東北勢の決勝進出のたびに、
「白河の関」
がトレンドワードになる高校野球。
東北勢の優勝がないまま、4元号、107年もの月日が過ぎてしまった、今年こそ!
しかし、JRで優勝旗を持ち帰ったとしたら、厳密には
「黒川橋梁」
越えということになろうか。
もしも貸切バス(高速道路)の場合は、福島の県南・いわきなど、一部地域を除いて、関西から東北各地へは磐越道経由が最短なので、
「黒森山トンネル」
越えとなる。
偶然にも、白と黒、勝負に因んでいるかのような地名が揃った。
空路を飛び越えて、仙台空港じゃ、何ら面白くないし、外野意見の「すでに津軽海峡を飛び越えたぞ」との騒音を消すためにも、優勝旗の陸路入りを望みたい。
鉄道ファンとしては「黒川橋梁」をメジャー化してほしい。
さて、私は、逆方向の、沖縄に優勝旗が渡った瞬間を思い出す。
現地で観戦していた。まだ改修中だった頃
2008年春、決勝は聖望学園×沖縄尚学
スタジアム内は、沖縄のホームグラウンドのような雰囲気で、指笛の音が響き渡っていた。
沖縄尚学が期待に応えて優勝、場内ではウェーブが発生。
まだ夏の優勝は無く、沖縄県はお祭り騒ぎだった
沖縄へ渡る優勝旗を目撃した!
選手と優勝旗を乗せたバスは、たちまち野次馬に取り囲まれた。
その2年後、興南によって夏の優勝旗も沖縄にもたらされた。
聖望学園は大差だったが、見事な初決勝進出だった。
さて、2008年の写真を整理していたら、いろいろ出て来た
春季神奈川大会準決勝
横浜×湘南学院
9回まで両者0点、がっぷり四つの戦い
「横須賀から甲子園」を一瞬感じた。
(延長戦で敗戦、その後湘南学院は横浜には一度も勝ってない)
湘南学院は女子校から共学になったばかりで独自の応援曲が無く、
横高から招聘された監督つながりで、横浜高校の応援演奏(「第1」は演奏ぜず)そのものだった。
女子が「第2」「第5」「横高アトム」などを演奏する姿に、新しい時代の夜明けを感じたものだったが、この14年後、2022年の横浜スタジアムで、「本家」でも見られる光景となった、感慨深い。
鉄道の写真もいくつか出てきた
秩父鉄道では旧国鉄101系が主力で活躍していた
山口県で、SLやまぐちを目撃
山口県勢は、山陽新幹線が岡山まで開通した1972年も夏に防府商が決勝に進出、(銚子商に敗退)
その後、1985年には宇部商が進出、
このPLとの1戦はリアルタイムで見ていて、私は宇部商側を必死に応援したが、残念だった。
PLの応援席の人文字に「倒せ」「宇部商」が出てきて、学校へ戻って一夜漬けで練習したのだろうかと思った。
この頃は当然ながら連戦だったはず。
一方、仙台育英は何回か決勝へ進出しているが、中でも平成元年の帝京との決戦は、リアルタイムで見たが、延長になってかなりの盛り上がりだったなあ。視聴率が平日ながら29%ぐらいいったはず。
さて、今日も試合のない調整日で、
同じ朝日新聞主催の「合唱の甲子園」の県予選へ行こうかと思ったが、会場が狭いし、関係者で満席だろうし、雨だし、断念した。
朝日新聞のまわしものではありませんよ。
しかし次の関東大会は、まさかの新潟県開催か、行かれないかも。
あ、そうそう、「夏休みの宿題」状態になってしまった、8月初旬の九州旅行レポ、今日の時間を利用して少し清書を書きます。
あまり期待しないでお待ちください。