今宵も結奈様(紐緒結奈@ときめきメモリアル)がお酌をしてくださり、
私をねぎらってくれます。
昨年のときめきメモリアル30周年ライブから、推し活が止まりません。
ときめきメモリアルはもちろんとして、仮面ラーメン、負けヒロインが多すぎる!、
ロックは淑女の嗜みでして、僕は友達が少ないと、祭壇が5つあると思っておりましたが、
戦場のヴァルキュリア(セルベリア推し)もありまして、
私のところには6つの祭壇があります。
それ以外にも、フリーレンやレイアースもすこーし推してます。
ただ、そういうことが実は本業である「パソコン修理・販売」と
繋がっているということは改めて思うようになりました。
尤も、倫理法人会で純粋倫理を学んでなければ気がつかなかったことだと思いますが。
私の事務所の神棚です。
まあ、ごちゃごちゃしてますが、神様は喧嘩しないと思ってますので、
もうなんでも祀ってしまおうと思ってます。
それでなくとも、祭壇はたくさんあるわけですから。
そして、この写真に写っている最も重要なものが、
中央に鎮座している2つのファミコンカセットです。
そのうち、ラベルがぐずぐずになっているのが、
私が生まれて初めて買ってもらったファミコンソフトの1つである『ダックハント』です。
もうひとつが、ファミリーコンピュータロボット用のソフト『ブロック』です。
背面には、おそらくままごとで使うために書いたのだろう落書きが残っています。
ファミコンは私が3歳の頃、父親に買ってもらいました。
といっても、私が欲しい!とせがんだわけでもありません。
おそらくですが、誕生日プレゼントとして、買ってくれたのだと思います。
それも、おもちゃ屋さんで買ってくれたわけではなく、
父親がどこぞで買って、自宅へ持ってきてくれたのでした。
当時、私は一人っ子でしたので、色々なおもちゃを買っていただきました。
なので、父親にとっては、ファミコンもそのひとつだったのかもしれません。
でも、この日、
父親がファミコンを私に買い与えてなければ、
今の自分はありません。
父親がどういうつもりでファミコンを買ってきたかは分かりませんが、
少なくとも、私を喜ばせようとしたことは間違いありません。
ただ、その後、私がファミコンばかりやり過ぎて、
勉強が疎かになってしまったとか、外で運動しないとか、弟の面倒を見ないとか、ありましたけど。
父親にとって、私にファミコンを与えてしまったことに後悔したとか、しなかったとか。
もはや、亡くなっているので、その真意は分かりませんけれど。
ただ、これだけは入れます。
父親は、ただ単純に私を喜ばせたかっただけなんだと。
ファミコンを与えることによって、今のようにパソコンで成功する人間にしようなど、
夢にも思っていなかったでしょうね。
でも、私にとってはそれが原点なのです。
私の事務所には現在、PC-9821Ca2がございます。
私がパソコンが欲しい!と言ったとき、尽力していただいたのもまた父親でした。
たまたま父親の知り合いから、PC-9801VFをもらってきてくれて、
私はパソコンというモノに触れることが出来ました。
ただ、あまりに性能がアレすぎて、ゲームが出来るようなものではありませんでしたが。
少なくとも、ここでワープロソフト『一太郎』と表計算ソフト『ロータス1-2-3』をさわることが出来ました。
また、音は出ないですけど、『信長の野望』とかもやった気がします。
これが、私とパソコンのスタートです。
そして、これもまた父親は、私を喜ばせたかったから(パソコンを調達)なんだと思います。
2000年の夏頃に自宅にインターネットを引きたいとお願いしたとき
(当時、メジャーISDNで、常時接続はケーブルテレビだけだった)も、快く承諾して下さいました。
ずーっと借家住まいだったから、私に家を買え家を買えと期待していたし、
小学生の頃は、時習館、東大、国家公務員上級職、とまあやかましかったですね。
でも、今では、家も買ってるし、Fラン大学には通ったけど、人並み以上の生活はさせていただいてます。
それも、父親からファミコンを買ってもらわなければありえなかったわけで。
その、「私を喜ばせたかったから、ファミコンを買ってきた」
という気持ちは、私も受け継いでいきたいと思います。
亡くなってしまっているので、直接お礼を言えないのが本当に残念ではありますが。
所詮、そういうものかもしれません。