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NPO法人 はりま田舎暮らしの会

NPO法人活動の情報発信基地です。

4月22日(木) 晴れ

毎年の事ですが、ミツバチ愛好家はこの季節はソワソワ・・・ニヤニヤと落ち着きません。

待望の分蜂が始まりました!正に首を長くしてこの季節の到来を待ちわびていました。

 

蜂場を見廻り巡回するのが最近の日課ですが、躍動するマーヤ達の姿にはいつもながら感動して

元気をもらっています。

 

昨日(21日)は汗ばむほどの夏日となり、もしや!と蜂場を巡ると、立て続けに3群の分蜂群ご入居を確認しました! 万歳!

今日も、4匹目のドジョウを狙って出かけたところ、ビンゴ!  本命中の本命蜂場で4群めのご入居を確認しました。 万々歳!

2日間で4群捕獲成功です!

 

第2次・第3次分蜂があるので、暫くは巡回を怠るわけにはまいりません。

万全な夏場対策を施して秋には、希少な幻の生蜜を味わいたいものです。

 

さて、巣箱の中を底板を抜いてスマホを天井に向けてパチリと1枚。蜂で一杯です!

もう一枚は、巣箱を設置している場所の地主様へのお願い文です。と、云うのもほとんどの場所は他所様の土地で、何方が地主

か不明な場所故、トラブルを避けるために貼りだしています。

 

9月13日(日) 晴れ

今年も「第3回日本一どでカボチャ兵庫県大会」が私たちのNPO法人はりま田舎暮らしの会主催で開催されました。

コロナ禍の中で一時は開催が危ぶまれましたが、丹精込めて栽培したジャンボカボチャ愛好者に晴れの舞台を

提供するために、昨年までのような、ゆるキャラのパレード、ご当地グルメ屋台コーナーなどは取りやめて、

計量記録会に特化したシンプルな大会としました。 コロナ対策を万全に行ったことは言うまでもありません。

その晴れの舞台を飾ったのは255・8㎏の大会新記録で優勝した猪三郎!

 

 

 
時節を反映してマスク姿の表彰台です。
準優勝はウチのカミさんの203・4㎏で、夫婦揃ってのワンツー・フィニッシュを達成しました!
看板のかぼちゃもカボチャ色の大きなマスクをしてのお出迎えです。
 
この画像は一昨年前の全国大会(小豆島)に兵庫県代表として出場したときのものです。
 
今回は254・6㎏の兵庫県記録を1.2kg塗り替えた勘定になります。
 
さて、このカボチャの嫁入り先ですが(公財)ひょうご環境体験館の玄関前に鎮座して、来館者の目を楽しませています。
お近くの方は、是非ともひょうご環境体験館にお越しください!
 
計量記録会と云うシンプルな大会でしたが、200kg級が3個・100㎏級も3個というハイレベル内容で、出展者以外の
見学者も親子連れのファミリー達で賑わいました。
兵庫県大会と嫁入り先の様子は明日(9月16日)の神戸新聞をご覧ください!
 

5月12日(火) 快晴

遅咲きの桜なら風情がありますが・・・。

我が家のキンリョウヘンがやっと咲いてくれました(6鉢ほど咲きましたが遅すぎる~!)

 

 

ラストチャンスに期待して、明日、本命の蜂場で未だに入居していない巣箱に設置しようと思います

 

キンリョウヘンをそのまま巣箱に置いてはいけません! 

