僕はこういう表現は好まないし、しないけど。
じゃあやれる人がやればいい。



価値観の振れ幅って話をしたけど。
僕はもう27歳で大分価値観が落ち着いてきてて
価値観に修正を利かせる段階に来ちゃってて。

創作やるとしたら 大概
主人公が反省する話になる。
10年前に描いた漫画みたいな話はもう描けないと思う。

悪く言えば その価値観に突き進めなかった人間なんですよね。
暴走しきれなかった、とも言える。
その年齢、その時代でしか描けない表現ってのがある。


だから、偏った価値観を表現にしてる奴はどんどん突き進めばいい。
それがパワーになってるんなら。
その表現に対して読み手が違和感を感じたら批判すればいい。
表現も批判もどんどんすればいい。


僕は一応 人と人との間に価値観の違いがあれば
互いを認め合い、相互理解し、折り合いをつけて
共存することが良い事だと思ってる。

その反面、

この世の中は、価値観の押し付け合い勝負

みたいな所もあることを認めてる。
自分の思想を他人に感化させて、

自分にとって都合のいい価値観を広めていく。
そういう点で見れば教育も宗教も道徳も全部同じ。
表現はその効果を発揮しやすい。

価値観の押し付け合い勝負 っていう観点において
生きやすくなった人間が勝ち、生き辛くなった人間が負け。
皆 その法則の下で生かされてる。


僕も言いたいことを言うだけ。










作品紹介のコーナー

ことに人は思春期になると否応なく性に対して
向き合わなきゃいけなくなるって思ってる。
ただ、大きな分かれ道があって。
”性”という概念に 「好意的」になるか「嫌悪的」になるか。

前者なら興味の対象になるけど。
後者になるとかなり不利になる。
弱点が増えるわけだし、その後の学校生活で

ハンデを負うことになり得る。僕もそうだったから。


後者になってしまった少年少女の葛藤をテーマにした作品。

 

 

 


「荒ぶる季節の乙女どもよ。」(既刊6巻)
主人公の女の子が 幼馴染の男の子の

自慰行為を目撃してしまうっていう
衝撃のワンシーンの広告から知った漫画。

言葉で気持ちを伝えようとしているんだけど
良くない形で解釈されて
良くなりかけた関係にまた溝が深まるみたいな
噛み合わなさの描き方とかが面白い。

主要メンバー5人の中で
メガネかけた高身長のいかにも真面目そうな女の子が
ふしだらな事に一番嫌悪感を示す子で。

性的にふしだらなチャラい感じの奴らに
攻撃的な言葉を放って 言い返されて対立するけど
相手も別にただの嫌な奴、って描かれ方では無い。
その人たちなりの価値観もあって、
どっかしら和解できる可能性を残した対立の描き方。
 

 

 



「淫らな青ちゃんは勉強が出来ない」(既刊7巻)
無料で読める第一話だけを読んだ時点としての感想。

ラッキースケベシーンの多いラブコメの

ヒロイン視点のような話かな、って思った。
主人公兼ヒロインの青ちゃんは 官能小説家の父親のせいで
性的なものだとか 男性全般を嫌ってて、

下品なクラスメイトに辟易してる。
だから 自分に好意を寄せる男 木島のことも悪く思ってる。

青ちゃんの父親が曲者で、画風もコイツだけ

ギャグ漫画の世界の人間で、
ギャグ漫画的な、非現実的な手段を用いて
意図的にラッキースケベを引き起こさせる。

それによって、青ちゃんが意図せぬ形で木島に
色仕掛けを仕掛ける結果になってしまい、
それで木島の方にも誤解をさせてしまう…っていう話だった。


これ第一話読み終えた後 読後感があんま良くなくて
結構モヤモヤしてた。
何でなのかなーと考えて分かった理由としては、
青ちゃんの立場に理解者が居ないから。
性嫌悪、異性嫌悪、木島に対する嫌悪感に

