映画“主戦場”に、従軍慰安婦・強制連行否定派の“信仰”を見た。 | 野良猫の目

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~本当は寝ていたい~

この映画についての絶賛の声も聴きますが、私にはさしたる感動は起きませんでした。むしろ、ここに登場する強制連行否定派の面々の独りよがりな主張に辟易しました。

 

テレビの報道番組で賛成する意見と反対する意見の両方を並べるのと同じように、この報道映画(…と呼んで良いものかどうかは疑問がありますが)では、従軍慰安婦の強制連行について、これを否定する主張の後に肯定する意見を対比的に並べるだけで、発掘した「新しい事実」は最後まで出て来ませんでした。尤も、「新しい事実を発見し知らせることがこの映画の目的ではない」と言われればそれまでのことですが。

 

 

既視感のある主張を聞くなかで、印象に残ったのは、「インタビューに応じた強制連行否定派の人達には論理性も国際的なセンスもない。」ということでした。

 

◎ 強制連行の有無については、否定派は記録(or 資料)がないことを拠り所としていますが、対外的にはまったく説得力を持ちません。「行政記録は保存して当たり前、一定の年数がくれば公開されるという国の人間を相手に取材に応じている」という自覚がまったく感じられないのです。

以前にもブログに「安倍首相がチコちゃんに叱られる! “他人事みたいに言ってんじゃねーよ”」として書きましたが、その中で紹介した国税局の調査官の言葉を改めて繰り返したいと思います。

 

○ あるべき書類がないということは、我々は“見られたら困るから隠している”と考えますよ。

 

◎ 否定派は、いわゆる「日本という国」の対外的な影響力が相対的に弱くなっていることを自覚しいていないと思います。今や、韓国にとって、日本サイドのいうことを我慢してでも聞かなければ(=従わなければ)不利益が起きる、という状況ではないでしょう。そのような状況下で、言葉尻に執着し文脈を無視したような主張をしても笑われるだけでしょう。

 

◎ 杉田水脈議員は、喜々として、無防備にインタビューに応じていました。その表情は得意げであり、誇らしげであり、自信に満ちていました。その中で、日本を美化するのと同時に、日本を含め世界のどこでも見られる一部の事象を、韓民族の特有のものだとして差別的に批判していました。

彼女に限らず、否定派の発言の背後に、身内で共有している“願望”を、外国の人間にも通じる“真実”と過信していることが感じ取れます。それは、もう「信仰」と言って良いレベルでしょう。

  

この映画をできるだけ多くの日本の人に見ていただきたいと思います。そして、どちらの主張に説得力があるのか、それぞれの方が判断すれば良いのだと思います。

 

 

ところで、「従軍慰安婦には、(法的な意味において)旧日本軍に強制されたものと、任意のもの(女衒の斡旋によるもの)の二つがあった」という単純な可能性を誰も提起していないことが、私には不思議でなりません。「強制連行はなかった。」あるいは「従軍慰安婦は強制連行されたものだ。」という、どちらの立場からも、自分の信じるものだけが全てだ、と言わんがばかりの主張しか私の耳には入りません。ここにはもう真実を追究するという姿勢は感じられません

 

仮に上のような仮説を検証するとすれば、旧日本軍が持っていたであろう慰安所の運営に関する記録や部隊の慰安所の利用状況に関する記録に当たることが不可欠になるのではないかと思います。一切の記録・資料が残っていない中で、その検証は不可能でしょう。都合の悪いものを廃棄したことで、都合の悪くないものの記録をも失わせることになったのではないでしょうか。その結果、全てが「都合の悪いもの」とされていることに甘んじなければならない状態になっているのだと思っています。

 

アベ首相は、70年談話で私たちの子孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならないと言いました。その後、何がどれだけ前進したのでしょうか。