昨日は、早朝より豊橋市南倫理法人会の経営者モーニングセミナーで講話をしたあと、
午後からは、電車に飛び乗って、一路名古屋へ向かいます。
この日は、愛知県倫理法人会の中間報告会も開催。
事務長として、出席させていただきました。
さすがに年度目標を半年で達成はできなかったものの、
先日開催した普及施策会議で、この日までに宣言した目標は達成したので、
ほっと胸をなで下ろしたところです。
ただ、
『実践なき普及は危うい、普及なき実践は空しい』
と言われるように、私ももっともっと徳を積んで、
「じょーじが言うんだったら、ぜひ参加しますよ!」
みたいな感じで、普及ができるようになりたいです。
さて、昨日の講話。
半分ぐらいが、亡くなった父親の話だったかもしれません。
ちょうど10年ほど前に、60歳で亡くなりました。
ただ、父親の過去の足跡っては、実はよく分かってません。
私があまり知りたくない(聞きたくない)というのもあるんですがね、
ただ、講話をするに当たって、自分の過去と、父親の過去をリンクさせることで、
私が知らなかった父親の苦労を考えてみようと思いましてね。
そこで私が参考にしたのが、過去の年金記録です。
亡くなったあと、遺族年金が支給されるかされないかで、
年金事務所で相談したことがありまして、そこで過去の年金記録をいただくことが出来ました。
これにより、いつ、どこで働いていたのかが分かります。
そこに自分の歴史と、リアルでみてきた父親の職をあてはめて、
ああ、このときは、こんなことがあったんだな、改めて知りました。
3兄弟で唯一、私だけが大学院まで(大学院の学費は私が奨学金から出した)行かせてもらってね、
その間、特に金銭面で色々あったんじゃないかと思うんですよ。
それにね、私も5回ぐらい転職しましたが、
父親の場合はその倍以上転職していることが分かりましてね。
私が仕事が上手くいかない、会社と上手くいかないと話をすると、
すんなり転職を認めたのは、そういう背景もあったんじゃないかと思います。
ちなみに、父親が自分でダンプカーを買って、“金子建材”を創業したのが35歳の時です。
私はそれよりも1年早く“ゆーもあねっと”を創業しました。
会社がイヤになって(?)、自分で商売をはじめるってのはやっぱ、血筋ですかね?
ただ、父親の“金子建材”は私の怪我とバブル崩壊もあってか、約6年(87ヶ月)で事業を停止しました。
その後は、再び会社員として十数ヵ月つなぎ、
NHKの地域スタッフ(NHKからの業務委託契約による個人事業主)として働くことになりました。
私のゆーもあねっとは、これで9年目に突入します。
こればかりは、同じ轍を踏みたくはないですね。さすがにもう、会社員はゴメンなので(笑)。
そこは、父親のようにしくじらないよう頑張りたいと思います。
というわけで、自分の親の足跡をたどるのに、年金記録ってのは、有用だと思います。