分かってくれている人物が居ない。
あと、身近な大人が 子供に性的なものや男女の交遊とかに
興味を持たせようとしてくる感じ。
個人的に身に覚えがあるから。

コメディ的に描写されてるから軽くは見えるけど
このままだと青ちゃん本人が救われないな、と。
被害者的な立ち位置で 尚且つ周囲にそれを肯定されている。
これがモヤモヤの原因だなって気づいた。

一話目のラストでは 青ちゃんが父親をとっちめて終わるから
力の差をハッキリと見せつけてる、けども。
こいつが懲りずに 2話目以降も同じようなことを
やらかし続けるんじゃねーだろうなって不安。


で、2話目と3話目もネットで公開されてたから読んだんだけど。
父親はもう何もしなくなってた。
むしろ青ちゃん本人が勘違いして暴走するような話だった。

あぁこういう方向性なら続きも楽しく読めるかなって思った。


あと画風が可愛らしい反面 下品な言葉がナチュラルに使われてる。

 

 

 

 

 

 



「モンクロチョウ」(全3巻)

この漫画すごく嫌い。

主人公の周りの人間が 異性と遊んでる中で
自分だけ異性に対する苦手意識がすごく強い。
常に人を見下してないと気が済まない。
自分に自信が無いから。

別に周りの人間が悪く言ってきてるわけでもないのに、
劣等感が強いから 勝手に生き辛さを感じて暴走する。


彼女と友達が出来て一緒に遊んで
「今の自分は大丈夫だ」なんて自分に言い聞かせるように思って。
何が大丈夫なんだよっていう。

リア充、勝ち組で居るための条件みたいなのを自分の中に持ってて、
それを満たしているから合格みたいな考え方。

登場人物に好きになれる奴が一人もいないけど
主人公が一番嫌な奴だから。
読んでてじわじわと嫌な気持ちになってくる。



同じ作者で「喰う寝るふたり住むふたり」っていう漫画があって
テーマも雰囲気も全然違うんだけど
絵が同じだから そっちもちょっと苦手になった。
僕にとってこの絵はモンクロチョウの絵だから。

でも、残酷描写も暴言も使わずに
ここまで 読み手に嫌わせるって 凄いなって思う。
それだけのパワーのある作品。
その表現力に関しては認めざるを得ない。
気持ち悪いし嫌いだけど、続きはどうなるんだって思わせてくる。


ラストのエピローグで 主人公が成長して大人になって
会社の飲み会のシーンで
「オレも昔は若かったからなー」みたいなこと言ってて。

お前散々暴れといて 何、涼しい顔してんだって。
一生苦しんでろよお前なんか。

まぁこんな風に憤りを感じるのは
僕自身がまだその辺 幼いってことなのかな、って思ったりもするけど。







クラスメイトを見下してる男子学生が主役って共通点がある作品、

 

 

 

 


オナニーマスター黒沢(全4巻)

主人公の男子中学生 黒沢は
放課後に女子トイレに籠って クラスメイトの女子を思い浮かべながら
自慰にふけることが日課という秘密を持ってる。

やってることは最低なのに 見た目と言葉回しと演出のせいで
やたら格好よく見える。あとパロディが多い。

黒沢はクラスの中じゃ地味で目立たない奴で
内心では周りの人間をかなり見下してる。
けど、それを口に出したりはしない。
それを言ったら自分の環境が危うくなるって分かってるから。
人より優位に立てるのは妄想の世界の中でだけ。
それでも構わなかった。

だけど ある出来事で、思い通りになるのは所詮
妄想の中だけでしかないってことに苦しんで
その後の選択によって 黒沢を取り巻く環境が大きく変わってしまう。

最終的に内面の闇と向き合う物語。









最後は、近代文化たるインスタをテーマにした漫画。

 

 

 

 


最強伝説仲根(既刊1巻)


元々「最強伝説黒沢」(全11巻)っていう漫画があって
40年以上生きて自分の人生に誇れるものが無い、
黒沢っていう中年男が頑張って人望を得ようとする

苦難と奮闘の物語。
(オナニーマスターとは全く関係ない)