分蜂群が群がって直接花に取り付いたら大変なことになりますので、ガーデニング用の金枠を野菜ネットで囲います

直接群がったら、折角の花が灼けて1日で台無しになりますのでご注意下さい

詳しくは画像をご覧ください

 また、蜜源用のヘアーリーベッチの花も盛りが過ぎてしまい残念⤵

 

 

 

 

 

今年は暖冬だから、分蜂は早い早いと云われながら、当地では先日も遅霜が降りたり、天候には関係ありませんが1か月ほど前には近くで大きな山火事があったり、コロナ騒動があったりの(ミツバチもコロナウイルスにやられた?)何やかやで

未だに1群しか捕獲できていません 近隣の蜂友に問い合わせても異口同音に絶不調と云う事です

 

猪三郎は蘭の栽培が下手で思うように咲いてくれた試しがありません 

岡山県の蜂友から、咲かせたい日にちの60日前から加温すること それも一番寒い夜明けの4時頃から2時間だけ

加温するようにとアドバイスを受けて、2月10日から電気ストーブにタイマースイッチを取り付けて実行しましたが、90日経ってから咲き始めたような始末です

 

場所は日の当たる軒下や廊下には先客が居るので、工事現場にあるようなプレハブ小屋の中です

花が終わってからの植え替えや株分け、元肥・追肥のタイミングなどもアドバイスを頂き忠実に実行してきましたが

あきません~⤵   どなたか来年に備えてのご指導をよろしくお願いいたします!

 

さて、残り少ないチャンスをまさに「神様・仏様・稲尾さま」ならぬ「キンリョウヘンさま!」に最後の望みを託したいと思います

 

4月30日(木)

先程投稿したブログの中で定期船「女神丸」が戦争中に米軍艦載機グラマンの機銃掃射を受けながらも

死傷者ゼロと書きましたが、大変な間違いでした。

 

正確には昭和20年8月8日に小豆島の土庄港から高松港へ向けて出港した女神丸が、間もなく高松だと云う屋島沖に

差し掛かった時、3機のグラマンが低空で襲い掛かり機銃を発射して死者は実に25名に達したのです

訂正してお詫び申し上げます

 

尚、この「女神丸」は昭和27年の木下恵介監督の映画「二十四の瞳」に出て来ますし、猪三郎も子供の頃、母親に連れられて、この船に乗って高松の玉藻公園(現在は栗林公園)へ行った記憶があります(おそらく昭和25年ごろ) 公園では片足をなくした傷痍軍人の方が松葉杖を頼りにアコーディオンで軍歌を唄っていたのが目に焼き付いています

 

4月30日(木) 快晴

 

猪三郎は今から、75年前の昭和20年4月30日に瀬戸内海の小豆島で生まれました。

云うまでもなく、当時は戦争の最中で毎日のように空襲警報が鳴り響き、防空壕へ駈け込んでいたそうです。

しかし、臨月に入った猪三郎の母親は警報発令中でも素知らぬ顔をして防空壕には入らなかったそうです。

曰く、「なんぼアメリカでもこんなこんまい(小さいと云う方言)島に爆弾落としたら勿体ないから落とさへん、落とさへん」。

事実、戦争中、小豆島には一発も爆弾は落とされていません。戦争の被害と云えば、唯一高松へ航行中の客船「女神丸」が、艦載機グラマンの機銃掃射を受けただけで、死傷者も出なかったと云われています。

 

猪三郎の終活の第一歩として、すでに一昨年前より年賀状は書き納めとしました。

これからは誕生日ごとに町の写真屋さんで記念写真を撮ってもらう事にしました。もちろん、遺影用ではありますが、

プラス思考で云えば、記念写真が溜まれば溜まるほど健康だったと云うことになり、あと5枚、更にあと5枚と目標が

出来て励みにしたいと考えています。 当面は5枚を目標にボチボチと・・・。

画像が縦向きに回転してくれませんので、皆さんが回転して見てやってください!(笑)  15年前のスーツとネクタイを引っ張り出して着てみました。ウエストもOKだったので、この15年、体形に変化はなかったと云う事でしょうか?

 

町役場から「後期高齢者医療被保険者証」をいただきました。

医療費の本人負担が1割です! 昨日までは2割だったのに、なんと半額セールみたいなもんです!

よしっ!明日は病院へ行こう!(オイオイ!そりゃあ、違うだろう~が!)