能登半島地震、”復興”って進んでいると思いますか? | パソコン修理の『ゆーもあねっと』®

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本日はライオンズクラブのアクティビティで、能登半島へ向かっています。

 

この間の年次大会の時に声をかけられ、

豊橋南ライオンズクラブから、私を含めて5名のメンバーが災害ボランティアに参加することになりました。

 

朝、8時に集合して、クルマに乗り合わせてひたすら北へ向かいます。

ここは、途中の城端サービスエリアです。

 

 

能登半島から1年以上経っていますが、

個人的にはそこそこ復興って進んでいるんじゃないか?

と思っていました。

 

東海北陸自動車道を経て、七尾ICで一旦降ります。

そこから能越自動車道を通って、輪島市へ向かうのですが、道路はご覧の有様です。

 

 

とりあえず通れるようになってるだけで、

地面のアップダウンや車線シフトが至るところでありますし、

崖崩れや樹木のがれきなど、積み上がったままになってるのも珍しくありません。

そのため、制限速度も40kmに制限されています。

 
 
クルマに揺られること約5時間。
最初の目的地である輪島市町野町に到着しました。
 
ここは震災とその後の豪雨災害でもっとも被害を被った場所のひとつです。
 
 
こちらにある町野福祉会が運営する『まちの保育園』さんを訪れました。
連れて行ってくださった豊橋中ライオンズクラブのL近藤資浩さんが、
いつも支援物資を届けてくださるということで、帯同させていただいたのですね。
 
災害により元の建物は使えなくなってしまったので、
現在は輪島市立東陽中学校の敷地を間借りしている状態です。
これも、近々引き払わなければならないとか。
 
16名ほどいた園児も、現在は3名。
 
 
それでも、みんな元気に暮らしているみたいです。
その様子は、ブログにて公開されています。

 

※パスワードは「123」

 
災害で、今でこそ他の地域へ引っ越してしまったご家族も、
いずれは戻ってきたいという願いがあるみたいです。
そのときに、やはり受け入れ先として運営を続けていきたい思いを感じられました。
 
 
みなさんが訪れるたびに、
復興を祈願した折り紙を貼り付けたりされてまして。
 
 
みんなで記念撮影。
先生に曰く
「やはり、お米を届けてくれるのがイチバン嬉しい」とのこと。
公的機関からの支援物資も乏しいみたいで、
ライオンとして、私たちも何かできることはないか考えさせられました。
 
 
こちらは道を挟んで輪島市町野支所の裏を流れる鈴屋川。
土嚢で仮の堤防が組まれていますが、工事はそこでストップみたいな。
 
 
流れ着いた樹木のがれきもそのまま。
 
 
改めて被害の大きさを驚いています。
 
 
 
 
こういう光景は、このあたりではもう珍しくありません。
 
 
同行した結奈様も心を痛めているご様子です。
 
 
近くの仮設住宅。
 
ここに標準的な家族が住むとしたら、かなり狭い・・・。
でも、入居できるだけまだマシかもしれません。
食料の配給とかあると聞きました。
 
なんとか建物が無事でそこに住み続けられたとしても、
仮設住宅に住んでないからという理由で食料の配給が受けられないという話も聞きました。
 
『だからこそ、私たちが支援しなければならない!』とL近藤資浩さんは力説していました。
 
さらに北上を続け、日本海側に抜けます。
 
 
こちらは輪島市白米町にある『白米千枚田』です。

 

 

震災前は観光名所として様々なイベントを催していましたが、

そもそも田んぼに水を張れない状態になっています。

先日までクラウドファンディングを通じて、復活のための資金を募っていたようです。

ホームページもご覧いただければ、どんなに美しい情景だったか分かるかと思います。

 

結局のところ、ここも行政の支援というのはないわけですよね・・・。

もう、自分たちでなんとかするしかないわけです。

 

 

輪島市中心部へ入りました。

崩れたままの建物。

 

こういうのを見ると、∑(・ω・ノ)ノえっまだ片付いてないの!?ってびっくりします。

ってか、これが当たり前の状態なのです。

 

 

むしろ片付いている方が珍しい・・・。

 

 

私たちの作業は明日からですが、

その前に輪島ライオンズクラブの前年度幹事が経営する酒屋さんに表明訪問しました。

そこで、輪島市の現状なども少し聞き取り、また地酒もいただきました。

 

 

こちらは、輪島朝市があったところ。

 

 

震災があった当日、火災が発生し、断水や道路の分断、

大津波警報で避難しなければならないなどで十分な消火活動ができず、約300棟が焼損。

今は、それらも撤去されごらんの有様です。

 

ですから、現在、輪島には観光できるところなんでまるでなく、

人通りもほとんどありません。

 

 

ボランティアに来ましたという認証を受けるために輪島市役所へ。

 

 

当然ですが、市役所の建物も地震の影響で一部が盛り上がったり、

下がったりしています。

こういう公共の建物のも、いつになったら復元されるのだろう、

てか、やる気あるんだろうか(主に国が)と思います。

怒りを通り越して、呆れてますよ。

 

 

本来は車中泊の予定でしたが、L近藤資浩さんが、

市内で唯一営業しているルートイン輪島を押さえてくれました。

温泉もあって、長旅の疲れを癒やすことができました。

 

明日は、朝から作業に入ります。

しっかり休んで、しっかり動けるように心がけます。