私がパイオニアでアルバイトをしていたというのは、
周知の事実ですが、高校卒業してから社会人になるまでの
足かけ8年間続けていたというのは、あまり言わなかったことかなと思います。
写真は、私がアルバイトをスタートして、一番最初の給与明細です。
この頃は、パイオニアから直接雇用されましたので、パイオニアから給与が出ました。
私も独立してこれで8年が経過しました。
長かったパイオニアの期間をようやく超えたことになります。
そこで、昔のことを思い出しながら、不定期に綴っていきたいと思います。
なお、ここでの記載はあくまでも当時のことであり、
私の主観・憶測がふんだんに盛り込まれています。
なので、事実と異なる部分もあろうかと思いますが、何卒ご了承ください。
さて、そもそもアルバイトをしようと思ったきっかけは、
大学受験を失敗したことによります。
2000年3月に、国立愛知教育大学附属高等学校を卒業。
日本大学芸術学部放送学科、愛知教育大学と立て続けに失敗。
というよりか、あまり大学に行こうという気がなかった(;^ω^)
そこで、「なんかアルバイトをせにゃならんかなぁ。」と思って、
近くのあおい書店(現在は、スギ薬局西岩田店)で手に取ったフロムA。
ぱらぱらとめくっていると、豊橋市で募集しているアルバイトはたった2件しかない。
そのひとつが、パイオニアでした。
どんな内容だったか覚えてませんが、少なくとも時給1000円ってところに惹かれたのは間違いないです。
仕事内容もまあまあ想像できましたので、これなら出来るかなと思って、電話しました。
当時、パイオニアは豊橋市にも営業所を構えていました。
これもちょくちょくブログにしてますね。
私も根が真面目ですから、履歴書もしっかり書き込みました。
初めての履歴書だったかもしれません。
志望動機に、「昨年末、世界初のDVDレコーダーを発売した云々・・・」と書いた気がします。
テレビCMもやってましたから、それを覚えていたんですね。
さっそく面接という運びになりまして、前田町の営業所へ。
あとで聞いた話ですが、当初私の印象というのはあまり良くなかったみたいです。
「えれぇ、オタクが来ちゃったな・・・」といったところでしょうか。
ただ、フロムAに掲載して、問い合わせをしてきたのは私を含めて
たった2件しかなかったということで、背に腹はかえられなかったのでしょう。
T所長がパイオニアのカタログをもってきて、
「君にはこれを売ってもらいたい」と、さも採用が決まったかのような話になりました。
※当時のミニコン最上位モデル「FILL」シリーズ
そのカタログが、オーディオミニコンポだったのです。
ここでやっと、パイオニアがオーディオメーカーだったことを知るわけです(;^ω^)
実は、自宅で使っていたミニコンポもパイオニアだったということも、あとから知りました。
それだけ、家電メーカー(特にオーディオメーカー)というものに無頓着だったわけですな。
面接の中では、自分が大学浪人中であること、なので、
勉学優先にさせて欲しいことなどお話しさせていただいて、無事に採用が決まりました。
その後、営業担当のK氏を紹介され、初めての勤務地も決まりました。
ここから、8年間、パイオニアでの生活が続くとは思ってもみませんでしたが。
(つづく)