劇中で仲根っていう中学生が出てくる。

それから8年後の物語としての続編
「新黒沢 最強伝説」(既刊14巻)というタイトルで再開される。

それとは別に 大人になった仲根を主役にしたスピンオフが今作
「最強(さいつよ)伝説仲根」


最強伝説黒沢の本編オマージュが多くあるから
これ単体でも面白いけど
読むんだったら最強伝説黒沢を
先に、あるいは後でもいいから読んだ方が良い。


仲根は 自分がかつて 将来なりたかったような姿とは違った
大人になってしまっているっていう現状に不満を持っていて、
ふとしたことからインスタを通した自己表現に夢中になっていく。

スイーツの写真だけ撮って食べずに捨てるとか
承認欲求が満たされたいだけじゃないのかっていう批判とか
そういった インスタの後ろ暗い部分ってのもちゃんと取り入れてる。



仲根が後輩(コイツも黒沢本編で登場してる奴)を
飲みに誘おうとしたら
「スイーツのお店に行きたい」って言う。
ケーキを、インスタ用に写真撮るためだけに注文して
食べないってことをやりだす。

仲根もそれを咎めるんだけど。
食べ残す方も別に何も考えてないわけじゃなくて
そいつなりの言い分ってのを持ってる。
クソ客の言い分でよくある
「金払ってるから好きにしていいでしょ」じゃなくて
結構まぁ理にかなっている事を言ってのける。

インスタの為にここまでするのか、って
仲根は腑に落ちないけど 言い返せるだけの理屈も持ってなくて
仕方なく後輩のケーキを 甘いもの嫌いだけど食べる。




僕自身が、前世代の人間ってのを結構嫌ってるんですよね。
言うなら、大体僕が子供の頃、大人だった奴ら。
昭和生まれっていうか。
正確には時代の変化に適応せず
自分たちの時代に正しかった価値観を引きずって
今の世代の人間に迷惑をかける奴ら。…が、僕は嫌い。


僕は27歳、仲根が24歳、
なんやかんや言って、その前世代人に育てられた世代。
「食べ物を粗末にしてはいけない」といった
いくつかの価値観は信じてるし、引き継いでる。
だからこんな事(写真撮って捨てる)する奴大っ嫌いなんだよね。


で、新しい次の世代が育ってきてて、
「食べ物を粗末にしてはいけない」という価値観よりも
捨てることすら正当化する理屈を上に置いてきて。
 「インスタ目的で客が増えてるから店も納得してる」
 「腹に入れて消化せずとも

  撮影という形で意義のある使い方をしてる。
  (お供え物のような理屈?)」




こんな価値観浸透させてたまるか、っていう気持ちと
前世代の奴らが自分にやってきたような価値観の押し付けと
同じようなことを次の世代にやりたくないっていう気持ちもあるから。
やるせないんだよな。


以前インスタユーザーのケーキバイキング食べ残しの話を聞いて以降
正直、インスタに対する印象 ちょっと悪かったんだけど、
この漫画を読んで、そんな悪いものでもないかな、って思った。

ツールが悪いんじゃなくて
使う人間次第なんだと思う。


そんな話。



僕も漫画作ったりしてるって言ったけど遅筆で
半年かかってようやくネーム2本上げたりすんのがやっとで。
新都社で連載始めた漫画の更新が半年以上止まって
読者に怒られたりしてるから。

昨年原稿の持ち込みをして せっかく編集さんから好感触を得て
名刺貰ったりしたのに それ以降原稿描いてないし。
何かを始めて、せっかく手ごたえを感じる所まで行っても
別の事をやりだすんですよね。

もしかしたら自分こんな風に

色んな所でチャンス逃してんのかな、って。
ユーチューバーはとりあえず動画100本上げて
向いてるかどうか判断しようかと思ってる。




今回の恋愛漫画DEATHの作者のりんごさんから
題材として扱う許可を頂きました。
自身の描いた漫画をホームページで公開してる人です。
この人はとにかく描いてる量が凄くて。
ページ数も数千ページ以上は描いてるみたいで。
更新とかも滞ることなくちゃんと定期的に上げてる。
他にもゲーム作ったり 色んな人とコラボしたり
自分で本を作って販売したりとかしてるみたいで
この行動力と持続力は見習いたいなって思いました。