9月12日に行われた「女性と貧困問題 労働の視点から考える」のシンポジウムに参加してきた。このシンポジウムは埼玉弁護士会の主催で、ゲストスピーカーは雨宮処凜氏。雨宮氏の話は、要所要所に数的データの引用するなどして、説得力のあるものだった。
雨宮氏の話を聞きながら、30年前のことを思い出していた。派遣法が施行されたのは昭和60年。この年、時期を同じくして雇均法も施行された。
当時、私は、この二つの法律の施行により、女性労働者は独身の間は男並にこき使われ、結婚したら退職し、子供の手が離れたら派遣会社に登録して雇用の調整弁として不安定な立場・安い賃金で使われる、という構造ができあがる。こうして「派遣労働者」という名の失業者のプールが生まれ、労働者全体の賃金水準と労働条件の低下を招くであろうと予想していた。
残念ながら、この危惧は現実のものとなり、今日の貧困層の拡大を生んだと考えている。
当時、派遣法の立法は、アメリカ政府の圧力によるものと聴いた記憶がある。日本の労働基準法は、女工哀史の時代から連綿とつながる労働運動の成果であり、賃金の労働者への直接支払い、中間搾取の禁止などの規定を持つ労働基準法、そして労働組合以外の者が行う労働力供給事業を禁止した職業安定法は、日本進出をもくろむアメリカ資本の派遣会社(マンパワーと記憶している。)から見れば、進出の障害になっていたのだ。アメリカは、政治的圧力でこれらの法律の例外法としての派遣法を成立させることで、この二つの法律を「骨抜き」にしたのだ。
もとを質せば、派遣法はアメリカ資本が日本の労働者から賃金をピンハネするために作られた法律と言えるのではないか。
-つづく-